【その1】自律神経失調症/不安障害との出会い
noteするなら書いてみたいと思ってた。
ある日、自律神経失調症と不安障害と診断され、この状態と付き合ってもうすぐ10年が経ちます。今は完治よりうまい付き合い方を模索中。
同じような症状を抱える人たちのブログやSNSにたくさん助けられたり、自分もこれ試してみようという参考になったりしたので、私の事もここに書くことで誰かの何かになるかもしれない。と思って書きます。
きっかけは、人とごはんが食べられなくなったこと。
その時期の私は仕事も新しい部署へ所属され、新たに知識やスキルを身に付けていくことが楽しく、上昇志向も強かったのでしんどいと思ったことはなかった。
でも突然、同期たちとのお昼ごはんを一緒に食べられなくなりました。
いつも一緒に食べてたのに、急に”人前でご飯を飲み込む”ことができなくなりました。いつもと同じごはんなのに3分の1しか食べられない。
しかし、自宅では普通に晩ごはんを食べることができました。なぜ?
変だなとは思ったけど、とりあえず同期にはごはんは別で食べるねとだけ言って、自席でひとりで食べることにしました。すると普通に食べられる。なぜ!?
飲み込むということに何か問題が出ているなということで、内科・耳鼻咽喉科などを受診したけど何も異常は見つからない。デスクワークで肩こりが慢性的だったので、一応、整形外科でつけたままでOKタイプの鍼をつけてもらった。
鍼をつけたまま職場に行くと、経験したことのないめまい…!!足元がふらふらしてとてもPCの画面も見ていられなくなり、トイレに駆け込んだ。やばい、立ってることすらできない。
結局その日はそのまま同期にタクシーをつかまえてもらい、整形外科へ直行した。着いたときには涙が止まらず、経験したことのない状態に自分が自分じゃないみたいで恐怖しかなかった。何が起きているのか分からない。
泣き止まない私に、整形外科の医師がすぐ近くの大きい総合病院に行くよう勧めてくれ、病院側にも連絡してくれたので、乗ってきたタクシーで総合病院へ。到着すると看護師が待ってくれていた、本当に感謝…。
そこでそれはもう色々検査した。できる限りの検査を。どこにも異常がなかった。そして私は「自律神経失調症」と診断された。(この時はまだこれだけ)
人前で突然ごはんが食べられなくなり、めまいが止まらない、他にもおかしいところが多く、でも病院をはしごしても異常が見つからない状況に不安は募るばかりだった。だから、大きな病気の可能性はないと分かった事と病名が分かった事で、この状態になって初めて、自分の中でひとつ心が落ち着いた。そうか、病名分かってよかった…。
ところで、それ何?
自分とは無縁だと思っていた。
「自律神経失調症」って聞いたことなくて医師に説明を受けた。
かなりざっくり言うと、身体の異常は見られないがストレスや生活習慣など様々な要因で心身に不調が出る症状の総称みたいなものだと分かった。
心当たりがないか聞かれたが、最初にも書いた通り、私は仕事でも新しい業務に前向きに取り組んでいて、嫌だと思ったこともないし、人間関係にストレスも感じていない。元々自他ともに認める(?)強メンタルでもあるし、ハッキリ物を言う人間なので不思議で仕方なかった。
その反面、精神的な部分も要因のひとつだと分かり、自分とは無縁のものだと思い込んでいたのでショックを受けた。これは私が「完璧主義の人間」だからという部分が結構関係していると思う。
きちんとやってきたのに、体がまともに起きてられないほどの症状が出てしまった。それがかなりショックだった。全然自己管理が出来ていなかったんだ、と自分を責めるしかなかった。
はじめての過呼吸と救急車。
その後、とりあえずこれを試してみようという感じで薬を貰い帰宅。
・・・それから数日後、深夜に突然、呼吸ができない感覚に、目が覚めた。
あちこちおかしくなってはいたが、生命の危機を感じた事はなかった。
今回のこれはやばい、死ぬかもしれない…!と思った。
その頃の私は実家から離れて一人暮らしをしていた。
どうするべきか分からず、よく連絡をとっていた他県に住む友達に電話した。「呼吸ができない」みたいな、もう何て言ったか覚えていない。
友達はド深夜にもかかわらず電話に出てくれて(本当に感謝している!)紙袋か何かを口にあててゆっくり呼吸するよう教えてくれた。
ビニール袋しかなかったのでそれで呼吸をしてみたけど、全然、もう息の仕方が分からないパニック状態だった。意識が遠のいていく感覚もした。
そこで友達が救急車を呼んだ方が良いと言ってくれて、人生で初めて自分で救急車を呼んだ。救急車呼ぶかの判断って経験がないと自分じゃ判断しづらいよね。
電話すると「外には出らず、できれば玄関で座って待っててくださいね」と言われた。
朦朧とする意識の中で(さすがにこの格好はなぁ…)と思って、寝間着から外に出られる寝間着に着替えて貴重品を手に玄関に座り込んだ。こんな状態でもそういう余力はあったらしい。
数分で救急車のサイレンが聞こえたとき、近隣の皆さん深夜にお騒がせしてすみませんと思いながらも、その音にめちゃくちゃ安心したのを覚えている。
意識は朦朧としていたが、少しマシにはなった。安心したからなのかな。
救急車の中で隊員の方が名前などを聞いてきた。出身地を答えると、「〇〇県ね、良いところだよねぇそこねぇ」と返してくれたのを今でも覚えている。そんなやりとり一つでまた少し落ち着いた。本当に感謝…。
病院に到着し、検査や点滴諸々していただき、「過呼吸」だと分かった。
これが過呼吸なんだ…と身をもって知った。本当に死ぬかと思った。
朝になれば主治医が出勤するが、一旦帰宅してまた来院するか、このまま入院して主治医を待つかと聞かれたので「入院させてください」とお願いした。
点滴や何やで落ち着いたとて、こんな状況を経験したばかりで、またあの状態になったらと思うと一人暮らしの部屋に戻るのは恐怖でしかなかった。
そのまま入院となったが、翌日自力で自宅に戻るのすら無理なのでは?と何となく感じ、ドドド深夜だったけれど、母に電話した。
寝ていたらしく(そりゃそうだ)電話に出なかったけど、何事かとすぐに折り返しがあり、状況を説明して「明日迎えに来たりできる…?」と聞いてみた。実家は他県なので飛行機を急遽とらなくてはいけない、飛行機代もかかるし、明日の仕事も休ませなくてはいけない。色々と大迷惑なのは理解していたけど、それでも頼らずにはいられないほど私は落ち込んでいたし、感じた事のない不安も抱えていた。
翌日の昼頃、母が慣れない飛行機に乗って、慣れない場所でタクシーを使って病院まで来てくれた。やっと、心からホッとした。
【その1】はここまでで。
続きはまた今度書きます。
おわーり。