千鳥の「その後」をご存知でしたか…?歌舞伎『平家女護島』俊寛【ちょっと予習】
2024年歌舞伎座、10月は昼の部に尾上菊之助の「俊寛」。
わたしの中では、今年一番、意外な配役(しかも初役だそうで)。
吉右衛門、勘三郎、仁左衛門など多くの俊寛が記憶に残っているが、観るのが久しぶりなので、予習してみた。
🌊⛵ 基本情報
『平家女護島』、作・近松門左衛門。
享保4(1719)年8月、全五段の時代物で人形浄瑠璃として大坂竹本座で初演された。歌舞伎での上演は享保5年正月、大坂中の芝居。
歌舞伎や文楽で「俊寛」は『平家女護島』の通称としても使われるが、細かくは『平家女護島』二段目「鬼界ヶ島の段」のこと。
『平家物語』の《足摺》と、謡曲『俊寛』を下敷きに書かれているが、海女千鳥は近松門左衛門のオリジナル(『平家物語』にも謡曲『俊寛』にも千鳥は出てこない)。
なぜ、”女護島”?
歌舞伎の「鬼界ヶ島」の場(俊寛)を見ると、千鳥を除いて登場人物はみんな男なのだが、全体をみると、俊寛の妻の東屋、義朝の妻常盤御前、海女千鳥と、キャラの濃い女性が複数、登場する。
中でも三段目「朱雀の御所」では、女が夜な夜な若い男を御殿に引っ張り込むという”吉田御殿”の巷説が取り入れられており、このあたりが”女護島”とついている理由らしい。
そういえば眠狂四郎にも、将軍の娘菊姫が、夜な夜な人間を屋敷へ連れ込んで、遊び飽きると殺してしまうという、”吉田御殿”を連想させる話があったなぁ。
🌊⛵ 『平家女護島』 各段あらすじ
俊寛の愛妻東屋はどんな人か? 船に乗った千鳥はどうなったのか?
俊寛に関係しそうな部分を、浄瑠璃『平家女護島』から拾ってみた。
*内容は日本古典文学大系『近松浄瑠璃集 下』に拠っています。歌舞伎とは異なる場合があります
■ 一段
俊寛の妻、東屋は捕らえられ、清盛の前に引き出される。
彼女のあまりの美しさに清盛は、歯もまばらな口をポカンと開けて見惚れ、自分に仕えよと迫る。
清盛の命に従い東屋の縄をほどこうとした瀬尾太郎は、身分の低いお前なんぞが触るなと東屋に手ひどく拒絶される。
平教経は、清盛に仕えることを承諾しない東屋に自害を赦し、彼女の生首を清盛に差し出す。
「敵かもしれない女を、顔貌が気に入ったとそばに置くのなら、顔のほかは要らないでしょう」。
教経の言葉に、清盛はそれ以上怒ることもできない。
■ 二段
中宮徳子(清盛の娘で高倉天皇の皇后。のちの建礼門院)の無事出産を願う大赦のため、鹿ケ谷の陰謀の罪で鬼界ヶ島へ流されている者を迎えに行くのは丹左衛門尉基康と、瀬尾太郎。
丹波少将成経と、平判官康頼には赦免状があるが、清盛は俊寛だけは許さない。
平教経は、島に一人も残すなと重盛は言ったのだからと、俊寛のための赦し文を書き、通行手形は二人から三人へ書き換えて丹左衛門尉基康に渡す。
*このあとが、「鬼界ヶ島」(俊寛)の場面。あらすじはこちら↓
■ 三段
平重盛は、民の訴えを耳にする。
「朱雀の御所」のあたりを通ると貴賎を問わず男は行方不明になるという。その数は50や100ではない。
若い男を引き込んでいたのは常盤御前と、侍女に化けた牛若丸。
東屋は貞女の手本だが、比べてあなたはどうだと詮議の者に諌められ、常盤御前は、自害して源氏のためになるならそうするが、生きて耐えるのはもっと辛い、と返す。
常盤御前が男と見れば引き込んでいたのは、男狂いのためではなく、牛若丸とともに源氏の兵を集めるためだった。
■ 四段
御赦免により鬼界ヶ島を出た成経や千鳥たちは、筑紫・周防灘を経て備後の敷名の浦に着く。
そこに清盛と後白河法皇の乗った船が、厳島参詣のために通りかかる。清盛が後白河法皇を殺そうと船から落とす。
海女の千鳥が得意の泳ぎで後白河法皇を助ける。しかし、怒った清盛によって、千鳥は蹴り殺されてしまう。
千鳥の骸から出た業火に慄いて、清盛は都へ帰るのだが、以来、清盛は身体が灼けるような熱に苦しむ。
千鳥と東屋の亡霊が、入れ代わり立ち代わり責め立て、ついに清盛は悶死する。
■ 五段
