腸閉塞体験記 8日目
2025年1月14日(火)
4:30頃 自然と目が覚める
目が覚めた。スマホで時間を確認する。だいぶ早いな。
昨夜は消灯時間の後しばらくして眠りに落ちた。ということは6時間くらい眠ったのか。トイレに行きたい訳でもないし、十分寝たから目覚めたのだろう。
ベッドに寝転んだままスマホ作業などして過ごす。
6:00 起床時間
電気が点いた。少しウトウトしていたようだ。
看護師さんが来られて、体温と酸素飽和度を計測してもらう。問題無し。血圧はもういいそうですよ〜、と言われる。あ、そうなんだ。でも今朝は採血させてもらいますね〜。血糖値もここから測っておきますね、と帰っていかれた。
血液検査の結果次第で退院が決まる。無事OKが出ますように。
トイレに行って、顔を洗って、歯磨きをする。早寝早起きで清々しい朝だ。いつもこう出来れば良いのだけれど。
ロールカーテンを半分開けて外を眺める。今朝も冬晴れだ。山にも雪は積もっていない。
そう言えば入院してから雨降ってないなぁ。雪はちらちら降ってたけど。
ベッドの上半身側を起こして座り、スマホ作業などして朝食を待つ。
7:40頃 朝食
今朝はパンを焼いて食べてみよう。トレーを持ってデイルームに移動する。
ご年輩の女性患者さんが1人、テレビを見ながら既にお食事されている。おはようございます、と声をかけて窓際の席にトレーを置く。
2台並んだオーブントースターの1台からチン、と明るい音が鳴った。近くの病室からご年輩の男性患者さんがパンを取りに来られる。おはようございます!と元気にご挨拶いただき、私も笑顔で応える。やっぱり朝の挨拶をすると明るい気持ちになるな。トースターでパンを焼き、席に戻る。
カリッとした食感が最高!久しぶりだなぁ、トースト。ふわふわで温かいのも良かったが、やっぱり食パンはカリッと焼いたのが好きだ。そう言えばマーガリンやバターは出ないなぁ。余分な油を摂らないようにだろうか。そう考えると、私は毎朝余分な油を摂っていたんだなぁ。
途中からスクランブルエッグを乗せて、オープンサンド気分でいただく。幸せだ〜。デザートのバナナもいただいて完食。ご馳走様でした。
いつもと違う場所で食器を返却したけど大丈夫かなぁ?メニュー表に名前書いてあるから分かると思うけど...
お箸セットを洗って病室に戻る。
そう言えば今日は歯科にも行かないといけないんだった。歯磨きもしておこう。
1年ちょっと前から口の中、左頬の内側に炎症が起きて軽い痛みがあり、近所のクリニックから紹介してもらってこの病院の歯科に通っている。確か「扁平苔癬」という病気だ。3ヶ月毎に検診してもらっていて、今日はその予約日だ。
昨日看護師さんに相談してみると、入院中でも他の科も受診出来ますよ、と言われたので、この後行くことになっている。
今日も先生が来られるはずだ。さっさとウォーキングを済ませよう。あ、体重も測らないと。76.4㎏。おぉ〜、今日も減ってる!やったね。ちょっと早足で5周回ってベッドに戻る。
9:00頃 先生の回診
主治医の先生が来られて、お腹の傷を診てもらう。ガーゼはきれいなままだそうだ。念のためにと絆創膏を貼ってくださるが、傷は乾いているので帰ってから剥がしてよいとのこと。ということは...
血液検査も問題無かったから退院してもらって結構です。やったー!ついに退院だ!
