謝られたって傷は癒えない
誰かの言葉や行動で傷つけられたとき、回復にどのくらいの時間がかかるだろうか。完治する前に相手に謝られた時に、許せるだろうか。
「謝ったんだから許してやってよ」という第三者の言葉や「謝ったんだから仲直りしようよ」という加害者の言葉には、謝罪に、出来事を洗い流し、綺麗にし、元に戻す効果を期待しているようなニュアンスが込められている気がする。
でも、謝られたって傷は癒えない。
傷つけられたことが怪我をすることなら、謝られることは、傷口がこれ以上広がらないということを意味するに過ぎない。言葉で傷つけられた場合、謝った人からはもうそれ以上の敵意は飛んでこないというというところまでだ。
謝罪には治癒の力はない。
謝られたって、まだ血が出続けていることはある。血が止まるためには、傷口が癒えるためには、全く別の作用や別の主体、そして一定の時間が必要になる。
それは、加害者とは異なる人との充実した時間かもしれないし、友人から受け取る慰めかもしれない。美味しい食事かもしれないし、一夜の睡眠かもしれない。単純に時間の経過によって自己修復が完了するのを待つことかもしれない。回復の方法は被害者それぞれに独特であるし、被害の程度によっても方法は変わる。(加害者でありつつ、回復を助ける者の両面性を持つ人もいるかもしれない。家族はそのような存在になりうる。)
小さな心無い一言くらいであれば、一晩経てば傷は癒えるかもしれない。大切な友人に裏切られたのであれば、その他の友人に励まされ支えられたとしても、何週間も回復できないかもしれない。
小さな事柄であれば、謝罪のタイミングと、回復のタイミングがほとんど同時かもしれない。そして、すぐに仲直りができるかもしれない。あるいは、被害者の方で、そう遠くない未来の回復が予測できるために、まだ修復中ではあるが、相手からの謝罪をきっかけに先に許し仲直りをする場合もあるかもしれない。傷はまだ治ってないけれど、許しを与える人だっている。
しかし、ここで重要なのは、謝った後に許されたからといって、謝ったから相手が癒やされたのではない、ということである。謝罪はせいぜい治癒の開始を告げる役割を持つに過ぎない。
謝罪したのだから許されるだろうとか、謝ったんだからもういいだろう、と思っている人は、連続して起こった出来事から、謝って因果関係を推認してしまい、謝罪と癒しを強く結びつけ過ぎてしまっているのではないかと思う。
だから、自分が傷つけられた後、あるいは自分が誰かを傷つけてしまったあとは、適切な謝罪をした後、被害者が充分に回復をするまでは待つことが大切だと思う。その間、被害者の回復のために自分ができることはないかもしれないが、できることがあれば率先してやる。それが加害者の責任だと思う。その結果どこかのタイミングで許されることを期待することしかできないのではないか。
謝ったのだから許してもらえないのはおかしいとか、謝ったのに許さないのはけしからんとか、思ったりしないようにしたい。