22.06.26 海と毒薬

遠藤周作の『海と毒薬』を読んだ。せっかくなので本を読んだ感想を簡単にまとめておく。

この小説が発表されたのは1957年。終戦から12年が経過し、日本という国が戦争による傷跡を修復し、復興に向け躍進していこうという時勢。この小説では、現代(=1957年当時)から戦時中の出来事を紐解いていくという構成になっている。

戦時中といっても、当時からするとたかが12年前である。2022年に置き換えてみると、11年前に起きた東日本大震災が思い起こされる。あの時の記憶は多くの人の中に残っているし、実際に被災して大きな被害に遭われた方もまだ多くいる。

同様に、1957年という時代は、多くの人が戦争を体験し、実際の戦争の記憶や、戦地に赴いた記憶を持ちながら生きていた時代だ。戦争が起きると人は人を殺す。そして毎日多くの人が死んでいく。人を殺すことに大義があるので、当たり前のように人を殺す。この小説が発表された頃には、そんな時代を生き抜いてきた人が沢山いたのだ。

作中で主人公が、ガソリン屋のおやじや、洋服屋のおやじや、喫茶店にいる父親も、昔は人を殺していたのだという事実をふと思い返す場面がある。当時は皆が当たり前のように「昔、人を殺した」という過去を持っていた。そんな人たちは、心のどこかに罪悪感や引っかかりを持ちながら、それについて多くを語りたがらなかったのではないか。それぞれが心の中で何らかの葛藤を抱きつつも、全体として「戦争」への総括がされないままに、忘れられていってしまう時風があったのではないか。

12年も経つと戦争を知らない世代が出てくる。そんな時代の中で、大義名分さえあれば人は人を殺してしまうということ、そして、殺人を正当化するような大義名分は二度と産んではならないというのを、体験した者が後世に伝えなければならないというシンプルな危機感も、遠藤周作が筆を取った理由の一つではないだろうか。

終戦から77年が経った2022年の日本には、戦争を体験した人間はほとんどいなくなってしまった。今、日本という国には、戦争を経験した人が実感を持って導き出す教訓もほぼ存在しない。だからこそ、我々はこの本を読んで想像しなければならないのだ。殺すことに大義がある時代に生きた人の、苦悩や葛藤を。「戦争反対」と声に出すだけで、何か政治的で危険なもののように見えてしまう、現代の風潮を見直さなくてはいけないのだ。「人を殺してもいい」などという大義名分が絶対に存在しない世界を目指さなければいけないのだ。戦争は礼賛するものでも崇めるものでもなく、反省し、教訓として活かしていくものなのだと強く思う内容だった。

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