【ノマドの教養】地政学(その1) 要約『世界の「今」を読み解く!【図解】新・地政学入門~地理の政治学~』
どうも、ポメ兄@ノマドから日本を視る です。
海外に出てから、相対的な視点で日本という国を見る習慣がつき、地政学や経済学、はては宇宙と学問への興味が湧いてきています。
様々な文化や歴史に触れるノマドにとって知識シェアはプラスになるのではないかという想いと、アウトプットによる自分へのインプット促進も兼ねて、【ノマドの教養】というマガジンを本記事から始めたいと思います。
最初に取り上げるのは、地政学。
高橋洋一氏の『世界の「今」を読み解く!【図解】新・地政学入門~地理の政治学~』を要約という形でまとめます。
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プロローグ:地政学とは
地政学≒戦争の歴史
地政学とは、地理的条件が政治・経済・軍事に与える影響の学問。
この学問の前提となるのは、「人(国家)はより広い土地・より良い土地を求める志向性がある」という考え方。
実際、歴史は自国の領土拡張を目論んだ戦争の連続と言える。
第二次世界大戦までは、戦史≒地政学、と言える。
ただ、第二次世界大戦後、人類は不戦に向かっている。
民主主義の普及により、政権 < 個人 の時代となったからだ。
戦争を望まない個人の集合的意思(民意)が、政権に戦争を許さない。
その結果、民主主義国家は領土ではなく、各国が持つ資産・資源を対等に交換するようになった=貿易。
それゆえに今の平和は、資本主義的平和、自由主義的平和と言え、「話せばわかる」ことを前提に国同士の共存が図られている。
一方で、独裁国家はこのロジックが成り立たない。だから、領土拡張≒戦争をいまも起こす。
現代の戦争は、独裁国家の領土拡張に対する民主主義国家の反撃という構図(もしくはそういう演出)が多い。
第1章:地政学から見た中国
中国は陸地の領土争いを繰り返してきた国
そもそも、中国はキングダムや三国志に代表されるように領土の取り合い、統合を繰り返してきた国。
そんな中、初めて天下統一を果たした秦の始皇帝誕生後は、漢民族が中国大陸を支配し続けた。
漢民族は、周辺の異民族よりはるかに自分たちが優れているという思想を持っており、ここで生まれた思想、つまり「中華思想(=中国が世界の文化、政治の中心であり、他に優越している)」が中国に色濃く残っていく。
実際、漢民族は、周辺の異民族を漢民族に服属させる意味合いを持たせた冊封・朝貢体制を作り上げた。
その後、三国志の時代など、数々の王朝が争っては消えていく時代を繰り返していく。
そして、領土拡張の意識は次第に、国内(中国)の内陸ではなく、さらに広大な海の外に向けられていくようになる。
台湾や尖閣諸島に対する中国の姿勢が強いのはこれが背景。各領土の先に広がる太平洋に打って出ていくための布石として台湾や尖閣諸島を捉えている。
その先に見据えているビジョンは、かつてのイギリス、今のアメリカのような世界覇権をとった海洋国家になること。
そして、堂々と太平洋二分論を唱える習近平は中国を内陸国家から海洋国家にシフトさせようとしている初めての国家主席といえる。
中国の海の外=海外との歴史
中国と海の外=海外との歴史で大きな転換点の一つになったのが、アヘン戦争敗北に伴う南京条約での香港のイギリスへの割譲。
香港は東南アジアへアクセスする上でこの上ない地理的条件を持っていた。
実際、香港はアジア全域の貿易、金融の中心地になり、イギリスはアジアにおける地位を確実なものにした。
この後、中国はアメリカやフランスとも不平等条約を結ぶ形になる。
結果的に、当時の中国=清は、海の外の列強国家という新たな脅威に直面し、半植民地という憂き目をみる。
実際、ベトナムを巡ったフランスとの清仏戦争、朝鮮半島を巡った日本との日清戦争で敗北を続け、広大な領土をどんどん奪われていったのだ。
その後、2度の世界大戦や、国内では国民党と共産党とのゴタつきが続くが、1949年に毛沢東率いる共産党により、中華人民共和国が生まれる。ようやく統一がなされ、世界屈指の大国となった。
中国における朝鮮半島
統一後、ようやく国外に進出できる中国が目をつけたのが朝鮮半島。
朝鮮戦争の発生に伴い、北側(北朝鮮)につくことで、南(韓国)への進出を目指した。
その後、朝鮮戦争は休戦という形で着地(定義上はいまだに終戦していない)。北朝鮮と韓国は現代の通り、残る形に。
