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【作品#1】「最後の息子」『最後の息子』
こんにちは、三太です。
では、早速、吉田修一作品を時系列に読み直していきます。
まず一つ目の作品は「最後の息子」です。初出年は1997年(6月)。
私は文春文庫の『最後の息子』で読みました。
あらすじ
まずは、この本を読んでみての自分なりのあらすじを紹介します。
ぼくが、別れた閻魔ちゃんと過ごした日々のビデオを見返している設定。K公園で大統領という名の友達がホモ狩りにあったのはLGBTの話、ぼくの母親の家出などについては女性の人権の話に通ずる。閻魔ちゃんはぼくに対して、「あなたは自分(閻魔ちゃん)の住む世界とは別の住人」という意味で別れの置き手紙を置いたんだと思う。
あらすじのつもりで書いたのですが、改めて読んでみると、話の筋がよくわからないですね・・・。とりあえず主な登場人物は押さえていると思うのですが・・・。
そのため、Amazonの内容からも、あらすじを引用しておきます。
ゲイバーを経営するオカマの閻魔ちゃんの家に転がり込んだ「ぼく」。昼過ぎまで寝て、起きたら読書したり散歩したり、ときどきはガールフレンドとデートしたりと、気楽な日々を過ごしているのだが、ある事件を契機に、そんなモラトリアム生活がうまくいかなくなってしまう。「ぼく」のビデオ日記に映っていたものとはいったい――?
おおよそ以上のような話であることをつかんでおきたいと思います。
出てくる映画(ページ数)
さて、この作品には映画が出てくるのでしょうか。
読んでいくと、2つの映画が出てきました。
1 「いとこ同志」(p.27)
この日ぼくらは二人でビデオ屋へ行き、散々迷った挙句にクロード・シャブロルの「いとこ同志」を借りてきた。(中略)このとき借りた「いとこ同志」は、古いフランス映画で、ぼくも大統領もその監督が好きだった。内容はと言えば、とことん運の悪い青年の話だったのだが、それほど悲愴感もなく最後まで観ることができた。
2 「フレンズ」(pp.67-68)
小学生の頃、偶然テレビで見た「フレンズ」という映画を、最近よく思い出す。この映画は、ぼくや右近、それに大統領が生まれた年に撮られたもので、フランスの田舎町が舞台になっている。優れた映画だとは言えないが、生涯忘れられないだろう、あるシーンをぼくはこの映画の中に持っている。
これは、家出をした十四歳の男の子と女の子が、田舎で二人だけの暮らしを手に入れようとする物語だ。廃屋に住みついた金もない彼らは、愛だけで暮らしていこうとする。しかし、そんな生活が長続きするわけもない。男の子が市場から盗んできた一匹の魚を、二人で分け合うような暮らしなのだ。そんな中、男の子が町の闘牛場で清掃員の仕事を見つける。そして、この映画の中、ぼくが一番好きなシーンになる。
満員の観衆の中に少女の姿がある。始まった闘牛に立ち上がって熱狂する観衆の中、彼女だけが、ぽつんと一人座ったままでいる。見事なファエナで牛が殺され、マタドールが退場したあと、次の試合のためにグランドの清掃が始まる。興奮していた観衆は一人二人と腰を下ろしてしまう。そんな中、少女が勇敢にも、一人立ち上がる。そして箒を持ってグランドに現れたその少年に、彼女は歓声を上げ、誇らしげに拍手を送るのだ。
ぼくはこのシーンを思い出すと、急に素っ裸になったような気がする。もしもぼくがグランドを清掃するとして、誰がこの観衆の中、立ち上がってくれるだろうか?そして、その立ち上がってくれる人を、ぼくはこの少年のように大切にしてやれるだろうか。
映画名だけ書いても良かったのですが、映画の内容について少しわかる文章でもあったので、今回はどちらも長めに引用してみました。
感想
そもそもこの作品自体が映像を見返しているという設定でした。
どこか映画とのつながりを感じさせるものです。
あとは、はじめのあらすじにも書いたように、LGBTや女性の人権に通じることが取り上げられていて、25年前の作品ですが、現代に問題となっていることと結びつくなぁとも感じました。
そんな吉田修一デビュー作でした。
次回からはここに出てきた映画を見ていくことにします。
読んでいただき、ありがとうございました!