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おおえまさのり氏、山尾三省氏(故)、山田塊也氏(故)が振り返った「いのちの祭88」を書籍から抜き出してみました。


はじめに

今週木曜から始まる「いのちの祭り2024」に行くにあたって、ふと思い立ち、今年の1月〜2月くらいに集中的に読んでいた書籍の中で「いのちの祭り88」を著者がどう振り返っていたかなどを抜き出せる限りではありますが、引用してみました。

1988年 初めて開催された「いのちの祭り」の関係者が語ったもの

実行委員長であるおおえまさのり氏が書いた「いのちの祭り88」

1988年、初めて開催された「いのちの祭り」の実行委員長だった、おおえまさのり氏の以下の書籍から引用します。

八六年の四月二六日、チェルノブイリ原発の大事故があって、原発をこのままにしておくと非常に大変なことになる。それで、単にそれに反対するだけじゃなくて、脱原発のもう一つの新しい生き方、新しい価値観の在り処を提示していこうとして、八八年に「いのちの祭り」を開いたわけです。

2002年著・書籍『魂の源境へ』p94

それまでずっとマイナーというか、小さな動きとしてあった精神世界とか、部族とか、あるいはヒッピーとか、自然食とかいう形でいろんな所で生きてきた人たちがそこに集まってきて、そういう生き方をしてきて、「ああこれで良かったんだな」というのが感じられた。間違ってなかったんだと。今まで社会的には余り認められてこなかったものの、自分たちの生きてきた道が間違ってなかったんだということ。そしてさらに、そうした生き方こそがいのちを輝かすのだということ。とても良かったですね。

2002年著・書籍『魂の源境へ』p95

おおえ氏の語る開催の経緯などはこちらでインタビュー記事が紹介されています。


山尾三省の書いた「いのちの祭り88」

まつりの中で行われたオールナイトコンサートのオープンニングの詩を読んだそうです。その内容はこちら。

1988年再販『聖老人: 百姓・詩人・信仰者として』より引用
1988年再販『聖老人: 百姓・詩人・信仰者として』より引用

詩の紹介の後に書かれていた文章がこちらです。

 二十年前、その同じ八ヶ岳の山麓に、僕たちの「部族」の「雷赤鴉族」の家があった。二十年前の僕達は、マスコミその他から好奇の眼で見られるだけのアウトサイダーであったが、二十年を経た今は、原子力発電と核兵器のない世界を現実的に作り出す、大きな社会的な愛として存在している。
 僕達はこの夏、長く背負ってきたアウトサイダーの重荷を大地に帰し、アウトサイダーであることインサイダー(市町村民)であることを越えて、両者に通底するひとつひとつの輝かしいいのちであることを確認し合った。この祀りに際して僕が、八ヶ岳での祀りであるよりは、八ヶ岳そのものを祀り続けたのは、その山が深いいのちであるからであった。僕たちひとりひとりは、むろん大切な、光を秘め、光であるいのちであるが、八ヶ岳はさらに大きく深い光を秘め、光であるいのちであった。
 むろん、八ヶ岳だけがそのようであるのではない。すっべての無名有名の山々、島々、川や湖、平野、湾、海峡、そして大洋は、より深くより通底した光を秘め、光であるいのちである。
 八月九日の朝、すでに多くの人々は去ったスキー場のスロープで、八ヶ岳を正面に、アメリカインディアンの長老トーマス・バンヤッカさん、フロイド・ウェスターマンさん、ロビー・ロメロさんの三人と北海道アイヌの長老豊川エカシによる合同の儀式が行われた。すらりとした長身で、若く、AIM(アメリカ・インディアン・ムーブメント)の戦士でもあるロメロさんが、一本の鷲の羽を高々とかかげ、東の空と山から、南の空と山から、次に西野空と山から、北の空と山から、儀式の火の焚かれているその地上へ力を引き寄せてくる仕方を見ながら、僕にも深く了解されるものがあった。
 僕たちの存在の仕方は、より大いなるもの、より深く緑を繁らせるもの、より美しく花開く青空から力をもらう時、もっとも健全に、もっとも平和に呼吸することができるように作られてある。
 時代はどんどん先へ進んで行くが決して先へ進まず、春歌秋冬と回帰し、生老病死と回帰するもうひとつの永遠の時が流れていることを、僕たちは忘れてはなるまい。
 核兵器と原子力発電所の存在に頂点を持つ、これまでのような工業文明の方向は、いのちおよびいのちの輝きとは相入れないものであることが、今ようやく万人の胸に明らかなものとして見えてきた。この工業文明は、根底からその方向性を問い直し、生類を殺すのではなくて、それに奉仕する不幸へと、深く修正されなくてはならない。原子力発電所の新たな建設を止め、現在運転中のものはその作動を停止し、解体してゆくことが、その修正の第一歩である。核兵器の廃棄が、それに続くあるいはそれと同時の一歩である。

