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私の内緒のストーリー

私は28歳。
もうすぐ29歳になる。

学生時代からつきあっていた元彼と別れて、3年になる。初めての失恋というやつだ。
しばらくは受け入れらなかった。彼のいない人生なんて考えられなかった。
私の全てだった。
彼は私の太陽。方向を指し示してくれる、舵をとってくれる、彼とならたとえどんな退屈な道でも楽しく進める。そんな気がしてならなかったし、実際彼の指し示す方向は、多少常識的にはぶっとんでいても、私には居心地のよいものだし、彼が肯定していてくれれば、私には十分進む理由、生きる理由になった。

突然、いや本当は前から、私たちの関係は歪み始めてしまった。
バランスを欠いたのだった。

彼が船長、私が乗組員、別々の船にのって、それぞれサポートをうけながは、彼のアドバイスをもらいながら、それでも別々の船で一緒の方向に航海していたが、一緒の船に乗ることになったのだ。もう同じ船で、完全に船長と副船長として、サポートなして、俺たちで航海に行くぞ!おー!

大海原に出かけた私たちは、サポートを受けていた役を引き受けなくてはならなかった。今までサポートしていたスタッフたちがいない船の中の生活が一変した。
質が落ちた。コックもいない。私たちで協力して料理を作るほかなかった。
ベットメイクをしてくれるばあやがいない。船長の役がある彼は、一日中海を見つめた。私をいつからか、退屈なスタッフとしてみるようになった。
私は船長のアドバイスを受けて、私も船を漕いでいたのに、急にスタッフの役ばかりさせられてるからだ。私だって船長のアドバイスを受けながら船を一緒に動かしたい。

とまあ、私たちの恋愛という旅がこうして終わり、海賊ごっこに終わりをつげたわけだ。

急に陸に降ろされた私は、ひっそりと生きていた。

もう彼以上の船長は現れないと思いながら。
もう恋愛なんてできる気がしないと。

それから2年後、私の妹が婚活をするというので一緒に誘われてなぜか私もやることになって、パーティーにつきあった。うっかりマッチングして、褒められると、再び下界に降り立つ気分になった。あっさりしたものだ。褒められて、新しい恋をする気になるとは。
だが、私のタイプではなかった。でも、あえてタイプといか、元彼とは違うタイプの人と恋愛をしてみたかった。
何回かデートをして、キュンキュンしたり、私の下界に降りるトレーニングになった。

だが、私の思惑は外れた。その婚活で出会った彼とキスをしたのだが、全くと言っていいほど、ときめかなかったのだ。私の下界に降りる旅も自ら終わりにした。

さて、そこは天空。

もう恋をしなくても十分1人でも幸せだ、1人でやっていける、楽しい!そんな自信をつけ、仕事やら1人時間やら、友達やら家族やらと楽しい時間を過ごしていた。

なぜ私が学生時代の彼と結婚をしたかったか。
女性なら、夢見るはず。もちろん、彼ならば私を正しい航海の旅へ連れて行ってくれると本能で確信があったからだ。何より楽しかった。

だが、焦っていた理由はそれだけではない。
相手を決めないと、親に結婚相手を決められるからだ。
今時そんなのあるのか!と驚くと思うが、あるのである。

我が家は小さい頃から理不尽な決まりがいくつかあった。それは小さい頃から大きくなるまで。

小さなところでいうと、小さい頃は、土日は家族と過ごす時間で、なかなか友達とは遊べなかった。放課後もしかり。決まったお家のお友達としか遊べなかった。なので、学校で遊んでいた。

両親に、物を申してはいけなかった。
姉妹達の例をみても、懸命ではなかった。申してもそれは苦情とみなされ、長いお説教が始まるからだ。
どちらが正しいかの誘導だ。

そして、またやっかいなのが、祖父母の存在だ。
祖父母とは、母の両親にあたるのだが、なかなかの曲者だった。母自身も、自分の両親とやっていくにはなかなか苦労している様子であった。だが、母が継いたため、仕方がないと腹をくくったのだろう。

それでも、あたたかい食事や楽しい雑談、家族旅行、友達を家に招いてのお泊まり会など、楽しい記憶はたくさんある。

だが、決まりは着々と追行されていくのである。

なるべく迷惑をかけないように、いい子を演じた。幸い私は自我がそんなに強くなく、それを認めさせたいというきもなかった。
自分の中の幸せが侵されなければ割とあとはどうでも良かった。
本の世界が私の逃げ場だった。
唯一、私を外の世界へ連れて行ってくれる相手だった。どこへ行くにも本を持って歩いた。
旅行の時も、移動の時も、酔いながらも読んでいた。姉と妹からは、オタクといわれ笑われながらも。そんなことはでもなかった。私の幸せだったからだ。

