認知症のレジェンドが認知症になった「ボクはやっと認知症のことがわかった」要約・所感
おはようございます。本日は長谷川和夫さん著書の「ボクはやっと認知症のことがわかった」を取り上げたいと思います。
長谷川式簡易認知機能評価スケール(HDS-R)とは、日本の医療機関で認知症のスクリーニング検査として一番利用されている検査スケールです。本書はその生みの親であり、認知症界のレジェンドである著者が自らも認知症を患らわれて晩年にお気持ちを綴った本になります。
残念ながら、長谷川さんは2021年にご逝去されております。生涯を認知症ケアに捧げてきた方が自身の経験をもって伝えたかったこととは?
本書からの学んだことを以下にまとめておきます。
1.かつて痴呆と呼ばれていた認知症
長谷川さんが高齢期の精神症について調査や研究を始められた当時(1960年代)はまだ世間には認知症の概念すらありませんでした。
当時はボケ老人だとか痴呆という恥辱的な表現で呼ばれること一般的であり、家族がそのような状態となっても世間体を気にしてひた隠しにすることもありました。
そんな中で74年、長谷川先生の一番の功績とも言われるHDS-Rが公表されます。91年には改定版が出されますが、今日に至るまで日本で最も使用されている認知症のスクリーニング検査になります。
しかし、直してナンボの医者の世界。大方の医者が老年学や認知症医療にソッポを向いた時期が続きます。
それでも認知症になる一番のリスク因子は加齢です。人生100年時代、世界一の長寿国である日本では急激に認知症数が増えていき、社会的な影響も出始め政治もその存在をもはや無視できなくなります。
社会的な見方を変えるために2004年には認知症と呼び方を改めることになります。2012年.2015年と2回に渡ってオレンジプラン(認知症施策推進総合戦略2012.2015)を掲げ、認知症対策に取り組むまでになりました。
2.なぜ認知症であると公表したのか?
長谷川さんが認知症であると公表したのは2017年御年88歳のときでした。
「認知症界のレジェンドが認知症になった」医学会にとってはショッキングであり、医者の不養生とも取られかねない事実にも関わらず長谷川は普段の講演会のなかごく自然な形で公表されす。
認知症の第一人者である自分が認知症になり、そのありのままを伝える。そうすることによって人様や社会のために少しでも役に立てれば…認知症に対する社会的な理解がすすめばとの思いがありました。
3.社会や支援者に伝えたいこと
・症状は普通と連続するもの
認知症は恐ろしい病気と思われがちですが、その本質は暮らしの障害です。それまであまり前のように出来ていた普通の暮らしができなくなっていくの特徴です。
まず第一にお伝えしたいのが、連続しているということです。人間は生まれたときからずっと連続して生きているわけですから、認知症になったからと言って突然人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます。
そして、認知症とは固定症状ではないということ。普通の時と連続してその症状は現れます。長谷川さんの場合は朝起きたときが一番調子が良い。それが大体午後一時を過ぎると、自分でも何処にいるのか、何をしているのかわからなくなってくると。
固定症状ではないのだから、認知症になったらもうだめだとか終わりだとか思わないでほしいし、周囲も何もわからなくなった人と一括りにしてはいけません。心は生きています。嫌なことをされれば傷つくし、褒めてもらえば嬉しい。認知症の人も自分と同じひとりの人間であり、この世にはただ一人しかいない唯一無二の尊い存在ということです。
・時間を差し上げる
まずは相手の言う事をしっかりと聞いてほしい。支援をする人の中には「こうしましょうね」「こうしたら如何ですか?」と自分からどんどん話を進めようとする人がいます。そうなっては認知症の人は戸惑い混乱して、自分が思っていることも上手くいてなってしまうのです。
できれば「今日は何をなさいますか?」という聞き方が、もっと言えば「今日は何をなさりたくないですか?」といった聞き方をもしてほしいのです。その人が話すまで待ち、何を言うのか注意深く聞いてほしいのです。
聞くということは待つということ。待つというのはその人に自分の時間を差し上げることなのです。本人も相当不便でもどかしい思いをしています。きっちりと向き合ってくれる姿勢で安心するのです。
4.その人中心のケア
パーソン・センタード・ケアという言葉があります。日本語に訳せばその人中心のケアとなります。
これはその人の言う事を何でも聞いてあげると言う意味ではありません。その人らしさを尊重し、その人の立場に立ったケアを行うということです。
長谷川さんが大好きなお話があります。
[公園を歩いていた小さな子が転んで泣き出してしまった。すると4歳ぐらいの女の子が駆け寄ってきて、助け起こすのかと思ったら傍らに自分も腹ばいになり、にっこり笑いかけた。泣いていた子もつられてにっこりした。女の子が起きようねと言うと小さな子はうんと言い、2人は手をつないで歩いていった―]
これこそ、パーソン・センタード・ケアの原点を表していると語っています。
医療者は病気や障害などに目が奪われがちになりますが、あくまでまずはその人ありきと言う事です。
アメリカの大統領だったロナルド・レーガンもイギリスの首相だったマーガレット・サッチャーも晩年には認知症でした。高齢化が進めば誰もが認知症になる可能性があります。
しかし、なってしまったらおしまいだと言う偏見やスティグマは未だになかなか消えていないのが現状なのです。長谷川さんが認知症を診る側と支えられる側両方を経験して、まさに生涯を認知症に捧げて伝えたかったのは周囲の接し方次第で障害の程度は大きく変わると言うことです。
私も医療職の端くれながら、パーソン・センタード・ケア等深く共感させて頂きました。特に「時間を差し上げる」という考えについては普段忙しさを理由に先導してしまいがちな我が身を振り返り、非常に胸に刺さりました。
医療職だけでなく認知症の方をご家族に持つ方に特にお勧めしたい書籍でした。気になった方は是非手にとって読んでみてください。