見出し画像

ナイジェル・ウォーバートン『若い読者のための哲学史

私にとっての要点:1チャプターにつき、ひとりの哲学者を取り上げて、生い立ちや思想を取り上げる。著者の語りが軽妙。チャプターごとに、哲学者の達成点と、次なる課題が紹介される。次章では、別の哲学者がその課題に挑む。連続性(歴史)を意識して書かれている。


若い人のための、とか、こどものための、とか。そういう書籍もこのシリーズの対象にしたいと思います。

本書はYale University Pressから出ているLittle Historiesというシリーズのひとつらしい。

語り手は、大いに歴史を意識させてくれます。


ウォーバートン氏はフリーランスの哲学者ということで、語りが上手い。人文系の学者がこのような活動をしているというのは、何だか頼もしく思えます。今の時代、多くの人が何かを知りたい時にインターネットを参照しますね。ウィキペディアや何かを。それは匿名の人のバイアスを通した概説文を見るということ。こちらも概説文である点では、他の情報と同じだと思います。でも、著者が個性を出してきます。

そして、個性を出して概説を語る、というところに、その語り手の「技」がある、と思います。


哲学と歴史は、どこか似ている。どちらも、考える指針を人に与えるものなのだろうか。考える指針ということは、生きる指針でもあるのかも。だれもが若い時に身につけたい感覚だろうと思います。いつか自分が書きたい本にも、こういう感覚がほしい。

若い読者のための、といえば、僕の仕事は若い人と接する仕事です。近くで若い人たちを観察していて思うのは、自分流の哲学を好む若い人は、意外と多いということです。「若いもんには芯がない」みたいな定型の若者批判は、はずれで、むしろ価値観の早熟は昨今の若者の特徴だとも感じます。SNSやネットのスピード感にもひとつの原因があると思う。結果、みなわかものは思索が好き。

とくに高校生なんか、思索にあけくれて、もう大体、人格は固まっているように思う。悩める高校生は多い。

自分の経験だけにもとづかない、誰かが今まですでに考えたこと、長い時間のなかでだれもが通過してきたこと、そういう大きな流れの中に、自分の哲学を結びつけることができれば、楽になる若い人も多いように思います。うん、楽になったり、もう少しがんばれたり。

なぜ、神は悪の存在を許すのか。なぜ、こんなにも多く災いが起こるのか。答えは容易にはでない。アウグスティヌスは長い間、懸命に考えた。そして、自由意志、すなわち人間は次に何を行うかを選ぶことができるのがおもな理由だと結論づけた。これは「自由意志弁護説」として知られている。神義論、つまり善なる神が苦難を良しとする理由を説明し、弁護する試みだ。

(chapter6「私たちを操るのは誰か」)

もし、社会が崩壊し、法律や、法律の守護者が存在しない「自然状態」で暮らさなければならないとしたら、誰もが他のみんなと同じように、必要とあれば盗み、殺すだろうとホッブズは主張した。少なくとも、生きていくためにはそうするしかない。資源がほとんどなく、とくに、生き残るために必要な食料や水を手に入れるのが難しければ、自分が殺される前に相手を殺すのは理にかなっている。ホッブズの言葉で印象深いのは、社会の外での人生は「孤独で、貧しく、下品で、野蛮かつ短い」というものだ。

(chapter10「下品で野蛮で短い」より)

 

自由は扱いが難しく、わたしたちの多くは自由から逃げ出してしまう。ひとつの方法は、自分はあまり自由ではないふりをすることだ。サルトルが正しければ、私たちに言い訳は許されない。自分の毎日の行動や、それをどう感じるかはすべて自分の責任だ。どんな感情を抱くかもである。いま悲しい思いをしている人も、サルトルによればそれは選択である。悲しまなければいけないのではない。悲しいなら、それはその人のせいだ。恐ろしいことだし、あまりにもつらくて直面できない人もいるだろう。サルトルは、わたしたちが「自由を宣告された」と言う。好むと好まざるとにかかわらず、わたしたちはこの自由から逃れられない。

(chapter33「自由の苦悩」)

「悪」や「自由」、「自然」、など、歴史を考える上で大切なエッセンスが本書にはあると思います。

自己流の哲学は好きで親しんでいるとしても「私は哲学は詳しいんだよ」と自負する人は少ないと思います。

勉強してみたいけど、素人だからまずは案内を受けてみたい。そして、どうせ案内を頼むなら、個性を持った職人、語り手を頼みたい。そんな感じの本でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?