そして、我が家と仲良しの家族がいた。そこのお家には年が近い男の子2人がいた。
お兄ちゃんは、私より4つ上、弟は1つ上だ。
年も近いので小さい頃はよく一緒に遊んだ。
夏休みなど長い休みな時には、キャンプや旅行に行ったりした。

私は元気な弟よりもKちゃんというおにいちゃんの方が好きだった。優しかったし、よくかばってくれて、大人たちの間にたってくれたのだ。弟のSちゃんはやんちゃでイタズラばかりしてくるので少しだけ苦手だったが、なんだかんだ悪いやつではないとはわかっていたし、なんだかんだ彼がいると楽しかったのだ。

その家族と、子どもの御伽話で、両親同士がいつか結婚をして欲しい、という話をなんどもお長いの両親から聞かされた。
まだポカンとみんなしていた。御伽話的なやつだと思っていた。親の世間話だと。

高校生くらいになっても、たまにみんなでお食事に行ったりしていた。個人的にも友人だったので連絡はとる間柄ではあった。
お互いの悩みなども話せる関係だった。
いつしか私は年が近いSちゃんとの方がよく連絡をとるようになった。
受験のことや、両親の愚痴など、雑談に毛が生えたようなものだった。時に恋愛の話など相談することもあった。私達は同志のような関係だった。

しばらくして、その一家は海外に転勤になり、会うことはなくなった。
だが、連絡は取っていたらしく、近況は聞こえてきた。
しっかりもののKちゃんはしっかりと将来に向かって進んでいた。
まだ、私達誰かを結婚させたがっていた。
いったいなんなんだろう。個人の好みと人生があるだろうが!と心の中で思っていたし、そのころになると、お互い選ぶ権利あるでしょうよと度々伝えていた。
私達姉妹も幼馴染の彼らに対してそんな感じだった。
時に、真剣にどうなの?考えてみなさい。あちらはぜひ言っていってくれてるんだからと詰め寄られた。
私は当時の彼氏の事しか頭になく、あーはいはいと適当に答えていた。

そして、我が家の大きな決まり。
高校を卒業したら、必ず一人暮らしをして、自分で生活をすることを体験すること。
この決まりには、私には大賛成だった。
だが、アルバイトは禁止だった。
距離的に離れているため、こっそりアルバイトをしてみたりした。
念願の、カフェで!

これは楽しかった。
がしかし、グラスを破りまくるものだから、店側から、流石にどうするかと言われ、自主的に辞退した。毎日頑張れるなら、店長である自分が責任持って教えるから、という熱意に応えられなかった。初めての大学のテストと重なっていたし、それは難しいし、なにより、熱意に応えられないということが大きかった。

そうこう大学を過ごしているうちに、彼ら一家は帰国した。
弟のSちゃんはしばらく向こうの大学にいるそうだった。

お兄ちゃんのKちゃんと会ったのは私が大学生の就活で悩んでいる時だった。
話なら聞くよとランチをしたのだ。
しばらく会ってなかったKちゃんは、あの頃と変わらなく優しいかったがすっかり大人になっていた。そりゃそうなんだが。私の中では小さなKちゃんが強過ぎた。

少しドギマギして人見知りしていると、あの頃の笑顔で、何?緊張してるの?とあの頃と変わらない口調で話してくれて、一気に安心に変わった記憶だ。
それから、度々就活のことを相談したり、たまにお酒を飲んだりして話を聞いてもらった。
私にはいないお兄ちゃんの感覚に嬉しかった。

そして、冗談半分で、そういえばと切り出した。
両親達が結婚させたがってる話、あれはなんなんだろうね?って。
そしたら、意外な答えが返ってきた。
俺はずっと結婚するものだと思ってた。私さえ嫌でなければ。と、笑っていっていた。すぐじゃなくていいから、まあ考えておいてよ。と。

一瞬ドキッとしたが、冗談だろうなと思っていながらも、Kちゃんまで両親の刃にやられたかーと思って少し気の毒だった。
うん、考えておくね、と笑って答えた。

結婚って、本人同士が決めるものでしょ?
私は今の彼と結婚するんだもん!船長と乗組員で航海にでるんだ!と息をまいた。

そんなこんなで今、私もうすぐ29歳。
結婚はしなくていい、1人で立ちたい、1人で船を漕いで、自由な海原で旅人のようにその日に行きたいように生きるのだ!
と、決意していた矢先、Kちゃんからご飯でも食べようと連絡がきた。

