波乱万丈な僕がタルト専門店の店主になって再びクリエイターを目指す理由-7
「クリエイターという仕事」
大学在学中にコピーライター養成講座を受講していた。その当時は静岡県に住んでいて東京校も大阪校も通うことは叶わなかった。送られてきたテキストはとてもよく出来ていて「コピーライター」という職種がただ文章を書く仕事ではないということがよくわかった。
「クリエイター」と一言で言うが「グラフィック・デザイナー」や「コピーライター」がその頃の花形職業だった。まだインターネットは普及していない時代、「広告」こそが最前線だった。その時代のクリエイターは素晴らしかったと思っている。クリエイターの仕事は時代を越えて今でも輝きを放っている。
もっとも尊敬していたのは田中一光、そして対を成すように活躍していた細谷巌、秋山晶。サンアドの面々。無印良品の立ち上げ、キューピーマヨネーズのブランドの再構築。たくさんの素晴らしい仕事。TVCMが全盛期の時代、今でも脳裏に焼きつく街を彷徨う子犬、アメリカンダイナーの雰囲気。「広告業界」と言う謎に包まれた世界を理解しようと彼らのことを書いた本、彼らが書いた本、作った作品が掲載された本を買い漁った。
とても大変な仕事だと理解した。朝までミーティングをしていた事とか、何度も案を練り直して一つの仕事を完成させるのに何十枚もラフスケッチを書いたり。果たしてこんな仕事を自分はできるのだろうか?と不安に駆られた。でも読めば読むほど、見れば見るほど彼らに惹かれた。
そう、その職業に憧れたのではない。彼らの生き様に惹かれた。
だから、彼らを追いかけようとしたのではなく、同じ土俵に上がりたかった、と言うのが本音だった。いつか彼らと仕事が出来る場所にいたかった。あの頃の彼らの作品を見ると今でも胸が熱くなる。人の情熱や志が作品として評価される時代だった。その端っこにしがみついて、かろうじて同じ時代を感じられる場所に引っかかっていた。だから「クリエイター」であることに固執していた。