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闘病記その17-6

私のしてきたこと  
3*役員あれこれ(PTA会長、教育委員、教育後援会、女性会、番組審議会)

ここからは前回少し触れた教育委員について思い出したことを書き留めておこうと思います。私がなぜ選ばれたのか、どなたかの推薦があったのかはわかりませんが、当時母が、やたらに美穂子のことをいろんな人から聞かれると不思議がっていました。そして、市役所から再三お役をお持ちの方々が訪問してこられ、なかなか返事をしない私にやきもきしておられたことと思います。私自身、教育委員会や教育委員の存在を恥ずかしいことに何も知らなかったので、さすがに一つ返事で受けることなどできるはずもなく、主人と相談します、とお答えするしかできませんでした。市の教育委員会も返事を急いでおられたことでしょう。主人に相談すると誰でもなれるもんじゃないからやらせてもらったら、その代わり半年は様子見ておとなしくしといたら、と忠告を受けます。そしてお引き受けいたしますとお電話しました。
2005年5月21日から2012年5月20日までの7年間、初めての”保護者枠”ということで任命されました。任命書交付式当日市長室に来るように言われ行ってみるとそこには、高校と中学の時の恩師が座っておられた。ここでまた私の天然ぶりが炸裂してしまう。(≧▽≦)「わあー先生お久しぶりですー。今日は何の御用時でこちらへ?」って、あなたなにすっとぼけたこと聞いてんの。こちらにおわす御方をどなたと心得る!おそれおおくも教育長の福島先生と教育委員の元校長中筋先生にあらせられるぞ!控えおろー(≧▽≦)
こんな調子で先行きが心配な美穂子さんでありました。

当時の教育委員長と教育長と、お呼びした数学者として有名な秋山仁先生の講演のあとで

そして未知の世界に足を突っ込んだのです。一番面食らったというか、嫌だったのは・・・市立小学校、中学校の校長先生が一同に集われる新年度の校長会があります。なんということでしょう。その後の懇親会で、委員4人全員が挨拶をすることになっていました。釈迦に説法とはこのことです。一保護者が校長先生の前で何を話せましょうか。もー毎年の苦痛の種で、しかも書いたものを読むわけでもなく、壇上に上がると目の前には、市長と教育長が座っておられます。それだけでも十分緊張して覚えてきたことが飛んで頭が真っ白になりそうでした。そして、高校の同窓生で校長先生になっている人が多く、原田は何を話すのだろうと好奇の目にさらされるような気持ちで話すわけです。それで、いったい何を話したのかって気になりますよね。
私も実はあまりよく覚えてないのですが。当時の校長先生からご苦労されている実態をお聞きして、私にも似たようなことがあったなーと思ったのでそのことを話しました。
私が事務長を務めているグループホームでは苦情窓口を設けています。
毎回苦情のお電話をされる家族さんがおられてスタッフも対応に困っていました。なぜなら内容が理解できるものではないからです。そこで一度お会いしてお話を聞かせてくださいとお伝えして、来ていただくことに。お聞きしながら、ご事情も分かり、私も認知症の母と一緒に暮らしていましたからよくわかります、大変ですねーと共感できるとお伝えすると涙を流されて。今までの攻撃的な態度とうってかわって、「こちらの施設には何の問題もありません。感謝しています。いやがらせみたいなことをしてすみません。」と謝られました。そしてそれからは苦情もなくなりました。
学校もモンスターペアレンツといわれる保護者が急に校長室に入ってきて、「どうなってるんだこの学校は。うちの子は全然挨拶をしないけど、教えないのか?」と。しつけは家庭でするものでは❔と反論したいところをぐっとこらえて「分かりました、学校でもしっかり教えますので、どうぞご家庭でもご協力よろしくお願いします。」と言われたとか。
いろんなことを言ってくる人が増えている。しかし、私が経験したようにゆっくりじっくり話を聞いてあげれば解決することもあるかもしれません。
みたいな話をしたように思います。その話をした後三人の女性校長が私の席にいらして、いい話だったよーっとおっしゃって下さり、お世辞でもうれしくほっとしたことを今でもはっきり覚えている。そのうちの一人が、のちに運命共同体みたいになる、伊藤紀子先生だった。