ご飯を食べながら仕事の話やここ数年の恋の航海が終わったから、今は1人で自由な旅を満喫中であること、1人で立てるということがどんなに素晴らしいかということを力説していた。

来年あたり、海外に転勤になること、一緒に来て欲しい事、Kちゃんからはそんな話をされた。うそでしょう?と半信半疑だった。
一体どうしたの?Kちゃん? 何があったの?と私は聞いた。家族を作るならどう考えても私がいいとのことだった。結婚してほしいと。だから真剣に考えてほしいと。
一度冷静になって考えようと伝えたが、私のことがずっと好きで、私以外は考えられないってことだった。

恋しないで結婚て、ありえるの?
これからお互いを知っていけばいい。
そういう彼に、私は時間がほしいと伝えた。
彼はいくらでも待つと。でも、お互い知る時間と機会は欲しいと言っていた。

私は混乱しながらもどこか冷静な自分に驚いた。なんだろう、なんていうんだろう、これでいいのかな?

そんな気持ちの中、暇な時の夜、あるSNSを登録して、新しい友達ができた。今まで会ったことがないタイプの彼らは年齢も職業もバラバラでとても新鮮で彼らの思考やライフスタイルに興味を覚えた。

何から何まで、私とは違ったから。
自由に生きてきた彼ら。とても自然に恵まれた友達との思い出を聞いているだけでワクワクした。
しばらく、彼らとの時間をチャットや通話で楽しんだ。

ある日彼らの中の1人の友達が一緒に遊んでるから、SNSをやってみたいと言ってるよーとお知らせが来て、私も話した。彼らの男子のノリがなんだか本当に楽しそうだった。

私は小学校から女子校だったから、同年代の男の子の様子がわからなかったからだ。

しばらく友達として楽しく過ごしていた中、途中で参加した友達が新たにSNSに登録して、フォローし、チャットするようになった。その子とは漫画や音楽の話が共通の話題だった。尽きることなく、趣味の話ができて嬉しかった。

ある日その子から、急に好きだと言われた。
まだ顔も会ってもいないのに、だ。
誠実な人柄はわかっていたし、最初に友達になった子の友達だから悪い人なわけではないということは十分わかっていたが、何を取って好きと言っているんだろう?この子は。
と、不思議に困惑してしまった。
ただ、ただ、まっすぐに、好きになっちゃったんだもんと伝えられる言葉は、それ以上でもそれ以下でもなかった。

それから私達は連絡を取るようになった。
相手からの好きが分かっているので、多少くすぐったいこともあった。でも、心のやり取りをしてるような感覚になった。
そして、初めて会うことになって、そこで改めて、私達は付き合うことになった。

彼の笑顔がただただ眩しかった。
ただ、好きだ。という彼の言葉が、私の胸に響いた。

彼には、つきあうということは、どちらかがどちからをお互いを傷つけあうかもしれないよ?それでもいいの?と確認した。
だって、私は別れを知っているからだ。私自身が臆病になっていた。
それから、まだ言ってないことも言うつもりがないこともある。いつも会えるわけではない。
踏みだすには、私にとっては勇気が必要だし、期間を決めたい。君の夏休みが終わるまで。期間が決まってたら思い切り楽しもうと思うじゃん?その間は、真剣に恋をする。
それでもいい?それでもいいなら、つきあうよ。

と、私はおどけながらも、真剣に伝えた。

彼は心配そうな声で、言ってないことって?それを知ったら付き合えないの?
と聞いてきたから、そうじゃなくて、それでもいいならつきあうよってこと。
って答えたら、よかった、夏まででもいいから、付き合いたい。でも、夏で終わりになるの?と聞いてきたので、ダラダラしちゃうのは嫌だから、その時点でお互いの気持ちを確認するのはどうかな?って提案したら、安心したようだった。

そして、今その環境も年齢も違う新鮮な感じで私はその彼とひと夏の恋をしている。

Kちゃんのことは、未だ私の中では答えが出ていない。今はまだ。自由に航海したいのだ。
Kちゃんもどうか幸せでいてね。私はまた乗組員をやるよ!

私達がもし同じ船に乗りたくなったら、お互いきっと乗組員を志願するからさ!

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