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シートン あべ弘士 『オオカミ王ロボ』(あべ弘士のシートン動物記①)

僕にとっての本書:
ロボは生きて、死ぬ。なつかしい。


原作はシートンの『オオカミ王ロボ』。
僕がこどものころに読んだのは、絵本ではなかったですね。
本作は、旭山動物園でオオカミの飼育員をなさった、人気絵本作家のあべ弘士氏によるリメイクですね。

オリジナルは、
Lobo  1898
『私の知る野生動物』(1898)より

このnoteでは児童文学をいくつか読んできましたが、これまでとりあげてきた作品で、もっとも古いものとなりました。本作は絵本なので、原作の数分の一の字数ですが、絵がとてもがんばっています。

出版年を調べましたが、「ロボ」は19世紀末の作品だったんですね。
シートン氏は1860年生まれ。

あべ弘士氏の絵。「ロボ」へのリスペクトを、僕は大いに感じました。

シートン氏は、1860年うまれ、イギリス出身です。おさないころに、父親の事業の失敗で、カナダに移住。その後、イギリスの美術学校へと進学。シートン氏の動物や自然を見る目は、イギリスとカナダを行き来した経験からきているようです。

誤解をおそれずにいえば、このころのカナダは、イギリス人からみたら植民地に近い感覚だったと思います(というかそのもの)。失礼を承知で申し上げれば、敗者の移住に近かったことでしょう。シートン氏の移住にも、そういう意味合いがもしかしたらあったのかもしれない。

でも、シートン氏の作品は、動物と人間の物語が多いですけれども、そうした自然を観察するシートン氏の目は、勝ち/負け を超越しているように思うことがあります。

この本でいっても、ロボは勝者とも敗者ともいえる。

19世紀の後半は、第2次産業革命の時代で、移民の世紀でした。仮に落ち延びるような移住をする人がいたとして、それはそれで、めずらしくもないことだったのでしょうか。

移民の世紀。価値観が転換していく時代。シートンの時代。

そして、シートンの父親は厳しかったそうです。読んで良い本は、キリスト教に関するものだけだったらしい。

猪熊葉子氏の『大人に贈る子どもの文学』という本でたびたび言及されることですが、児童文学作家には、自分が幼い頃に経験したくてもできなかったことを、創作に反映させる、そういう傾向の強い作家がいるということでした。

ぼくが最も関心を抱いているサトクリフも、そうしたタイプの作家。

さて、『オオカミ王ロボ』は、どの版か記憶に定かではありませんが、僕自身は幼い頃によんでいたく感激したおぼえがあります。

ロボのブランカをよぶ声が、岩山からひびく。
だが、いつもとちがい どこかものがなしい。

やがて、ロボは岩山からおりて、
ブランカの死んだ場所を見つけた。

「ウォーーッ ウルルーーー ククーーーーンッ」

心の奥がはりさけ、しぼりだしている。
オオカミのこんな声を、わたしは はじめて聞いた。
そして、ロボが 牧場小屋の近くに現れた。
となりの納屋には、死んだブランカがいる。

第5章 「ロボ」、 より

僕が歳をとった今も「ロボ」に対する感激を忘れていないのは、ぼくと「ロボ」のあいだにちょっとしたエピソードがあるからだと思っています。

それはたぶん、小学2年生の国語の創作の課題だったと思います。「ものがたりの続きをかいてみよう」というようなコーナーがありました。

友達がみんな何を選んだのかは覚えていませんが、僕はロボを選びました。そして、続きを創作した。

僕が書いた「ロボ」の続き話に感激した司書の先生が、全文を手書きの「図書だより」に載せてくれました。僕はおどろきました!

図書の先生は、「これは全校生徒、保護者に知らせるべきだ」と思ってくれたのだそうです。

全校生徒数は、100人は切っていましたけど…
僕がいた2年生は、13人しかいなかったけど(僕はある種の僻地の出身です)。

とても誇らしい気持ちになったことを覚えています。

その後、僕は長じて、スポーツにうちこむ日々をおくり、読書から遠ざかった時期もありました。それでも、作文はずっと好きだった。自分では、それがなぜだかわからずにいましたが。

でも、7歳か8歳のときに「図書の先生が感動してくれた!」という経験は、もしかしたら小さくない理由なのかもしれない。最近、noteなんかを書いていると、ときどきこの思い出があたまをよぎります。

ロボ、2年生の僕、図書の先生、ぼくは作文が好き。

そうして、僕は歴史の教師になり、趣味で創作めいたものをやるようにもなりました。人の目に作品がふれる、という感覚が嫌いではないのは、「ロボ」と司書の先生のおかげなのかもしれません。

ギターまで弾くのは、まあ出たがりなだけだとおもいますけど…

ところで、僕が書いた「ロボ」の続き話は、どんなだったかというと、ロボとブランカには実は子どもがいて、この子が語り手のシートン氏らに復讐にくる、というものでした。

結末は、覚えていません。ただ、そのストーリーは、8歳の僕と40歳の僕のあいだをつないでくれているようです。

シートン氏は1860年生まれ(くどい)。たぶん、児童文学史の中でも古株にあたる方でしょう。これより以前の作家は、パッと思い当たったのはディケンズやルイスキャロルでしょうか。

児童文学史を学ぶことが必要だ。


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