生い立ち ~学生団体を作るまで~
こんにちは~
ご覧くださりありがとうございます✌
今回は、私がC³を始めるまでの経緯と活動を始めてからの日々を綴っていきます
中学時代まで話をさかのぼることになりますが、
C³を始める前の経緯は、決して美談にはできないような苦しい日々の連続でした
文字に起こすのもためらわれますが、誰かを励ますことができたらと思い、今回書いてみました!
早速ですが、私のプロフィールから↓↓↓
~プロフィール~
高橋菜々枝
l 西南 外国語学部2年
l AB型(AB型の人に親近感沸きやすい笑)
l 八女市出身
l XJAPANバンドしたいバンドしたいバンドしたい
l 東野圭吾
l 紅茶収集
本題に入る前に、
この場を借りて、今までC³のイベントに参加してくださった皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです
去年の5月に学生団体を立ち上げてから
最初のイベント参加者は10人
そして半年後の12月のイベントでは約240人の方にイベントに足を運んでいただきました
本当に感慨深いです
初めは右も左も分からずイベント運営に尽力してきましたが、暖かく見守ってくださった皆さん、本当にありがとうございます
皆さんと出会えたことが一生の宝です
そして、また会える日まで、皆さんが有意義な毎日が送られていることを心から願っています
今年もたくさんの面白い企画が待っています!
イベントでもたくさん交流しましょう♪
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それではさっそく私がC³を始めるまでの経緯、まずは中学編です
(中学、高校、大学に分けて書きます!)
授業中に突然、パニック障害を発症した私
当時の思いなんかを織り交ぜながら話していきます
物語を読むような感じで、リラックスしながら読んでいただけると嬉しいです
2016年 春
私は、中学受験を経て、県外の私立中学校に通い始めました
地元を離れて、全く新しい環境での中学校生活でした(電車通学)
この頃の私は、バカ真面目で完璧主義的な性格だったと思います
勉強も頑張ろうと、入学前からかなり意気込んでいました
私は、5年生の時に国境なき医師団の活動に感動して、アフリカで働くお医者さんにとてもあこがれていました
飢餓の子どもたちを救いたい気持ちもありましたが、
私が最も惹かれていたのは、戦争や紛争で、心を病んでしまった子供たちの治療をすることでした
もちろん、簡単な道ではありません
医学部に入りたかった私は、とても熱心に勉強に取り組んでいました
テストも毎回学年トップでした
親も先生も喜んでくれてとても嬉しかったのですが、
その一方で、段々と一位を取らなければならないプレッシャーを感じることが増えていました
睡眠時間もろくに取らず、勉強に励んでいました
勉強、スポーツも得意で、合唱コンクールでピアノ伴奏をしたりと、
周りから見ると、とても優等生に見えていたと思います
ですが、一方で、テストの出来が悪かったり、他の人より少しでも点数が低いと、
一気に不安になって、陰で泣いたりしていました
いつの間にか、テストで1位を取ることが目標になっていたのだと思います
周りの期待を一身に背負っていくうちに、徐々に心が不安定になっていました
そしてある日、私はいつものように学校で日本史の授業を受けていました
すると、急に心臓がバクバクし始めて、息も上がって激しいめまいに襲われました
とても苦しくて、死んでしまいそうで、正気を保つのに必死でした
先生に体調が悪いことを伝えたかったのですが、声を出そうとすると過呼吸になりそうで声を出すことができませんでした
そこで、隣にいた友人に何とか話しかけて、
体調が悪いから保健室に行くことを先生に伝えてほしいと頼みました
友人が先生に伝えると、先生は
「体調が悪いことを人に言わせるなんてあなたはお嬢様なんですね」
と皮肉めいた一言
かなりショックで
加えて、自分の体に何が起きたか分からなかった私はとても怖くて、保健室で号泣してしまいました
この日を境に、私は授業中にこの症状に襲われ続けることが多くなりました
特に、先生にあてられて教科書を読むことがとても苦痛で、
急に過呼吸になってしまわないかがとても不安でした
そこで私は、親や友人、心理カウンセラーの先生にも相談をしたのですが、自分の症状を全く分かってもらえませんでした
「いつの間にか治っているから大丈夫だよ」
と言われた私は
孤独な中、訳のわからない症状と必死に闘う毎日が始まりました
そんな中でも私は、勉強しないと、テストで1位にならないと、と思い詰めて
自分の苦痛を無視して、夜遅くまで勉強していました
寝不足すぎてお風呂の脱衣所で気絶したこともありました😱
段々と、教室や全校集会、そしてお風呂でも症状が出るようになってきました
今思えば、とても日常に支障が出てしまうレベルだったのですが、
それでも自分に鞭を打ってなんとか耐えていました
(ここで治療をすればよかったのですが…)
ある日、図書館で精神疾患の本を読んでいると、自分ととても似たような病気があることを知りました
それがパニック障害でした
