この10年で現実世界はどうなったか_映画『進撃の巨人 THE LAST ATTACK』【映画感想】
*ネタバレしております。ご注意ください*
映画版『進撃の巨人』完結編を観てきました。
ラストシーズンも、テレビと配信で見ていたので、映画へ行く必要はないかも?という気持ちもあったが、これは劇場版を見て正解だった。
ゴゴゴゴゴとシートが揺れるような「地ならし」、ミカサの風を切る立体機動のアクションなど、スクリーンで体感すると、テレビサイズとは桁違いの迫力である。
2013年からテレビアニメが放送され、2023年に完結編が放送された《進撃の巨人》。今回の劇場版は、完結編の最終部分にあたる。
エレンとミカサ、アルミンは生まれたときから、高い壁に囲まれた街に育った。
ある日、突然その壁が巨人によって破られる。
街を壊し、家族や仲間を殺した巨人を憎むエレンは、巨人を駆逐すると心に誓って訓練兵団に入る。
兵士となって巨人と戦ううち、エレンにも巨人化の能力があることが分かる。
はじめはその力で人類を守っていたエレンだが、やがて彼は兵団から離れ、なんと人類を巨人によって踏み潰す「地ならし」を実行する。
さすがに、《進撃の巨人》を一切見たことがない、という人がいきなり見るには適さない。
けれども、一番最初にドカンと現れて壁を壊したのが、実はベルトルトとライナーだったんだよ、というあたり(2期かしら)まで分かっていたら、それ以降を見ていなくてもついていける気が…しなくもない。
上演時間は145分。
ぎっちりと弛みなく、きれいにまとめられている。オープニングもエンディングも挟まず、ぶっ続けで、「地ならし」から丘の上の木まで見られるのは、予想以上に気持ちが良かった。
第一章「地ならし」、第二章「罪人たち」、第三章「天と地の闘い」、第四章「あの丘の木に向かって」という構成になっていたと思う。パンフレットも買ってないので違っていたらごめんなさい。
映画が始まったらいきなり「地ならし」なので、145分ずっとクライマックスと言っていい状態。もしやこれは…と思っている間に、ハンジが飛行機の整備時間を稼ぐために、巨人を食い止めるくだりになる。
テレビ放送でも、嘘でしょウソうそ嘘!?と動揺しながら見たシーン。
燃え落ちるハンジの姿に、機内の面々と同じくわたしも涙が…。
不気味な骨格標本みたいになったエレンが刻々と近づいてくる「地ならし」の仕上げのシーンは、テレビ版で見ていたときは、肝心なときにアルミンいつまで寝てんだよ!と苛立っていた。
けれども、こうしてみるとジークとアルミンの、砂いじりしながらの会話は、人類って何してんだろ、なんで生きてるんだっけ?という重要な問いかけだったと分かる。
テレビ放送を全部見返すのは時間がかなりかかるけれども、劇場版はきれいにまとまっているので、振り返りに最適。
痛みと悲しみの「地ならし」から途切れずに、謎解きというかエレンの苦悩の告白へ繋がっていくので、メッセージもつかまえやすい。
血の海の中でエレンは、どうしてこんなことになってしまったんだろうと嘆き、ハッとして「…バカだからだ」と呟く。
なんでもない自分みたいなものが大きな力を持ってしまったから、こんな選択しかできなかった、と。
強大な権力を持つ者が、良い選択をできる人間とは、限らない。
バカに権力を持たせると悲惨な末路しかない、という意味のことをエレンに言わせていて、この部分はテレビ版よりも、劇場版のほうが強烈な響きを持っていた。
「地ならし」の悲惨なシーンからノンストップで見られることの効果だろう。
対話を諦めないアルミン、同じ痛みを味わってようやくライナーを許せるコニー、因縁のジークとリヴァイ兵長、ミカサとアニの対比など、生きること戦うことの痛みが凝縮された145分。
TVアニメを見始めてから10年。現実世界は、恐ろしい方向へ変わった。
見始めた頃は、モンスターVS人間という単純な(?)話かなと思った。
背景に血筋や民族の話が出てきてもまだ、いつかの時代の遠い国のように思えていた。
ところが争いは結局のところ人間VS人間で、いま現実世界でも壁は壊され、「地ならし」の足音がいつ聞こえてもおかしくない。
エンドロールのあとの映像は、いくらか救いがあるというか、クスッとできる内容ではあるけれども、ふと、これって近い未来のことなのか、それとも我々が「地ならし」で絶えたずっと後のことなのか、どちらだろうなぁ、と思ってしまった。
長文お読みいただき、ありがとうございます。