関さんとおじょう
前回の続き....
どんなに毛嫌いされようと
諦めずに1人前の技術者目指してつきすすんでいた
そんな矢先の出来事
恩師の死
「やる気があれば弁当だけ持っていつでもこい」
この言葉が始まりでした
師匠「 関 和義 」
関さんに初めて会った時すでに癌を患っており
治療をしながら現場管理者をしていました。
この出会いから亡くなるまでの約2年間
技術者としての基礎を叩き込んでもらいました
図面の見方、測量、管理の基礎 等
どんなに弾かれても関さんだけは
「おじょう!」 ※関さんがつけた私の呼び名笑
と呼び現場で私の居場所を作ってくれました
ほりのふかい顔立ちで近寄りがたい雰囲気をもってる人ですが
「女と子どもの前では絶対大声をださない」という信念を持つほど、情深い人で頭もよく 他従業員からも絶大な信頼がある人でした
何よりゼロの私を育ててくれる 忍耐強さは抜群でした(笑)
関さんは誰よりも私を呼んでくれて、誰よりも現場で使ってくれて、
誰よりも私を 信じてくれ 諦めなかった
1月とても寒い山間部の工事を終え
その2週間後 永眠
亡くなるまでの2週間
痛みを和らげるモルヒネで朦朧とする意識のなか横になっているベッドの空中で架空の現場の図面を描き続けていたそうです
最後まで技術者として生き様を見せてくれた 最高の師匠「関 和義」
その最後の弟子として「おじょう」は誇りをもって技術者を生きる!!! と決め。
その時から
自分の存在価値 ⇒ わたしはどう生きたいか
に変わっていきました
・・・・次回に続く