本当にお世話になりました!ありがとうございました!とお礼を申し上げると、じゃあお気をつけて、と微笑んで帰っていかれた。
よーし、荷物をまとめて退院の準備だ。まずは家族に連絡をして...と張り切って片付け始めたところに看護師さんが来られた。
ご家族さんが来られるの午後でしたよねぇ。昼食は食べてから帰られますか?あ、そうか。多分14時くらいになるだろうしなぁ...いただくことにしよう。お願いします、と答える。歯科の時間になったら呼びに来ますから待っていてくださいね、と言い残して帰られる。
ベッドをフラットに戻し、掛け布団をざっくり畳んで枕を乗せる。ロッカーからタオル類と下着の入った袋を出してベッドに乗せる。う〜ん、張り切ってみたものの、今出来ることってこれくらいかぁ。着替えも届いてないしなぁ。
歯科にすぐ行けるよう、ベストを着て靴下とスニーカーも履いておく。予約時間まで座ってスマホ作業でもしていよう。
10:15頃 歯科予約の5分前
確か予約時間は10:20だったけど、呼び出しが無いなぁ。多分いつも通り忙しいんだろう。別に一人で行けるし、行ってこよう。
スタッフステーションに寄って、歯科に行ってきていいですか?と尋ねてみる。確認しますのでお待ちくださいと言われ、その場でしばらく返事を待つ。まだ歯科の方から連絡が無いので、こちらからお呼びするまでお部屋で待っていてくださいとのこと。そうか、きっと普通の外来とは扱いが違うんだろうな。
すごすごと病室に戻り、また椅子に座ってスマホ作業などして過ごす。
12:00頃 昼食
お食事ですよ〜、と声をかけられ、テーブルにトレーが置かれる。歯科に行くはずだったんですが、まだ呼ばれていないんですけど...と聞いてみる。まだ外来が終わってないんだと思われますので、先に食べてください、とのこと。そうか、外来の人が終わってからになるのか。じゃあ仕方ないな、先に昼食にしよう。
最後のお食事はブリの照り焼き。タレでコテコテじゃないのに、ちゃんと照り焼きの味で美味しい。不思議。私が作ると、見た目コテコテなのに味が薄いという残念な仕上がりにしかならないのだが。シャキシャキもやしの乗った冷奴も食感が楽しい。みかんもいただいて完食。ご馳走様でした。
とうとう入院中のお食事を毎食、何一つ残さず完食してしまったなぁ。数日前、病室にいる時に他の患者さんと先生の会話が聞こえてきて、お食事を半分ほどしか食べられないという患者さんに、うちの食事は量多めだから半分食べられたら十分ですよ、とお話しされていたことがあった。だとしたら残さず食べる私は食べ過ぎなのか?でもなぁ、いつも美味しいし残す理由が無い。栄養士さん、調理スタッフの皆さん、本当にご馳走様でした。
食器を返却して、お箸セットを洗って、また歯磨きをする。呼ばれるまで大人しく待っていよう。
12:50頃 歯科の検診
やっと連絡来ましたよ〜、と看護師さんが呼びに来られて、エレベーターで下の階へ向かう。歯科の受付に声をかけるとすぐに通された。
入院されてるんですね、大丈夫ですか?と歯科の先生に聞かれ、ちょっと手術したりしましたが、もう今日退院なので大丈夫です、と答える。
扁平苔癬の方は今は小康状態で、痛みもほとんど無い。あ、すごく良くなってますね、と言われる。もっと検診の期間をあけても大丈夫そうですね、とのことで半年後の予約を取って処方箋をもらって病棟に戻る。お薬は炎症を抑える効果があるうがい薬だ。毎日数回うがいをしているだけだが、ちゃんと良くなっている様子。ただ、完治は難しいらしくて、稀に口腔がんに移行する可能性もあるそうなので検診は欠かせない。
さて、いよいよ退院だ。スタッフステーションにただいま戻りましたと声をかけて病室に帰る。
しばらくして事務のスタッフさんが来られて、計算書が渡される。総合受付の会計で精算を済ませたら、病棟のスタッフステーションに声をかけてくださいとのこと。家族にもう一度連絡を入れて到着を待つ。
13:45頃 退院
家族が到着し、計算書を渡して会計に行ってもらう。その間に着替えて、パジャマを畳んで枕の上に乗せる。着替えを入れてきてもらった袋に身の回り品を全て入れる。冷蔵庫も貴重品用の引き出しも空っぽだ。テレビと冷蔵庫が使えるカードを抜き取って、リモコンと並べて台に置く。
家族が戻ってくるとすぐ、看護師さんが来られて最終チェックをして下さる。ロッカーも冷蔵庫も引き出しも全て空っぽですね、OKです!お疲れ様でした。お大事になさってくださいね。
大変お世話になりありがとうございました!他の看護師さんやスタッフさんたちにもよろしくお伝えくださいね!お礼を言って病室を後にする。
スタッフステーションにもありがとうございましたと声をかけてエレベーターに乗り込む。
こうして、8日間の入院生活が終わった。
14:30頃 帰宅
久しぶりの我が家だ〜!相変わらず寒い(笑)。出番の無かったタオル類と下着を片付けて、こたつに入って座る。我が家は基本的に床生活なので、立ったり座ったりがしばらく大変そうだ。気をつけて動かないと。
座ったまま、部屋を見回してみる。あ、鏡餅がまだ飾ったままだ。そりゃそうか、入院中だったもんなぁ、鏡開きの日。家の中は、入院前と何も変わっていないように見えた。良かった。私がいなくても変わらず世界は回っていくのだ。
夫がこたつで昼寝を始めたので、私も寝転んで目を閉じる。
無事帰ってこられて本当に良かった。もうこんな歳だし、これから先やりたいことも特には無いが、いろいろ散らかしたまま残していくのは嫌だ。
そう、私にはずっと後悔していることがある。父に余命の告知をしなかったことだ。
告知する方も辛いが、聞かされる本人は相当ショックだろう。それでも...
