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食べるということ-7

料理に興味を持ったのはやはり父の存在が大きい。

父は洋食のコックの修行を途中で挫折してしまって、私が物心ついた頃には別の職業に転職していた。でも彼も「料理」が好きで、なぜなら美味しい食事を作って誰かが食べた時に「美味しい」と言ってくれることの喜びを知っていたからだと思う。

レストランにしかないような大きな鍋を出してきてはおでんを煮込んで友達を集めて食べたり、正月には親戚がたくさん集まって、時には20人もの大人や子供が集まって食事をした。

みんなが「美味しい、美味しい」と言って食べるのを見るのが嬉しくて仕方なかったに違いない。

年末に作るビーフシチューも一家族で食べるにはおかしい?ぐらいの量。大型の寸胴鍋に肉を8kgとか家で作るには変。お店じゃないのに、洋食屋に勤めていた時のことが忘れられないらしい。

そう言いながら、そんな家で育ったのでやはり大勢で集まって食事をするのは好き。下戸なのでお酒は料理で使う以外は興味がないけれど、集まって会話をするのは大切なことだと今も思う。

感染症で人が集まることは減ったけれど、同じ釜の飯じゃないけど一緒に食事をするというのは親近感を育てるなあ。

父がいなくなって親戚が集まることもなくなるとやっぱり従兄弟とかとも疎遠になる。集まる口実には食事が一番良いと思う。

会社が出来たらまず最初に手がけたいのは社員食堂。大きな会社の社員食堂ではなくて、自分たちで賄う大きなキッチン。

尊敬するデザイナーの田中一光さんが事務所に大きなキッチンとダイニングを作って、そこで社員が順番に料理を作ってみんなで食べるということをしていた。どんなに忙しくても昼休みだけは皆が一緒に食事をする。それってとても大切なことだと思う。特にチームで働く人にとっては大事な時間だったんだと思う。

今でも年末はビーフシチューや串揚げを作りながら集まったりしていたけど、ここ二年ぐらいは集まれていないから、今年は小さな集まりを作ろう。

場所が小さくなったから少人数で集まれる場所がほしい。

実は2023年頃にそういう場所を作る計画もある。さらに先にはみんなが一緒に料理やお菓子を作れる場所も作りたいな、と考えている(料理教室ではないよ)。

食べることや料理を作ることって、最近は自由にみんなが集まれなくなっている気がする。

以前の私の実家のように大きな台所があって、親戚のおばさんが集まって、いつの間にか役割分担ができていて、それぞれが腕を振るって美味しい料理を広間に運んで、みんなで食べる。

今は時代が違うというけれど、親戚でなくても良いからみんなで作ってみんなで食べるということはとても楽しいし、勉強になるし、仲良くなれる。

そんな場所を取り戻すことがとても大切だと思う。

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