伊藤先生と二人でメディア授業のインストラクターをを取りに福岡まで。


後半に再登場の予定です。
教育委員とはなにするの?知らない人がほとんどだと思います。月一回の教育委員会に出席して議題について話し合い、決定されることがたくさんありました。
お恥ずかしいことを、今だから言える話し。先生の予定外の退職に伴い、補正予算を組んで退職金を支払うことに。その資料に書いてある額を私は何回、目で追ったことか。1.10.100.1000.10000~・・・・・!!民間人の、中小企業では見たこともない額だったので、何人分だろうと資料を見直したら、なんと一人分でした。( ̄▽ ̄)
どうでもいいことに話がそれました。m(__)m
この時のメンバーがまあやる気に満ちたパワフルな方たちで、教育長の現場を知る、というお考えに賛同し、学校訪問をすることになりました。その時の担当の課長(のちに校長として赴任される)がなかなかのグルメで、学校訪問よりその日のランチをどこでとるかに全力掛けておられたようでした。あくまで個人的な見解ですが(笑)私たちが喜ぶのを目的として一生懸命知恵を絞って考えてくださっていました。おかげで楽しい遠足に行く気分でした。今日のランチは何かなーって。
7年もしていると順番で副委員長というのが回ってきます。めったにないことですが、委員長が欠席されることがあり、私は初めて司会進行役をすることに。その日の報告事項の中に災害で犠牲になられた小学生のお母さんがあったという報告でした。進行役は一つずつ終わるたびに短いコメントを言って次ぎの議題につないでいくのが恒例でした。私もそのようにしようとしたところ何故か涙声になってしまいました。「子どもを残して亡くなられたお母さんは、さぞご無念だったことと思います。」
様々な未知との遭遇をさせていただきましたが。私にとってライフワークにもなっていたことがありました。
それが先ほどお名前を出しました伊藤紀子先生との出会いです。先生は高校の10期先輩で、小学校長を定年退職後教育委員会の教育指導講師として2008年の4月に迎えられ、当時全国でも例をみない画期的な「メディア対策推進委員会」の設立にご尽力されます。松江市は2009年にノーテレビデーをスタートさせています。

2010年2月に伊藤先生と二人でNPO法人子どもとメディアのインストラクターの講座を受けに福岡まで行きました。
その後2010年7月から、松江市は推進員活動をスタートさせました。
そして私はメディア教育(後に対策)推進員アドバイザーとしてデビューするのでした。
最強のパートナーの大岩さんと二人でタッグを組んで一年間で50か所ずつ授業や保護者向けの話をさせてもらう。
忘れられないのは、夏の授業は大変で、終わると下着までびちょびちょになっていました。家に帰るとシャワーを浴びてお昼寝しないと何もできないほどでした。
デパートの駐車場で若いお母さんと子どもさんが「あっ、メディアの先生だ。」と指をさされてなんとなくうれしいような恥ずかしいような。

授業に出かけるメンバーもどんどん増えて、(伊藤先生の一本釣りにかかっちゃうと逃げられませんから(笑) 私は主に1,2年生の授業を担当する。テーマは、規則正しい生活を!この当たり前のことが出来なくなってきてしまっているから、子どもたちの未来が心配です。ゲームやケータイばかり遅くまでしていると寝不足になっちゃうよ➡朝起きれない➡朝ごはん抜き➡学校でもあくびばっかりしてる。というようなお話を元気いっぱいのみらいちゃんと、ゲーム三昧で寝不足のけんたくんとの生活を比較することでどちらみたいになりたいかを問いかけ気が付いてもらうのが目的です。そして*ゲームより楽しいことはたくさんあること、*早く寝るとプレゼントをもらえるよ➡成長ホルモン、(この難しい言葉を知っている子が行くたびに増えているのには驚かされる。継続は力なり。)*おうちのお手伝いをしよう、というようなことを盛り込んでの45分授業です。
このおてつだいというキーワードを出してもらうために「お、ではじまる5文字の言葉で、それをするとすごくありがとうって褒められることだよ」というヒントを出します。するとは~いとたくさんの手が上がります。私もこれは期待できそう、でも一発目で答えが出たらどうしよう、とワクワクしながら、はいそこのあなた、と指名します。出た答えは?「おさらふき」!確かにあっている。「そうだね、お母さん喜ぶよね。ほかには?「おみずやり」「おかいもの」「おせんたく」etc.まあ出るわ出るわ、私は大人の先入観を反省させられる。子どもに教えられようとは。そしてしまいには、そういうのをぜーんぶまとめてなんていう?「おてつだい」!!やっとたどり着きました。(笑)

当時Facebookにあげていたものです。

2016年までの6年間、松江市以外にも出張して講演することも。普通の授業の他に参観日や入学前の説明会、子育てサロン、一歳半検診、ちょっとかわったところで、おじいちゃんおばあちゃんの参観日の後の懇話会、これはお母さん(お嫁さん)からの希望で、「ゲームを買って与えるのはおじいちゃんたち、留守番してもらったら何時間もゲームばかりさせてた。」(>_<)とちょっとご家庭のご事情が垣間見えて。「先生からしっかり驚かしてくださいねー」と言われました。(≧▽≦)


この頃言って歩いてたことの中に、「目と目を合わせてコミュニケーションを、お母さんがおっぱいやミルクをあげるときもしっかりと赤ちゃんの目を見てあげてください。赤ちゃんもお母さんの顔を必死で覚えようとしています。けっしてスマホ片手にあげないで下さいね。」と。
今、言葉でコミュニケーション取れなくなった時にアイコンタクトの大切さをしみじみと感じている美穂子であった。
つづく

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