自分はパニック障害なんだと、本で見つけたとき、安心感と切なさでいっぱいになり、
言いようのない気持ちになりました
今こそ、パニック障害は一般的に知られるような病気になっていますが、
当時はまだあまり知られていない病気であり、
当時の私は、自分の体に何が起きているのか全く分かりませんでした
症状が出ている時は、必死に正気を保った状態でいるので、周りから見ると何も起きていないように見えると思います
だから周りからもなかなか理解されませんでした
中3になって、状況は一転して
面白い先生や友達に恵まれて、症状は改善傾向にありました
生徒会をしたり、研修旅行で初めての海外にも行きました
学生生活では中3が一番楽しかったです
一方で、中学3年生になって
ラフな面白い授業だったり、海外に行って異なる価値観を感じたことで、
今まで正しいと思っていた常識を疑うことが増えるようになりました
正しいと言われていることを本気でしていたら体調を崩してしまった私にとって、これは辛い現実でした
なんておかしな世の中なんだろう
と大人を信じることができなくなってきていました
この頃から、
今までは朝早く学校で勉強していたのに、それをやめて
遅刻ギリギリまで電車を乗り降りするという異常行動を繰り返してました…笑
夜も、学校に残って勉強するのをやめて、学校近くで悪友と遊ぶようになっていました(実際はめっちゃ良い人たちでした)
こっそり髪も染めてました(優等生だからバレない)
そしていよいよ中学卒業
ボロボロの中、成績はなんとか3年間オール5を貫くことができました
(ガッツはある方かもしれませんね…)
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ここまで中学時代編でした!
「中学生までさかのぼるのー!?」
と感じた方もいたかもしれませんが、
パニック障害になってしまったことは、自分の人生の中でとても大きな出来事だったので省略することはできませんでした
次は
中学卒業後の高校編になります!
(私は中高一貫校だったので高校はそのまま内部進学しました)
高校1年生になって、常識を疑う瞬間がさらに増えました
学校の方針も大きく変わって、納得できないことも多かったです…笑
「今まで正しいと信じて、頑張ってきたことは何だったんだろう」
そんな心境でした
同時に、成績も下がり始めて、焦っていました
-2020年-
コロナウイルスのパンデミックによって学校が閉鎖されました
私はステイホームの期間中になんとか挽回しようと1日のスケジュールを決めて、9~10時間勉強してました
しかし、しばらくして学校が再開して、一番最初の模試を受けてみると、
かなり成績が下がっていました
私はそれがショックですべてを投げ出したくなりました
この頃から、毎日体調が悪く、勉強もあまりできず、学校行事も楽しむことができていませんでした
2年生になると、いよいよ受験が近づいてきて、進路を決める頃になります
私はとても医学部を狙える成績ではなくて、かなり焦っていました
そこで塾に通うことになったのですが、ここでまた事件が…
私は勉強の遅れを取り戻すために、部活が終わった後に、夜遅くまで塾に通う日々が始まりました
冬休みになって、空いてる日は毎日塾に行こうと決めて頑張っていたのですが、
ある日、塾に行くために車に乗っていると、徐々に息が苦しくなるのを感じていました
めまいと死ぬかもしれないという恐怖の感覚が私の体を襲って、
またパニック障害が再発したのだと悟りました
中学時代よりも症状はひどくなっていって
自分じゃどうにもできない段階まできていました
親も私の様子にさすがにおかしいと感じて、病院に行かせてくれて、ここから治療が開始します
頑張ろうとすると発作が起きる→少し休んで、また頑張ろうとすると発作が起きる
という繰り返しで、自分は完全にもぬけの殻となっていました
発作が出ないか心配で、まともにテストや模試を受けることができなくなりました
パニック障害を治すことに専念していた私は、浪人できる体力もなかったので医学部をあきらめることにしました
それまでは
大人の言うことすべてを実行して、努力する
それが当たり前だと思って生きてきました
だけど、
あくまで大人が語ることはすべて経験談だから、
それが自分に合っているのか分からないから、
それを鵜吞みにする必要はないのだと気づきました
いよいよ高3
受験シーズンになって、自分のペースで勉強をして、なんとか受験を乗り切ることができました(ストレスで頭頂部剥げてた!!泣)
結果、国立志望理系クラスだったのに私文に進むことになりました
ずっと医者にあこがれて頑張ってきましたが、まさかこんな風になっているとは想像もしていませんでした
「自分がしてきた努力はすべて間違っていたんだ」と
かなり絶望しました
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ここまで重い話が続きましたね
書いていると当時を思い出して、苦しかったです
とても辛い時期ではありましたが、ひたすら自分と向き合ってきた時間だったなと思います
やっと大学生編に突入いたします!