『アイアムヒッピー』著者、山田塊也による振り返り

 運動には波があり、その波のタイミングとテーマと場所がうまく重なると、祭という大きな力になって爆発する。60年代のビートニック→ヒッピーに端を発したカウンター・カルチュア運動の波は、わが国では70年代中葉の「スワノセ島を守れ、ヤマハボイコット運動」というテーマで連動し、75年春の御殿場”花まつり”で爆発した。
 70年代後半からは乱開発による自然破壊に対して、フリークスは地方に分散し、地域に根をはった住民斗争や市民運動を共に担ったが、80年代に入るや共に停滞した。しかし86年のチェルノブイリ事故を機に、反原発運動の波が高まり、広瀬隆の連続講演や、『ホピの予言』上映会などによって、市民運動とカウンターカルチュア運動はタイアップして盛り上がっていった。
 このうねりは88年に入るや更に高まり、2月は高松の「原発サラバ記念日」に始まって、4月の東京2万人パレード、そして下北半島、東海村、北陸、山陰などの原発現地集会などに、多くの市民とフリークスが参加した。こうした運動の波のピークに、ハチハチは用意されていたのだ。

<中略>
 
祭の意図するところは、盛り上がっている反原発運動を切り口として、エコロジカルで簡素なライフ・スタイルや、精神的、霊的な覚醒と意識の進化といった、カウンター・カルチュア運動が探求して来た課題を共有し合い、短い期間でもいのちに根ざしたワンラヴのユートピアを創造してみることだった。

2001年出版・書籍『トワイライトフリークス』p69~71

さいごに

今回、短い時間の中で情報を集めたので3名の振り返りを紹介するに留まりましたが、他にも多くの方が関わり、それぞれの視点からの「いのちの祭88」があることと思います。

ちなみにこちらの動画では今回の運営に関わっている「きこりさん」のインタビューにより、1988年当時の音楽総監督をされていた南正人氏(故)が語っています。よければぜひ。

きこりさんのインタビュー記事もこちらで公開されています。


おまけ

『アイアムヒッピー』著者、山田塊也による、いのちの祭の衰退、その後。

 いのちの祭の衰退と、レイヴ・パーティの勃興。世代を越えてフリークスが交わるアングラ前線における10年の変化は、何を意味しているのだろうか?
 第一の変化は、運動の衰退によって論ずべきテーマと、伝えるべきメッセージが消滅したことだ。ハチハチのサブタイトルであった「ノーニュークス ワンラヴ」というテーマのうち、上半身のノーニュークス(脱原発)は、原子力産業そのものの自壊作用により、原子力に未来のないことが衆知のこととなり、運動や祭りのテーマから消えた。
 ノーニュークスに替って、祭りになるような包括的なテーマが、バブル崩壊の中から浮上することはなかった。イデオロギーの消滅とボーダーレス現象が世界的風潮となる中で、市民運動は八方塞がりとなり、カウンター・カルチュア運動は八方に開いて拡散した。
 第二の変化はイベントの構造的変化だ。いのちの祭型の従来のイベントでは、ミュージシャンを頂点に、中間にテクノロジー・スタッフを配し、底辺に聴衆がはべるというピラミッド構造に支えられていた。ミュージシャンはメッセンジャーであり、カリスマであり、そのキャラクターと実力がイベントの成否を握っていた。
 これに比べてレイヴでは、DJは一方的な音の発信者ではなく、状況に応じて音を供給する一パートにすぎず、それはテクノロジー・スタッフ同様に本来的に匿名の存在であり、いつでも取替えが自在である。彼らは聴衆である踊り手とパラレルな関係にあって、参加者全員が自我を超えた覚醒のネットワークを構成する重要なパートを担っている。そこでは言葉によるメッセージや自我の主張は不協和音であり、カリスマは存在理由を失う。
 第三の変化はメジャーとアングラのボーダレスである。祭からテーマやメッセンジャーが消えたことによって、売らんかなのメイン・カルチュアと、売る気のないカウンター・カルチュアの相違がすこぶるあいまいになった。
 もともとゴアのアシッド・パーティに源をもつレイヴは、プライベートな手づくりパーティが基本であり、サイケデリックがネットワークの条件だから、ハッピーなトランス体験さえできれば、3次元の足場がメジャーだろうと、アングラだろうと大差はないのだ。

2001年出版・書籍『トワイライトフリークス』p72~73より引用

その後、2011年に3.11が起こりました。もし当時山田塊也氏が体験していたら上記に書かれている「論ずべきテーマ、伝えるべきメッセージが消滅した」ことをどのように捉え直したのだろうか。それが気になりました。(山田氏は2010年に亡くなられています)

また、その翌年の2012年にも「いのちの祭」が開催されました。その時の模様などはまだキャッチアップできていませんが、どのようだったか興味深いです。

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