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「暮らすような祭り」の持つ価値とは?最近思っていることと共に。

暮らすような祭りに参加することは

私たちにとっての村や町、ひいては都市が本当は「静的で固定的な形」なだけではなく「動的な絶え間ない創造の流れ」を持っていること

そして、私もその「当事者であり源である」こと

を思い出すことにつながっているように思える


そして、そのような祭りを共につくることは「私に力を取り戻す体験」であるように思える

すでにそのように捉え、動いている方も多数おられると思いますが、近頃その機会と環境がググッと多くの人に広がってきている


また、

ここ数年でのソースプリンシプルの学び
去年のムラムラ(村々)タイムという名のフィールドワーク
直近での浮遊街のボランティアスタッフ

といった経験をしてきた私に

#村とヴィレッジング
#町とタウニング
#都市とシティイング
(名称がイケてるかは置いておいて 汗)

それらの「あいだ」を観て取れるまなざしが育ってきた

そんな気がするのです。


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