腸閉塞体験記 6日目①
2025年1月12日(日)
3:15頃 うっすら目が覚める
今何時だろう?3時過ぎか。また目が覚めてしまったなぁ。でもトイレに行きたい感じはしない。このまままた眠れるかも...すぐに眠りに落ちる。
5:05頃 トイレに行きたくて目が覚める
まだ5時か。少し早いな。でも仕方ない、トイレに行ってこよう。廊下のトイレに行ってベッドに戻る。今朝もまだ病棟は静かだ。
早く目覚めてしまったが、夜中にトイレに行かずに済んだ。良い傾向だ。まだ少し眠い。もう少し眠るか...
6:00 起床時間
電気が点いた。朝になったらしい。少し気怠い。また睡眠が浅かったのかも。
看護師さんが来られて、順番に患者さんたちの体調を確認していく。私も体温と血圧と血糖値の計測をしてもらう。パルスオキシメーターも。血糖値は98。今朝もやや低いな。気怠さはそのせいか?それ以外の数値は問題無し。
テレビで朝のニュース番組を見ながら、ゴロゴロして過ごす。
7:30頃 朝食
ベストを着て窓際の椅子に座る。今日も冬晴れだ。遠くの山に雪は積もっていない。
今朝のお野菜はソテーだ。温かくてありがたい。
食パン1枚でも野菜を添えればお腹いっぱいになるものだなぁ。普段の私は最初から2枚焼く。トースターが2枚焼きだからだ。子どもが今日はトーストにすると言えば、また2枚焼く。1枚は子どもが食べ、もう1枚は私が食べる。意味が分からないという方は多いだろう。一度に2枚焼けるのに、1枚しか焼かないのは勿体無いと思ってしまうのだ。我ながらおかしな理屈だ。
フレッシュフルーツもいただいて大満足。完食。ご馳走様でした。
普段の処方薬だけを飲む。
食器を返却して、お箸セットを洗って、うがいをする。
8:00頃 朝食後のウォーキング
よし、今回は7周に挑戦だ。張り切って歩き始める。あ、そうだ、体重も測ろう。77.0㎏。おっ、昨日より減ってるぞ。歩いた甲斐があったかも。
自然とペースが上がる。
あれっ、よく見たら「ナースステーション」じゃなくて「スタッフステーション」って書いてある。そうだよね。ナースさんだけじゃなくていろんなスタッフさんがいらっしゃるもんね。ちゃんと認識をアップデートしないと。
「談話室」も「デイルーム」って言うんだ。リハビリするためのスペースもあるもんね。談話だけの場所じゃないか。
デイルームの椅子に座って休憩。陽当たりが良くて暖かい。運動後なので汗ばむくらいだ。というか、汗が止まらない。一旦退散だ。病室に戻り、窓際の椅子に座って改めて休憩。
日中担当の看護師さんが来られて、順番に患者さんたちの体調を確認していく。今日の予定を尋ねてみる。何も無いとのこと。日曜日だもんね、そりゃそうか。
でも明日には、先生が回診に来られるそうだ。あれっ、明日は祝日じゃなかったっけ?聞けば祝日は平常運営だそうだ。そうだったんだ。知らなかった。
他に何か気になることありませんか?と問われ、出来たら体を拭くタオルを貸していただきたいのですが...とお願いしてみる。さっきの運動で汗ボトボトだ。パジャマの替えはいつからかテレビ台の上のカゴに入っている。紙パンツもちゃんと買ってある。
すぐに持ってきてくださった。ありがたい。体を拭いて新しいものに着替える。サッパリした。
お水を持って、デイルームへ。陽の当たらない席を選んで座って、スマホ作業などをして過ごす。
看護師さんがデイルームにいる私を見つけ、血糖値検査をしてくれる。120台に戻っている。問題無し。
そうだ、今日はお昼をここでいただいてみようか。
看護師さんに、私も昼食ここで食べても大丈夫ですか?と聞いてみる。即OK。病室に戻ってお箸セットを持ってくる。
12:10頃 昼食
初めてデイルームでいただくお食事。ちょっとドキドキだ。デイルーム内の洗面所に手を洗いに行く。うわ〜、思ってた以上の盛況ぶりだ。私邪魔じゃないだろうか?まだ空席はあるから大丈夫だとは思うが...