とは言え、中国の南と東への進出の足掛かりとなる朝鮮半島(や対馬)は、地政学的には中国にとって重要なエリアにいまもなおなっている。
中国にとってのベトナム
米ソ冷戦後、カンボジア、ラオス、ベトナムには社会主義国が誕生する。
その後、社会主義国の中で、親ソ連のベトナムと親中国のカンボジアが、ベトナム南部の領有権を巡って対立が深まる事態に。
ベトナムのカンボジア侵攻をきっかけに1979年に中越戦争が発生。
中越戦争は中越国境紛争へと発展、その後もベトナムとフィリピンの間にあるスプラトリー諸島を巡る紛争など、領土争いが拡がる。
現在、ストラプリー諸島は中国が実効支配している。
ベトナムと中国の領土や領海を巡る対立は、ソ連の崩壊、冷戦が終結した今もなお続いている。
中国とソ連(ロシア)
親ソのベトナムと争うって、中国とソ連(ロシア)って仲悪いの?と思った方もいるかもしれない。
かつて毛沢東がソ連のコミンテルン(共産党の国際組織)指導のもと中国共産党を結党したこともあり、共産主義の実現を目指す社会主義国家として中国とソ連のベース思想は近かった。
ただ、スターリンの死後、ソ連国内ではスターリン批判が発生。
革命や社会主義国の国家運営の考え方でソ連(ロシア)と中国は対立していった。
そのため、中越戦争でベトナムの裏にはソ連がいたように、実は中国とソ連(ロシア)は、ベース思想は近かったが今は対立構造になっている。
プロローグの「話し合えばわかる」を前提にした民主的平和論は、あくまでも民主主義国家間でしか成立しえないことを、ソ連と中国(それぞれ共産党一党独裁国家)が証明している形になっている。
中国にとっての香港
先のアヘン戦争によりイギリス植民地になった香港は、「今後50年間は社会主義政策を行わない」という約束のもと、特別行政区として1997年にイギリスから中国に主権移譲された。
ところが、2020年に香港で中国の悪口を言ったら逮捕されてしまう「香港国家安全維持法」が制定され、イギリスとの約束とは正反対の法律が施行され、香港への中国的な運営がされ始めている。
中国にとっての近海:南シナ海〜太平洋
スプラトリー諸島、香港と陸地の領有=領土化がある程度固まってきたことに伴い、中国はいま海の領有=領海化を狙っている。
領有権の拡張を目的に戦争という手段を取るというスタンスの中国が気にしているのは戦力や戦略の資源、変数となる軍事力。
なお、軍事力のベースとなる軍事技術はいま宇宙へと広がりを見せている。具体的には、衛星が地上の状況をすべて可視化し、監視しあっているのだ。
だからこそ、衛星の監視が届かない海中、海中に何ヶ月も潜航できる原子力潜水艦が、現代の海の陣取り合戦のキーになっている。
中国はこの環境下において、南シナ海を支配して太平洋に原子力潜水艦を配備させたい考えだ。
太平洋に進出したい中国と、自国の安全保障からも太平洋には進出させたくないアメリカとのせめぎ合いが南シナ海でいま行われている。
また、中国では対米防衛線という軍事進出目標ラインを2本引いている。
防衛線とはいうものの、その実は領海拡張の侵攻ライン。
一本目は東シナ海、南シナ海全域が入っており、二本目はフィリピン、グアム、サイパン、沖縄、近畿地方沿岸までが含まれている。もはや、中国の領有エリア拡張は、日本人にとっても他人事ではなくなっている。
東アジアの安全保障
このような中国の地政学的状況に黙っていないのが、民主主義の頭領を自負するアメリカ、香港の50年の約束を反故にされたイギリスだ。
この英米がいま中国から死守したいのが、民主主義指数8以上の台湾。
ウイグル、南シナ海、香港が実質的に中国配下となっている今、台湾が民主主義の牙城となっている。
また、日本においては尖閣諸島に次いで、沖縄の領有権を中国が主張しかねない状況だ。
過去、フィリピンは米軍撤退後に中国に進出された過去もあり、沖縄米軍は様々な議論があるものの、地政学的な駆け引きの視点でも議論が必要である。
なお、尖閣諸島は日米安保の対象であるとアメリカは表明している。
まさに2023年11月には米中首脳会談、日中首脳会談があり、今後の動向が注視される。
中国経済と軍事力
上述の通り、領土・領海拡張には、軍事力の発展、維持が必要になる。ただ、それには多大なお金がかかる。
そのため、軍事力と経済成長は切っても切り離せない関係だ。
