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Superflyのライブで涙涙、という話
本日3/21、ツアーファイナルがWOWOWで生中継される、Superfly。
先日、初めてライブに行くことができた。
よる年波か、涙もろくなって、盛り上がる曲だろうと何だろうと、しみじみと喜びで涙がこぼれた。
十数年前、「愛をこめて花束を」をCS放送で聴いてすぐにCDを買った。
今どうしてるかな?という緩い頻度で恐縮ながら、結婚しても子供ができても、ずっと聴いてきた。
そういう人が、遠目ではあるが同じ空間にいて、動いて、歌っているのだと思うと、奇跡のようだなと思えたのだ。
彼女の声はパワフルで伸びやかで、蒼天を駆けるようだ、と思う。
聴き始めた頃は、鼓膜から脳天へ突き抜ける、パッション溢れる強さに惹かれていたのだが、少し経ってから、この人の声は、切ない別れを歌うスローな曲も色彩豊かで素晴らしいと気づいた。
雲間で煌めく夕日とでもいうのか、雲の切れ目から、きらっ、きらっ、と鮮やかに輝く情感がこちらへ刺さってきて、ときに雲に隠れて雲のふちを柔らかな黄金色に染め、グラデーションのように空に溶けていく優しさがある。
客席は暗いしマスクもしているのを幸いに、こぼれる涙もある程度そのままにして聴き入った。
ライブの中で何度かある衣装替えも、楽しみにしていたものの一つ。
どの衣装もよく似合っていて、素敵だった。
MCでは、コーラスやバンドの方々の笑い声がめちゃくちゃマイクに入って、温かさを感じる。
音楽に特化したイベントに足を運ぶのは久しぶり。
歌舞伎の音に慣れすぎた耳が、ギュイーーーんと唸り叫ぶギターにびっくりしたり、ドコドコするバスドラが動悸じゃないよなと思ったりもあった。
いい記念になったし、ちょっと自分の中で情報をアップデートできた、という気持ち。
アップデートと言えば、アーティストによってファンのカラーが違うのは分かっていたつもりだったけれど、本当にそれは「つもり」だったのだと痛感した。
今回、いく途中の電車も、会場のグッズ販売所もフォトスポットも、いる人々がとても飾らないというか、気張らない、悪い意味でなく「日常」だった。
BUCK-TICKとか黒夢とかイエローモンキーとか、そういうライブのイメージがわたしは強すぎて、しかもそれもずいぶん昔のまま、停まっていたのだ。
たとえば車両にいる人のほとんどが黒い服だとか、アクセサリが骨っぽいとか、そのアーティストのカラーに合わせつつ、とにかく共通として、フツーの服で行ったら浮くぞ、みたいな記憶があった。いかん、化石になりかかっていた。
そうか、こういう感じもあるのか、と心の中で頷きながら帰ってきた。
これは個人の好みによるとは思うけれど、わたしは予習をしていく方がいいタイプなのだとつくづく感じた。会場に着くまで、とにかく『Heat Wave』はじめ、Superflyを聴きまくった。おかげでとても楽しめたし、初期の曲も含めて、聴きたい曲がたくさん聴けて、心から嬉しかった。
来月は歌舞伎座に行く予定なので、今、自分の中でこれまでにないぐらい予習をしている。
どなたかのお役に立てそうなものを書けたら良いのだけれど、まだまだ力が足りないかもしれない…。