席一つ空けたお隣では、ご年輩の患者さんが看護師さん(看護助手さんとか、介護士さんかもしれない)の介助を受けながらお食事されている。看護師さんがメニューの説明をしていく。あ、私のと同じだ。量も同じかは分からないが。勝手に親近感を覚える。
ヨーグルト和えを一口召し上がられて、何これ?とお聞きになる。さっき説明されたばかりだが...。それは果物よ、ヨーグルトで和えてあるの、と詳しく説明される。果物かいな、ポテトサラダかと思った、とのこと。なるほど、ポテサラのつもりで食べてフルーツだったら何これ?ってなるよなぁ。歳を取ると、こんなことも起こってくるんだなぁ。
回想:お姑さんとお舅さん
私はまだ介護をしたことがない。
お姑さんは私たちの結婚が決まった頃に膵臓がんで亡くなられた。まだ65歳くらいだったと思う。入院中にお見舞いに行ったり、洗濯物を預かって帰って洗って、また持って行ったりはしたが、そんなお手伝い程度だ。
結婚後は夫の実家の近くに住み、独居となったお舅さんに何かあればすぐに行ける体制を取ってはいたが、お舅さんはお一人で元気に長生きされた。
お姑さんがご健在だった頃には、夫と同じく家のことは何もしない方に見えていたが、戦前生まれで8人兄弟だというお舅さんは、家事を何でも器用にこなした。末の弟なんかわしが育てたようなもんだ、と聞かされたことを思い出す。その頃の子どもにとって家事や育児は手伝うものじゃなくて、当たり前にするものだったのだろう。
社交的でお友達も多く、体を動かすのも好きだったお舅さんは、定年後も会社に残って長く働き、70歳くらいで退職した後は地域のグラウンドゴルフチームで活躍し、老人会の主力メンバーとして季節行事などに勤しんでいた。
まだ会社勤めをしていた頃に胃がんになり胃を3分の2も切除されたが、退院後はまた元気に働かれていた。食生活は驚くほどヘルシーに改善され、ちょっとずつしか食べれんわ〜、とぼやきながらも、お手頃な旬の食材をちゃちゃっと調理し、大好きなお酒はアルコールの低いものに変えて晩酌を楽しんでいた。
81歳を半分ほど過ぎた頃、前立腺がんを発症された。尿道が使えなくなってしまったため、膀胱から尿を流す管を下腹部に入れ、常に採尿バッグを脚に取り付けての生活が始まった。それでも老人会のつてでご自身でヘルパーさんを見つけて(契約時だけ夫が立ち会った)、お前らは何も手伝わんでいいから、と明るく振る舞われていたが、長く外出することが困難になったお舅さんは、だんだん元気を失っていった。
ある日の夕方、調子が悪いからすぐ来てくれんか、と電話がかかってきた。ヘルパーさんに毎日来てもらってるから大丈夫、と言われてはいたが、夫は仕事帰りにいつも様子を見に行っていた。なので電話をかけてくることなんて稀だ。急いで夫の実家に向かう。
お舅さんはトイレの壁に寄りかかって立っていた。トイレの床が水浸しだ。採尿バッグに溜まった尿を流そうとしたが、上手くいかないのだ、という。急いで採尿バッグの栓を開け、尿をトイレに流す。血が混じっているようだ。肩に掴まってもらい、居間に敷かれた布団に移動する。ありがとう、と弱々しい声でお礼を言われる。もう大丈夫だから、と言うが明らかに顔色が悪い。夫の携帯に電話をかけ、すぐ来て欲しいと頼む。夫の勤務先はすぐ近くだ。間もなく夫が到着し、おんぶでお舅さんを車に運んで、がんを診てもらっている総合病院に急ぐ。
緊急入院して手術。膀胱が破裂して、体内に尿が溢れていたそうだ。一命は取り留めたが、もう長くないかもしれないという。
保育園の閉園の時間になったため、夫を病院に残して下の子を迎えに行って家に帰る。
何が起ころうと日々は続いてゆく。家のことと子どもたちの日常は守らなければ。
夜遅くに帰宅した夫は、次の日から毎日仕事帰りに病院に様子を見に行った。私と子どもたちも、休日にはお見舞いに行った。もうほとんど話すことは出来なかったが、意識はしっかりしているようで孫たちの手をゆっくり握り返してくれた。
ある夜、ご危篤です、と病院から電話がかかってきた。緊急入院してから2週間も経っていなかったと思う。すぐに家族みんなで病院に向かう。代わる代わる話しかけるが、返事はない。しばらくして、静かに息を引き取った。その日はお舅さんの82歳の誕生日だった。
こうして、私はお姑さんとお舅さんを失った。
お姑さんとの交流は本当に短い間だったが、とても優しくしていただいた。結婚することが決まってすぐ、一緒に家具屋さんに行こうと誘われた。町の商店街の家具屋さんに行き、ドレッサーを買ってあげるから好きなのを選んでね、という。男の子しか子どもがいなかったお姑さんは、私のことを娘ができたと喜んでくださっていた。娘さんがいたらきっと、年頃になる頃にプレゼントしたことだろう。
お化粧をほとんどしない私は、ドレッサーを持っていなかった。でも姿見の鏡くらいはある方がいいよなぁ、と思いながら暮らしていたので、ありがたくお申し出を受けた。いろいろ見て回り、細身だが全身が映る鏡の付いた、ワイン色に近い深みのあるブラウンのドレッサーを選んだ。私もそれが良いと思っていたのよ、とお姑さんは微笑んだ。
そのドレッサーは今も我が家のリビングにあって、姿見として家族みんなが使っている。「ワイン色に近い深みのあるブラウン」は夫の実家の家具のベースカラーであって、今は我が家のベースカラーだ。お姑さんに合わせた訳ではない。夫の実家を初めて訪れた時、あ、この色いいな、と私も気に入っていたのだ。
また回想ばかりになってしまいましたね。30年ほども前の話もあるので、間違って覚えていることもあるかもしれませんが、少なくとも私の心の中にある思い出としては本物です。忘れてしまう前に書き留めることが出来て、ホッとしています。
こんな普通のおばさんの思い出話に最後までお付き合いくださった方がいらっしゃいましたら、どうもありがとうございます。気が向かれましたらまた続きをご覧ください。