それでも、告知する方が本人のためじゃないか?父の余命を聞いてからずっと考えていた。
父は責任感の強い人だった。ズボラな私でもいろいろ残したまま死ぬのは嫌だと思うのだ。父にとってどんなに心残りなことだろうか。
最初に見舞いに行った時、父にはまだまだ活力があった。あの時にちゃんと話していれば、もちろんショックは受けただろうが、残された時間をどう使うか選ぶことが出来たはずだ。選択の自由を、私たちは奪ってしまったのだ。
父は自営業を営んでいた。余命が分かっていたならば、きっちり商売を畳んでから逝ったことだろう。お世話になった方たちにお礼を言って、引き継ぐことがあればしっかり引き継ぎをしたに違いない。残される家族たちにも、これからの暮らしについていろいろ託して逝ったはずだ。
もしかしたら最後に行きたい場所とか、食べたいものとか、会いたい人とかあったのではないだろうか。まだ動けるうちなら叶えられたのではないか?
告知しないと決めたのは同居する母と妹だ。父が絶望する姿を思うと、とても耐えられなかったのだろう。だからこそ、私が告知すべきだったのではないか?部外者のくせにこの人でなしが、と罵られようとも、私なら伝えられたはずだ。何故そうしなかったのか。
余命を知ったことで生きる気力を無くして、絶望の中で余計に早く逝ってしまうかもしれない。いろいろ片付けなくてはと今まで以上に頑張って、疲れ切ってすぐに倒れてしまうかもしれない。
どんな結果を招くか分からない。私もやっぱり、怖かったのだ。
最後に何か父の小さな望みを叶えられたとして、そんなのただの自己満足だ。全然親孝行してこなかった自分が、最後に少しは役に立ったかもと安心したかっただけだ。
何が正解だったのか、それはきっと誰にも分からない。
けれども私は、余命が分かったならすぐに教えてほしい。
家の中はもので溢れかえっている。私にとっては思い入れのあるものたちばかりだが、あの世に持って行けるわけじゃない。他の人から見ればただのガラクタだろう。遺品整理でウンザリさせないように、きちんと片付けてから逝きたい。
直接会える人には会って今までのお礼を言いたいし、会えない人には手紙を書きたい。
家族には最後に食べたいものや行きたい場所をリクエストして、叶えてくれてありがとうと言いたい。
小説や映画で不治の病になった主人公がやるように、未来の家族に向けた手紙なんかも書いてみたい。限られた時間だからこそ、やりたいことがいっぱいある。何も知らないまま、何も出来ないまま次第に弱っていくなんて、私は嫌だ。
ただ、こんな時間が与えられるのは病気の場合だけだ。事故だといつ起こるか分からない。病気でもすぐに命に関わる場合もある。余命が事前に分かるなんて、とても幸運なことだと思う。
余命が分かったらすぐに教えてね、と家族には随分昔に言ってあるが、おりを見てもう一度話そう。それから、余命の告知など待たずに、今すぐにでも片付けを始めよう。慌てなくてもいいとは思うが、先延ばしにしないで一つ一つ手放していこう。必要なものは何か、丁寧に選んでいこう。
下の子が学校から帰ってきた。おかえり〜、と声をかける。子どもからもおかえり〜、と返ってくる。二人顔を見合わせて笑う。
とりあえず、寒さが少し緩んだら母に電話しよう。
夫が目を覚まして、晩ご飯どこか食べに行くかぁと言った。何食べたい?と聞かれ、しばし悩む。いつもならすぐ、私は何でもいいよ〜と答えるのだが、さっき丁寧に選ぶと自分に宣言したばかりだ。少し考えて、うどんが食べたいな、と答える。病院では麺は出なかったから。ラーメンはちょっとお腹がびっくりするかもしれないから、今日はうどんにしよう。
以上で「腸閉塞体験記」を終わらせていただきます。腸閉塞は初めてでしたが、以前から可能性を指摘されていたため、早めに気付けておそらく比較的軽い症状で済んだのだと思います。腸が壊死していたらきっともっと大変だったことでしょうね。
私の場合は「腹壁瘢痕ヘルニア」がベースにあって、ヘルニアを収める手術によって閉塞を治してもらった訳ですが、腸閉塞にはいろいろな原因があるようなので、同じ病名でも人によって症状も治療法も様々だと思われます。こんなパターンもあるのだな、とご参考程度に読んでいただければと思います。
治療の記録とともに、入院中に浮かんだいろいろな思いも書かせていただきました。普通のおばさんの思い出話で大変恐縮ですが、自分が忘れないようにと記録したものですのでどうぞご容赦ください。
こんな素人の文章を最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました。これまでの投稿に「スキ」してくださった皆さま、本当に本当にありがとうございます!すごく励みになりました。おかげさまで、最後まで書き続けることが出来ました。
もうしばらくしたらパートにも復帰予定で、今後ゆっくり文章を書く時間があるかは分かりませんが、このような楽しい時間を過ごさせていただき、noteにはとても感謝しております。機会がありましたら、またどうぞよろしくお願いいたします。