文覚は平家追討の院宣を受け、頼朝の居る蛭ヶ小島へ急いでいる。途中で仮寝すると、頼朝の挙兵から教経の最期までを予知夢のように見る。
これも正八幡のお告げと喜び勇んで、文覚は東へ向かう。
🌊⛵ キャラクタの面白さ
瀬尾や千鳥など、物語全体を読むことで分かる姿もある。
1. 「役人」瀬尾太郎
赤面の敵役の彼は、いつも自分の職務の権限範囲を守って仕事をしようとする。
それなのに、東屋から手ひどく罵られたり、教経と丹左衛門によって赦免の内容が変えられたりする。
瀬尾の「慈悲も情も身共は知らぬ」のセリフは、敵役の憎々しい調子で放たれるが、組織に生きる者の現実的な一面でもある。与えられた命令を変える権限は自分にはない、って場面、よくわかる。
「さように物が自由になれば、赦し文もお使も、なんの役に立たぬというもの」。
わかるよ、瀬尾。
そう感じるのはわたしだけ?…と思っていたら、『歌舞伎オン・ステージ12』に、こんな芸談が載っていた。
中村魁車は戦争で亡くなっている。芝居を見てみたかった。
2. 俊寛の嘆き節
『平家物語』での俊寛は、お祖父さんが怒りっぽい人で俊寛も気性が激しい、信心が足りない、といった描かれ方。
『平家女護島』は地の文でそこまで書かないが、彼の嘆き節は、周囲の人間をしばしば困惑させる。
たとえば俊寛は、成経と康頼に「仲間は我ら3人しかいないのに、なぜもっと頻繁に訪ねてくれないのか」と恨み言をいう。
赦免状を読み上げた瀬尾には、自分の名前を「読み落とした」と抗議し、書状に俊寛の名前はないと判ると、「入道どのの物忘れか」「筆者の誤りか」。
同じ罪で同じ配所、非常の大赦という同じ境遇のはずなのに、菩薩の慈悲にも分け隔てがあるのか、と嘆く。
とにかく誰かしら責める。なんていうか…リアクションに困る。
しかしこの生々しいキャラなればこそ、最後の崖の場面が盛り上がる。
3. 物語を動かす「海女千鳥」
「鬼界ヶ島」の千鳥は溌剌として、健気で、恋に生きる可愛い娘。
その美しさは「なぜ海女に生まれたのか」と思うほどだと浄瑠璃では書かれているが、千鳥は気立てもよく、強い訛りが却って京の言葉よりも心に沁みる、と成経はベタ惚れ。
俊寛は自分の赦免を諦めて、千鳥を船に乗せるわけだが、そのことが不思議にも、俊寛の望んだ平家打倒の流れを作っていく、という展開になっている。
自己中心的だった俊寛に、「他者のため」を選択させる存在が、千鳥。
鬼界ヶ島を出た彼女は「海女」の本領を発揮して後白河法皇の命を救い、清盛の死という平家衰退のきっかけに関わっていく。
千鳥は、単なる”紅一点”ではないのだと知ると、「鬼界ヶ島」の彼女が眩しく、興味深く感じられる。
🌊⛵ 3階席が特等席に
歌舞伎座の三階席は、舞台全体を見られると言えば聞こえはいいが、正直、舞台から遠いし足元は狭い。(わたしはほぼ毎回、三階席)
ただ、『俊寛』の幕切れは、三階席が特等席ではないか、と思っている。
成経と康頼、そして千鳥が乗った御赦免の船が島を出ていく。
俊寛は船の姿を追いかけて崖に上がる。
はじめは舞台の下手に向いているこの崖は、俊寛が登るのに合わせ、ぐーっと回って正面へ向く。
崖は、写真や映像から想像するより、ずっと高さがある。
三階席にいると、俊寛の放つ感情を、正面から浴びるような気持ちになる。
手が届きそうなところに、俊寛の孤独があり、絶望があり、あるいはそれを超えた境地を映す瞳がある。
岩を叩く波の音、松を吹き上げる潮風。誰も居ない何もない、ぐるり果てしない海。
突き出した崖の先端にいる俊寛と一緒に、これを味わえるのが三階席。たぶん。
尾上菊之助がどんな「俊寛」を見せてくれるのか、楽しみにしている。
参考書籍
日本古典文学大系50 「近松浄瑠璃集 下」
歌舞伎名作全集 第一巻
近松全集 第11巻
新編 日本古典文学全集 76
新編 日本古典文学大系 謡曲集2
謡曲百番 新日本古典文学大系
カブキ101物語
歌舞伎オン・ステージ 12
中村吉右衛門の歌舞伎ワールド
中村吉右衛門 舞台に生きる