ここまで読んでくださっている方、本当にありがとうございます泣
ここからは、C³を作るまでのきっかけや、その後の変化まで書いているので
最後まで見ていただけたら嬉しいです!
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大学編 学生団体を作る!
「心では何かに挑戦したいと思っているけれど、体が言うことを聞かない」
という日々を過ごしていた私は、
大学生になって、療養もかねてほとんどの時間を家で過ごしていました
(インスタとかでキラキラした生活を見るのが本当に億劫でした…)
ただ、引きこもっていたことで、段々症状が改善傾向にありました。
そして、運命が変わったのは、2年生になるころでした。
引きこもっていた私は心機一転
もう一度何かに一生懸命になれることがしたい
と感じていました
頑張りすぎることで体調を崩してしまった私ですが、
やはり何かに一生懸命になることが自分らしさなのだと
療養期間の間に常に感じていました
そこでたまたま大学のホームページで、
1年生のキャリアデザインに関する授業でアシスタントをしてくれる学生を募集していました
私は藁にもすがる思いでこの募集に応募しました
ここで何か変わるきっかけになればと思っていました
面接を終えて、アシスタントになることができた私は、教授とアシスタントのメンバーとのミーティングに臨みました
そう!ここで出会ったのが共同代表の裕太さんでした!
ミーティングが終わって、アシスタントのみんなと少し雑談しました
皆やりたいことや実績がたくさんあって、本当にすごいなと感じると同時に、自分は本当に何もしていないことが実感されました
帰り道に裕太さんとたまたま二人きりになって、(裕太さんが仕向けたのかもしれない笑)
裕太さんに大学生活何もやってないという相談をすると、
「じゃあ学生団体一緒にしない?」
と聞かれ、これが何か変わるきっかけになるかもしれないと思った私は学生団体を作ることを決めました
こうして 2023年 5月1日 C³がスタート!!
すぐに興味がありそうな友人を誘って、活動を始めました
裕太さんは、イベント企画について何も知らなかった私に、
まずはパソコンから企画するうえで必要なことまでたくさん教えてくれました
今までの生活じゃ経験できないようなこともたくさん経験させてもらいました
沢山の留学生と交流したり、取材を受けたり、お寺に泊まったり…
C³の活動を始めてから、周りの環境が完全に180度変わりました
中高でろくな青春を送れなかった私は、C³でたくさんの青春を過ごさせてもらっています
そして、毎月C³のイベントを開いたり、他の学生団体のイベントに行ってたくさん新しい人に出会ってきました
面白い人がたくさんいて、みんな必死に自分のやりたいことを突き詰めて頑張っている姿にたくさん刺激を受けました
自分の中でも初めての人と話すハードルが格段に下がったので、大学でもたくさん友達ができました☺
予定表は常にパンッパンになりました
それでも一人で罪悪感を感じながら家でゴロゴロしていたころと比べて、本当に充実した毎日です
イベントをしていくうえで、どんどん規模が大きくなって、プレッシャーに悩まされることもありました
特にクリスマスイベントでは、主催となってイベント企画に尽力していました
途方のない仕事量に、そしてプレッシャーに押しつぶさそうでした(正確に言えば押しつぶされてました笑)
忙しくて、大変な時もありますが、
C³を作ったことは、何度もあきらめてしまいそうな人生の中で、少しの勇気でこんなにも世界が変わるのだと実感できた瞬間でした
あの時、アシスタントに応募して本当に良かったです
そして、パニック障害だということは、今まで数人にしか話してこなかったので、公表するべきかずっと悩んでいました
誰かのためになるのならと、かなり赤裸々に語ってみました
最後になりますが、
ここまで団体を支えてくれた参加者、そしてメンバーにも本当に感謝しています
病気になって、夢をあきらめて、暗い毎日が続いてきた中で、
投げ出しそうになりながらも自分と向き合い続けてきた人生でした
私が伝えたいことは
辛い状況を変えたいという気持ちとあと少しの勇気があれば
つまらない毎日を変えることは絶対できる
ということです
そして、人に頼ること(悩みや夢を話す)で絶対に誰かが助けてくれます
悩みや夢がある人、やりたいことがある人、たくさん話しましょう!
イベントでもたくさん話しましょ!
最後まで読んでくれてありがとうございました
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