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敷居は越えても縮まらない距離。歌舞伎『御浜御殿綱豊卿』(配信)

ゴールデンウィークに、2024年3月 歌舞伎座の演目のアーカイブ配信を見た。

社会人生活が長くなったせいだろうか。
この物語の構図の救いのなさというか、いかに客席から観て綱豊が信用できそうでも、状況を考えたら助右衛門が真実を打ち明けるわけがない、と理解できるようになった。

ところが、それでも面白いのが、歌舞伎のすごいところ。

絶望的な現実を見せつけながら、一方で、不可能が可能になるかも知れない一瞬を期待させる。
観客の方から騙されに行くというか、夢を見に行ってしまう。それも何度も。

この物語を、スケールダウンで恥ずかしいけれど…「会社」組織に例えるなら。

会社の重要セレモニーで、赤穂拠点の拠点長が偉い人と揉めて、傷害事件に発展。
赤穂拠点長は責任をとって死亡、拠点の解散で助右衛門も解雇されている。
綱豊卿は、代表取締役でこそないが、取締役役員くらいではあり、限りなくトップに近い。
元・末端社員の助右衛門は、まだ会社に残っている妹のツテで、取締役主催の従業員向けイベントに紛れ込む。
赤穂拠点長の仇の顔をチラ見したいだけなのに、取締役役員に「ちょっと話そうよ」なんて呼び出された。

状況を、会社に例えてみる

助右衛門は、そりゃあ嫌でたまらないだろう。

我らが拠点長が揉めた相手は、現在も会社にいて、会社のセレモニーやら大切な接待やらに欠かせない知識を、たんと持った高貴なお家柄。

わたしなら思う。
「会社は、地方拠点の拠点長より、高貴なお家柄の言い分を採ったってことですよね? あなた(綱豊)も、そっち側ですよね?」

その「会社」の人が、酔っ払い加減で言う。
「それで…大石さんだっけ、元・拠点長代理はどうしてる? 仕返しするって言ってる?」

この状況で、しかも初対面で、
「準備はしてるんですが、まだGOが出ないというか…」
なんて打ち明ける気には、わたしでもならない。

物語の中では助右衛門は敷居を越えるが、2人の見る世界は交わらない。

最後、能のシテ姿の綱豊に諭されて、ようやく助右衛門はそうかと平伏するが、それでもきっと、2人が完全に同じ場所で話せるときなんて来ないだろう。

そんな救いのない構図なのに、次第にテンポが上がって白熱するセリフの応酬に、観客は「もしかしたら」を抱く。

何度も見ているのに、何度でも。

この、芸が現実を超える、歌舞伎の魔力には感嘆せずにいられない。

片岡仁左衛門の綱豊は、美しい。

心地よく酔わせてくれる、爽やかでいて艶のある口跡。
知的な目つき、朗らかな笑顔。
(口元のしわがこんなに魅力的な役者を他に知らない。)

この麗しい綱豊は、「生まれてこのかた、銭々(ぜぜ)というものを持ったことがない」し、「仕事で女遊びするのも、さのみ楽しくない」し、一流の学者に「あっばれ」と涙されるほどの学識がある。

その風格、表現される人物の深さ、鋭さ、一種の横暴さ、どれをとっても非の打ち所がない。

《忠臣蔵もの》で神格化というくらい優れた大人物になりがちな大石内蔵助も、綱豊から見れば、外様大名のいち家老よな、と納得させる。

大石内蔵助は舞台上にいないが、たぶん観客の中にはそれぞれ在るだろう、立派な大石の姿。それを、ゆうに超えてくる仁左衛門の綱豊のスケール感。

この人の綱豊を観ると、まさに《当たり役》とはこういうことで、他で安易に使うまいと思う。
役と芸とニンの、硬く美しい結晶とでも言うのか、圧倒的な輝きは実に奇跡的だ。

松本幸四郎が、助右衛門を演じている。

綱豊と助右衛門には、その環境に天と地ほどの差があると考えれば、なるほど松本幸四郎の、どう演じたいのだろうかとこちらが考えながら見てしまう冨森助右衛門も、これはこれで一つの正解かもと思えてくる。

助右衛門の妹おきよ役は中村梅枝。
わたしにとって、役者を見て「錦絵のようだ」とか、「名優のブロマイドのようだ」と感じるのは喜び。
彼のお三輪を観るために、6月の『妹背山婦女庭訓』(三笠山御殿)に行こうと思う。

長文、お読みくださってありがとうございました。

*タイトル画像は、歌舞伎美人ニュースアーカイブより。

*歌舞伎演目案内『元禄忠臣蔵』

*歌舞伎座 6月大歌舞伎