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【閑話休題#1】教師がnoteをやることの意味
こんにちは、三太です。
今日は閑話休題ということで、教師である自分自身がnoteをやることの意味について書きたいと思います。
noteを始めたときに書いた、noteを始めた動機は、
①インプットとアウトプットのバランスを取りたい
②今年は「トライアル&エラー」の年にしたい
③自分も生徒がやっているように、何かを探究したい
というものでした。
今回はこれらに付け加えて、動機というか、教師がnoteをやる意味について少し考えてみました。
それは、教師をしていても、やりたいことをやることができるということを示したいなということです。
これまで出会ってきた生徒の声で「先生、あまり働きすぎず、ゆっくり休んでくださいね」「教師はとても忙しそうですね(=あまり魅力的ではないというようなニュアンス)」というようなものが少なからずありました。
「忙しそう」だけならまだしも、「教師って大変そう・・・」と生徒に見えていたのなら、それは大変残念だなと思います。
もちろん大変な部分もありますが、私は、教職はとても魅力的な仕事だと感じています。
子ども一人ひとりの成長を間近で感じられますし、何より自分自身も一緒に成長していける職業です。
このnoteに取り組むことによって、忙しい教職でも工夫すればやりたいことをやることができるよということを示したいです。
このことに関する話で言うと、最近教師が忙しくなってきたため、郷土史を調べるような(あるいは歴史を調べるような)教師が減ってきたという話を聞いたことがあります。
私は国語科の教師なので、少し違う部分もありますが、このことも大変残念だなと思います。
こんなことを思っていたときに、ブックオフで礫川全次さんの『独学で歴史家になる方法』に出会いました。
礫川全次さんは在野史家で、多くの著作を出されており、独学でその地位を築かれました。
そんなすごい方からは学べることはたくさんあるだろうと思い、この本を読み進めていきました。
この本の中に「ブログを研究日誌として活用する」という文章があり、その中で「ブログを通し未知の人々と交流する」という言葉がありました。
ここに書かれているブログはnoteに置き換えることができると思います。
これだ!と思いました。私もそのようにnoteを利用していきたいと考えました。
また、そうすることで私と同じように吉田修一さんが好きな人や小説、映画が好きな人とつながることができると考えると、とても素晴らしいと思います。
以上、教師がnoteをやることの意味は大きいと考えています。今後も継続してnoteを書いていきたいです。
では、今回も読んでいただきありがとうございました。