なので、最近では民主主義国家の経済的な中国離れが着々と進んでいる。
具体的には、中国からの工場離れ、レアメタルなどの重要物質の中国依存度の引き下げなどだ。
この典型例が、IPEF(インド太平洋経済枠組み)。中国抜きの経済圏を作ろうという構想だ。
これまで政治と経済は別というスタンスで上手く民主主義国家と付き合ってきた中国のバランスはいま崩れようとしている。
第2章:地政学から見たロシア
凍らない港を持つことがロシアの地政学的目的
地政学的なロシアの歴史は、ひたすらに南方への進出だ。
なぜなら、北極海に面したロシア領土では、豊かな農墾など叶わず冬ともなれば港も凍りついて使い物にならないからだ。
ロシアはただただ肥沃な大地と凍らない港(不凍港)を求めて、古くから南方への野心をたぎらせている。
そして、その南方とは、黒海・中東方面、東アジア方面の二つである。
領土開拓の歴史は失敗の連続
その二方面へのロシアの領土争いの歴史は、古くは1768年の第一次ロシア・トルコ戦争まで遡るが、今回は割愛する。
ざっくり言うと、黒海・中東方面はなかなか領土拡張ができなかった。
一方で、東アジア方面は英仏と中国のアロー戦争のゴタゴタに乗る形で、北海道の対岸にある沿海州一帯の領土化に成功した。
沿海州にはウラジオストク港を開港し、ようやく不凍港を開いた。これが東アジア方面に南下する道筋となる。
一方で、東アジアで勢いづいていた当時の日本は、満州、朝鮮の権益獲得を目指しており、満州と朝鮮の領土の取り合いが日露戦争につながっていく。
日露戦争の結果、ポーツマス講和条約により満州や朝鮮エリアの権益は日本のものとなり、ロシアは東アジアへの進出も諦めざるを得なくなった。
ソビエト政権樹立
東アジア進出を諦めたロシアは改めて、黒海・中東方面のバルカン半島へ進出していく。
ただ、進出に伴う戦争で国内は疲弊、それまでのブルジョア政権に対立する形で、労働者や農民、兵士たちから成る評議会「ソビエト」が各地に結成された。
ブルジョア政権とソビエト政権の二重政府状態となったロシアだが、十一月革命をもってソビエト政権が樹立された。
拡張路線のもとバルカン半島方面に領土を広めていたブルジョア政権が倒れたことで、その一帯のエリアは失われる形に。
その後、ロシア近辺でもソビエト政権が増えていき、1922年にソビエト連邦が成立。
結果的に周囲のソビエト政権を巻き込んでいく形で、じわじわと領土を東欧に広げていく形となった。
ソ連の崩壊
その後、第二次世界大戦が勃発。東西に分かれたドイツは、冷戦への突入に伴い、戦争の最前線となった。
ソ連からすると東側の東ドイツだけでなく、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアが冷戦時の鉄のカーテンとなった。
しかし、ゴルバチョフが共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(「再構築」「改革」)政策を推進。
一党独裁を脱しての大統領制度を施行、ついには大統領にも就任し、報道の自由化や民主化が進む。
東側の東ドイツも例外ではなく、ベルリンの壁が壊され、1991年にソ連は崩壊、冷戦終結となる。
これにより、ソ連を構成していた15の共和国は分裂、独立していった。
そして、ロシアを除くすべての共和国、ソ連の息がかかっていた旧衛星国は、次々とNATO(北大西洋条約機構)、EU(欧州連合)に加盟して行った。
東側諸国の西側化
ソ連崩壊前、ソ連はNATOに対抗する軍事同盟として、ワルシャワ条約機構を作っていた。
ワルシャワ条約機構のヨーロッパの加盟国は、ブルガリア、ルーマニア、東ドイツ、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア、アルバニア。
ただ、ソ連崩壊後に各国はNATOに加盟、アルバニア以外はEUにも加盟した。
東欧諸国が西欧諸国の一員になったのだ。
冷戦終結によるソ連崩壊は実質的な社会主義イデオロギーの敗北となった。
ロシアならすると仲間がすべて西側に奪われた形になる。
鉄のカーテンはなくなり、ロシアの東欧への影響力が著しく下がる形となる。
ロシアにとってのウクライナの地政学的位置づけ
ロシアがウクライナに対して強い姿勢をとるのは、この東欧諸国の西欧化が背景にある。
ウクライナはその立地上、ロシアにとっては西欧の影響力を食い止める緩衝国となるからだ。
