エンデのインタビュー
実はケストナーもヤンソンも、僕は少年時代に読んだことはありませんでした。
僕にとって児童文学というときに一番に思い出されるのは、『はてしない物語』であり、エンデでした。
あまり本を読み返す習慣のない僕ですが、大人になり、教師になってから、ふとエンデを手に取ったことがありました。昔も今も、彼は僕にアイディアを与え続けてくれる人のひとりです。
いつか自分も、創作をしたい。そのときには、自分にとってのエンデのエッセンスが、作品に反映されていて欲しい。ちょっと大胆なそんな願いもこめて、これから何度かエンデをとりあげてみたいと思います。
第1回の今日は、エンデのインタビューでグッときたものを紹介します。
歴史をテーマに創作したいと思っている僕ですが、とても参考になるものでした。
エンデがインタビュアーに、「神話」をテーマに語っています。
僕は、これを「歴史」に置き換えて読んだとき、とても共感をおぼえました。
以下、引用はすべて『エンデ全集1巻』の、田村都志夫氏によるインタビュー記事からです。
インタビュアー田村氏の質問が入ります。
「しかし、個人の神話というのがありうるでしょうか?「神話」とは、つねにある全体のものではないのですか?」
エンデの答えは僕には衝撃的。
聞き流せません。エンデは、エンデの言うところの神話、個人の神話の理想像として、『はてしない物語』を執筆したというのです。なんともワクワクするではないですか。
インタビュアーの田村氏は、「神話(ミュトス)」の基本意味は「語り」だと付記します。
「『語り』は根源的なものであり、そこですべてのものは、その時間の中の意味を帯びる」とのこと。
もちろん、少し理解が難しいところもあり、僕にすべて理解できているわけではありません。
エンデも田村氏も、感覚的に話しているようなところもあり、僕のように時代もちがい、言語もできない人間には、少し意味が取りづらい部分もあります。
でも、ここでエンデのいう「神話」は、僕にとっての「歴史」にあまりにもぴったりだ。
僕は、それぞれの人が、自分の歴史を持たなければならないのだと思います。そして、それが、自分の外的な世界に意味をあたえる力をくれると思うのです。
それに、僕も二人の人間が出会うということは、二つ歴史が交差するということだとも思います。
うん、エンデを読んでみよう。それは、12歳の頃の僕との対話にもなるのでしょう。僕も「神話」を持つことができるとして、それができあがっていくためには、エンデの作品を読み返すという行為がどうも必要なようです。
*記事の写真はエンデの若い頃(芸術学校時代)。
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