闘病記その2
さて続きを書くとしましょうか。
能天気にお正月も過ごし、1月にこの難病の治験をやっている大阪大学医学部附属病院に話を聞きに主人の車で行く。診断して下さるのはALSの第一人者長野先生。イメージとはかなり違って腰の低い凄く優しい先生でした。
鳥大病院からの紹介状と先生の診察の結果こう告げられました。「鳥大病院での結果と同じでおそらくALSに間違いないと思います。」と。
はあー何のこと?誰が?鳥大病院と同じ?聞いてないよ。
頭が真っ白になるとはこういう事なんだ、と思わせられた瞬間だった
そこから先は先生の言葉は何にも入ってこなかった。
最後に何かご質問ありますか、と聞かれたとき「人口呼吸器をつけるようになるのはいつ頃になりますか。」なんて聞いて、もっとましなこと言えなかったのか、頭が思考停止状態になっていたと思います。長野先生は一瞬困ったような表情をされ少し考えてから10年、と言われた。それを聞いて、「まあそんなにさきですか?」と思うのか、「やっぱりそんなふうになるのか」、とショックを受けるのか、「10年か、70代になってるからまあ猶予期間があるな」、と思うのか、まったくなんでこんなこと聞いたのか自分でも理解不能です。
その後も話はどんどん長野先生と主人の間で話され、思考停止状態の私は置いてきぼり。
私の変な性格で、悲しいくせに笑ったり、ショックを受けてるのに何事もなかったかのように振る舞ったり、相手にマイナスのイメージを与えないように自分をコントロールして空元気?ちゅうかまあそんなところですかね。
こんな場面でもそれをやるんか?と自分が情けない、何かっこつけて、私は何ともないですよ、こんなことぐらいへっちゃらですよ、アピールをしている。
そして肝心の治験の話に戻るが、治験対象者になるための条件がある。
私の場合は一つだけ改善しないと受けられないことがありました。それは血糖値です。当時私のHbA1cは6.7。治験を受けるためには6.4以下にならないとダメなのです。焦りましたよ、私。なんせ甘いもの大好きだし、何をしても痩せないという特異体質ですから(笑)
しかし今回はふざけて笑っている場合じゃない。何が何でも値をさげて治験をうけれるようにしなければ。優しい長野先生もまだ締切まで時間がありますから、頑張って下さい、と励まして下さった。
帰りの車の中、運転している主人は私に気を使っていろいろと言葉をかけてくれているのだが、私は金縛りにあったみたいに微動だにせず、フロントガラスの一点を見つめ、自分に何が起きているのか、一生懸命整理しようと思うのだが、嘘だ嘘だ夢を見てるんだ、こんな健康優良児のお手本みたいな美穂子さんが、ありえんわ、何かの間違いだわ、の言葉がずーっと繰り返し聞こえてくる。
そして松江に帰って、夕食の準備をしなければならない。こういうしなければならないことがあって救われた。その間だけは病気のことを考えなくてすむ。
何とか夕食の準備も終わり、まあそれなりに食べたと思う。
洗い物も終わりいつもの定位置のコタツに足を突っ込む。主人は後ろのソファーに座っている。
突然ぞわぁっと体中に恐怖心が湧いてきて、こんなに泣けるんだと思うほど涙が止まらない、横に座っている主人の足に「怖いよー」といってしがみついて号泣した。
主人は「俺がいるから大丈夫だよ。ずーつと一緒にいるから大丈夫だ。」と言って背中をさすってくれた。「嫌いにならんでよ。」「なんでそんなこと言うの?なるわけないだろ」「だって病気のせいで思うようにならんだったら当たり散らすかもしれんし、わがままばかり言うかもしれんよ。」「そんなことで嫌いになんかならんから。病気になりたくてなったんじゃないし、病気が言わせてることもあるわね」といろいろ慰めてくれるのだが、これから起こることにただただ不安になるばかり。
それなのに夜は泣き疲れたのか、結構寝れた。
そして朝起きたら昨日のことは夢でした、ってことにならないかなと何度も思った。
こんな時に締切のある仕事があって助かった。
月末だったので、職員さんの給与計算から支払いの準備をしなければならなかった。
しかも一月から。銀行のシステムが変わるため間違っては大変と二度も三度も見直して送信した。
そしてもう一つの大切な任務がある。商工会議所女性会の会長を仰せつかっていた。
こんな病気になってしまったのでどなたかに変わってもらったほうがいいのでは、と思っていた。
月末のバタバタが終わったころ、主人と話しました。病気だからこそ出来る間はさせてもらったら、その方が病気のことばかり考えなくてすむんじゃないか、と。
そして前会長の山口さん、副会長の清水さんと吉村さんのお店に集まってもらい、病気のことと私の思いをお伝えしました。
話し終えて涙目になってしまい皆さんの顔が良く見えません。皆さん泣いておられるようでした。そして会長を続投させて欲しいと言った私の言葉に安堵の涙を流したと言われました。辞めるといわれたらどうしようかと思った、と胸の内を話して下さいました。
そして「立てんようになったら車椅子であいさつしたらいいわね。マイクの位置が低くなるだけだわ。」とか「声が出る間はやって欲しい」というなかなか言われることはその通りですが、慰めてもらってるというより、叱咤激励を受けているようだった。こういう同情じゃない心からの励ましはどれだけ嬉しいか。
サポートは任せて、といわれるのでそこはおまかせして任期満了まで務めさせてもらうことに。持つべきものは友達、まさにその通りです。
後に書きますが、友人たちが私を応援しようという目的でつくられた「ガッテンチーム」というグループラインがあります。つづく
せっかく出てきた写真をしつこく載せます(笑)先日この写真を撮って下さったショーヨーさんがお店を閉められると聞きました。このタイミングで出てきたのも不思議なご縁を感じます。ありがとうございました
#闘病 。#ALS #大阪大学医学部附属病院 #鳥取大学医学部附属病院
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