実際、ウクライナの政権が西欧寄りであればロシアは野党を応援し、ロシア寄りの政権であれば与党を支援した。
ウクライナもソ連崩壊に伴い独立はできたものの、産業的にはロシアに依存せざるをえないところもあり、そのスタンスは揺れ動き続けていた。
そんな中、2014年にロシア寄りの政権が倒れ、西欧寄りの暫定政権が建てられた。
このままでは、ウクライナもNATOやEU加盟という流れになりかねない。
そのため、クリミア併合により、ウクライナをなんとしてもロシア寄りの緩衝地としようとした(クリミア危機)。
クリミアは小さな半島ではあるものの、ロシア系住民が多く、半島内にロシアが2045年まで租借しているロシア軍港(セバストポリ)があり、また、戦後1954年まではロシアに帰属していた背景もあり、ロシアはクリミアを欲しがったのだ。
ウクライナ侵攻へ
このクリミア半島を巡るせめぎ合いは続いており、それが拡大したのがロシアによる2022年のウクライナ侵攻だ。
当初2週間ほどで終わると予想していたロシア軍はウクライナの予想外の抵抗にあう。
ゼレンスキー大統領が強いリーダーシップをとったこと、ウクライナ軍が戦闘に長けていたことなどが主な理由だ。
そして、抵抗が中長期化しそうなこと、リスクをとって国内に残ったゼレンスキー大統領の存在が民主主義国家をウクライナの味方にし、支援を得る形となった。
ちなみに、アメリカは全面的な支援からは距離を置いている。
アメリカが支援を強めればロシアは追い詰められ、核ボタンを押す可能性が十分にあるからだ。
このあたりは次の米国大統領選の結果にも左右されるところだと思われる
ウクライナ侵攻による日本への影響
民主主義同士では戦争は起こりづらい、ということはデータが示す国際政治学的常識だ。
ただ、日本はその民主主義国家ではないロシア、中国、北朝鮮を近隣国に持っている。しかも、3カ国とも核保有国だ。
もし、ロシアがウクライナ侵攻を成功させた場合、中国や北朝鮮も「侵攻した者勝ち」と思い始めるかもしれない。
特に、中国はそれをキッカケに台湾、尖閣諸島、沖縄に食指を伸ばして来る可能性がある。
ロシアとウクライナが地続きなのに対し、これらの領土は海が中国との距離を隔ててくれている。
とはいえ、制空権を取られてしまえば、空から上陸されてしまうのだ。
ウクライナの奮闘は、「一気に押し切ることができなければ民主主義国家を敵に回して反撃される」というメッセージを共産主義国に与えてくれた。
とはいえ、実際に侵攻されてしまった背景には、ウクライナも日本同様に非核保有国という要素も少なからずある。
ウクライナが核保有国であれば、ロシアも侵攻をためらったところはあるはずだ。
日本の非核三原則や憲法9条があれば国が守られるという平和主義はウクライナ戦争ではまったくの無力であることがわかってしまった。
特に、先のロシア、中国、北朝鮮は核保有国だ。
近隣国との防衛費の差が大きいほど、戦争確率が高まるのもデータが示す国際政治学の常識だ。
核保有のポリシー的是非は別にしても、近隣の非民主主義国家の防衛費、核や衛星、原子力潜水艦の保有状況といった軍事トピックは注視しておく必要がある。
今回のウクライナ戦争は、ウクライナ・ロシアという当事国ならず、日本の安全保障、第二次世界大戦後に築かれてきた国際秩序の行く末を左右しかねないというのが地政学上の本質的立ち位置である。
ウクライナ侵攻が北方領土問題に影響を与える可能性
第二次世界大戦時にロシアは、日露戦争で日本に割譲された南樺太、千島列島を獲得することを条件に日本侵攻することを英米と約束(極東密約)。
日本の第二次世界大戦の無条件降伏により、両エリアを領土化、いまだに実効支配が続いており、現在の北方領土問題となっている。
北方領土自体はオホーツク海に点在する島々なので、南下戦略上の重要度は高くない。
ただ、日本に領土返還をしてしまうと他の領土問題に飛び火するため、ロシアは北方領土問題を先延ばしにしていると思われる。
ウクライナ侵攻の長期化で財政苦難により北方領土を日本に返還する可能性もあれば、逆にウクライナを諦めて北方領土経由で日本に手を伸ばしてくる可能性もある。
この点でも、ロシアは隣国であり、ウクライナ侵攻は日本にとっても他人事ではないのだ。
以上。
第3章以降はまた追記します。
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