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地球を愛する人々が集うラウンジ 「SANU NOWHERE」内にあるONIBUS COFFEEの新しい店舗に行ってみた
ONIBUS COFFEEの新しい店舗のテストオープン日のことをたまたま知ったので行ってみました。
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いろいろ頼んで自分の好みを見つけたい♪
以前はBlue bottle Coffeeだった場所ですが、また違った雰囲気。以前は言うなれば白く直線的、シンとした静かなイメージの場所のように感じていましたが、今は秩序ある雑多な感じというか、生命感を感じるような空間になっていた気がします(そんなに長く滞在していないので、自分に都合よく解釈しているかもww)
それを感じさせているのは、エントランスのこういう雰囲気だったり、
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こういう謎の巨石や、緑の存在が大きいように思います。
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実はこの空間は、「Live with nature. 自然と共に生きる。」を掲げるSanuという会社が新しく手がける「SANU NOWHERE」というラウンジ(来月オープン予定)の一環で、Sanu創業者兼ブランドディレクターの本間貴裕氏のストーリーを下地にデザインされたらしい。
彼は、株式会社Backpackers’ Japan(バックパッカーズ・ジャパン)の創業者でもあり、同社は東京は入谷の「toco.」蔵前の「Nui.」東日本橋の「CITAN」といった魅力的なゲストハウスを運営しています。
私は「toco.」「Nui.」の立ち上がったばかりの頃を知っているのですが、その頃に感じた「生きている空間」に似た匂いをこの場所に感じました。
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店内は、自然光頼みで若干薄暗い感じ。(ソフトオープンだからか?コンセプトなのか?)、太陽光が差し込む入り口側と、日陰のようなスペースがあるこの両面も、無機質な建物ではなく温度を感じさせているように思える(考え過ぎか!?)
このラウンジのInstagramに「ここは地球を愛する人々が集う場所」と書かれていました
そこで思ったこと「私は地球を愛せているのか?」
過去のハワイ島での体験などから地球「に」愛してもらっていることを強く実感しているものの、「私から地球へ」と思うと、おおよそ愛せているとは思えない不義理を多々しているように感じるのが正直なところ。不義理というか、看過してしまっているというか。
愛というものを、対象との間の関係性が一定以上に発達したもの、及びその次元から行われる行為だとします。
そして、その関係の発達は対象を、どのくらいよく(長く密度濃く)見て・聴いて・味わって・聴いて・感じているかによってなされるとします。
だとすると、私は地球(ここでいう地球とは人間社会を除いた営み全てということかな。もっとも除くこと自体は不可能なのですが)に5感を開いて向ける質量がまだまだそんなレベルなのだなと気づきます。
最近、アメリカ先住民にとっての「所有」が現代の法制度の基になっている「ローマ法」におけるそれと、いかに異なっていたか知る機会がありました。
アメリカ先住民にとって、例えば特定の動物を所有するということは、その動物のいのちの循環そのものがなされ続けること責任を持つということ、だそうです。
これは言い換えれば、自分の生命の捉え方が点ではなく、人間に閉じた面でもなく、自然や動物も含んだ球であると言えるかもしれません。(球は球でも、開かれた球。その意味では、境界線は本当はないに等しい。この話していったらキリがないですが。)
「ローマ法」における所有とは、私の解釈が入っていますが、一方的なものであり、対象へのケア・配慮は多分に考慮に入らないそうです。所有した対象を壊すも自由と言っても過言ではないとのこと。(この所有観が土台にあり、先住民への侵略が行われた)
これらの情報の仕入れ元である書籍『万物の黎明』を頑張って読んでいるのでアウトプットしたくて仕方がないのです(汗)
「私から地球へ」でいうと、実際に取っている行動から省みるに、まだまだ後者の「所有観」のレベルだなぁというのが自己評価。
とはいえ、まずは自覚する・意識することから始まるので、こういった内省の機会につながるそのフレーズが素晴らしいなぁと思いましたね。
ラウンジのオープンも近いので楽しみです。
気になった方はぜひいってみてくださいね。
おまけその1
今回間違えてシャッターが押されちゃったのを後で見返したら、思いがけずいい構図かもと思ったので。
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おまけその2
SANUのラウンジができる経緯のストーリー、グッときました。ぜひ読んでみてくださいね。