つぎはぎのデジタル作業【ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか】
大AI時代、事務職で生き残りたい7号館です。
この数年間で、私の職場もデジタル化が一気に進みました。
なんでも紙ベースだった頃が懐かしいです。
しかし、我が社では紙の消費量は減ったものの、なぜか作業量は増えるという怪奇現象が起きています。
意味怖(意味が分からなくて怖い話)。
本書には、そのモヤモヤの正体がまさしく書いてありました。
ブルーカラーとホワイトカラー
本書では両者の違いをこのように示しています。
・ブルーカラー :フィジカル。「多数の」「均質な」「モノ」をつくる
・ホワイトカラー:デジタル。「ひとつの」「できるだけ有用な」「情報」をつくる
ホワイトカラーも高度経済成長期~90年代まではフィジカル要素が強く、ブルーカラーと大差はありませんでした。
しかしデジタル技術の導入により、ホワイトカラーは定型業務の大部分をソフトウェアに肩代わりさせることになります。
ソフトウェアに定型業務を任せ、人間はより創造的な業務(非定型業務)に専念できるようになる…欧米諸国ではそんな革命が起きました。
現場レベルでの業務改善の限界
"トヨタ生産方式"が生まれ、フィジカル労働の現場では業務改革が起きました。
自働化で少人数での作業を可能にし、手が空いた人員は別行程へ行く…現場の改善により、効率化と人員削減に成功しています。
ホワイトカラーの現場においても、個人に対して「業務改善」は常に求められています。
しかし今日までたくさんの人が改善をしてきた、そんな中で会社を動かすような改革に繋がるケースは稀だと思います。
以前、職場の偉い人から「毎月1つ、なんでも良いから改善提案して」という雑なミッションを与えられたことがあります。
最初はいくつか思いつくんです。紙の作業を減らすとか、マクロを組むとか…
しかしすぐに限界が来ました。
まず、自分の業務範囲しか手が付けられない。しかも改善した恩恵はごく限られた人にしかありません。
そして何より、会社全体で取り組まないとどうにもならないことだらけなのです。
独立した複数の社内システム、やたらと多いExcelの管理表…根本的に改善したいと思ったことは一個人ではどうにもなりません。
ホワイトカラーにおいて、現場レベルでできる改善には限界がありました。
ここに「ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか」の理由があったのです。
バラバラの業務プロセス
個人、部課、部門、それぞれが管理する範囲で改善を進めた結果、狭い範囲に特化した業務プロセスが乱立している。
本書では部分最適と呼んでいます。
業務の流れが繋がっておらず、データも人の手でツギハギしていくしかない。
身に覚えがありすぎる…
まさに部門ごとにシステムだけが増えていき、それぞれが連携していないのです。
とにかく、何をするにも色んなシステムの往復です。その結果、作業量は膨れ上がっていきました。
日本のホワイトカラーの現場では、部分最適を極めた状態で成り立っている。
この状態から脱却するには、エンド・トゥ・エンドでシステム化をする。
全体最適こそ重要であるとしています。
そのためには専門部署を発足して、会社全体として改革に取り組む必要があります。
最初から全体最適を目指してきた欧米諸国との差は、ここにあると述べています。
個人レベルでできることとは?
結論、会社として全体最適を目指した改革に取り組むということ。
いやはや、個人がどうこうのスケールではありませんでしたね。
では全体最適化は専門部署にお任せするとして、個人にできることはあるのでしょうか。
定型業務と非定型業務、両方の要素をもつ業務(本書ではグレーゾーン業務と呼ぶ)を、定型業務へ移行させる準備をすることだと、個人的には思いました。
全体最適化された後は、それらを機械に任せられるように整えておきます。
「自分にしかできない」と思っていた業務も、近い将来、機械に任せる日がくるかもしれません。
人間しかできないことをやれるように日々スキルアップしていきたいですね。
【紹介書籍】
ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか〜日本型BPR2.0
村田 聡一郎 著
▼自分の話
ここまで読んで下さりありがとうございます。
私の職場も、とうとう業務改革に本腰を入れ始めるようです。
機械に任せるのは近い将来どころか、現実味を帯びてしまいました。
すぐに仕事がなくなることは無いと思いますが、仕事のやり方は変えていかないといけないなーと、まだ悠長なことを考えています。