WIRED(ワイヤード)vol.35を読んで考えてみた(1)持続可能な人間社会を創るために重要な人間の価値観とは?
はじめに
雑誌WIRED(ワイヤード)の2019年12月号のテーマは地球のためのディープテックです。地球破壊の文脈に置かれることが多いテクノロジーをむしろ活用することによって地球環境問題を解決していく。そんな事例をたくさん紹介している号なのです。
私は「地球環境問題×テクノロジー」というテーマに強く関心があったので今回初めて購入してみました。実際に読んでみると1つ1つの記事が示唆に富んでいて深く考える機会をたくさんもらえました。まとめるとかなりの分量になってしまったため分割して書いていきます。今回はまず1つ目です。
ベゾス氏の宇宙開発事業と、複数の正義を容認する視点
私たちの日常に深く入り込んでいるGAFAの一員であるAmazon。
その創業者であり、現在世界一の大富豪であるジェフ・ベゾスは宇宙開発を行なっています。
その始まりは、イノベーターとして世界的に有名なイーロン・マスクがSpaceXを創業した年よりも2年早い2000年に事業をスタートしていたそうです。
記事ではベゾスが高校生だった時のそして今年の発言が紹介されています。
「地球は有限です。世界経済と人口が今後も成長していくには、宇宙に行くしかありません。」1982年のマイアミで、当時まだ高校生だったジェフ・ベゾスは地元新聞社の取材にこう答えていた。
〜
「世界のエネルギー需要は年間3%ほどの比率で増えています。大したことない数字かもしれません。でもこのままいくと500年後には、地球の表面を太陽光パネルで覆い尽くさないと供給が間に合わない計算になります。そんなの無理に決まっているでしょう」
〜
「地球を出て太陽エネルギーを活用し、宇宙で1兆人が暮らすようになれば、数千人のアインシュタインが生まれ、数千人のモーツァルトが生まれるでしょう。素晴らしい文明になるはずです。停滞と分配をとるか、ダイナミズムと成長を選ぶのか。答えは簡単です。」
(34Pから引用)
「地球を救わなきゃいけないんです。わたしたちの孫とその孫の未来から、ダイナミズムと成長を奪ってはいけません」
(35Pから引用)
私はベゾス氏の発言を読んだ時に、
グレタ・トゥーンベリさんの活動・SDGsに象徴される
再生可能、持続可能、循環へ向かうベクトル
とは異なる、
これまでの世界の経済成長を押し進めてきた
植民地的に開拓を行うことで成長を目指していく
グローバル資本主義のベクトル
の相変わらずの力強さを感じました。
この2つのベクトルの違いは価値観によって生まれているものだと思います。
なぜならば、上記でベゾス氏の語る停滞や成長は、主体となる人の価値観によってその定義が変わるからです。何にダイナミズムを観るのかもその人の価値観によって変わるでしょう。
私は、ベゾス氏が上記のような価値観・思想である限りは人間のすべての活動が「再生可能、持続可能、循環」という前提を踏まえることはないと思いました。
なぜならば、世界トップクラスのグローバル企業においてそれらの前提よりも、宇宙開発に代表される拡大志向が価値として優位性を持っていて、その優位性を中心としたランキングが依然として存在しこのランキングを目指す人々は同質の価値観を持つからです。
では「どうすればこの価値観を人間社会の持続可能性のために
1つにすることができるのか。」
物事を善か悪か、0か100かで捉える二元論的観点ではこういった問いが生まれるでしょう。
しかし、この問いから生み出される行動は、
自分たち以外を正すという排他性に繋がりかねません。
私はこの観点の行動が極端な偏りを伴って作用した結果、世界のあらゆる戦争が起こってきたと考えています。ということは、そもそもにたちかえれば
別の観点も獲得する必要があると言えます。
それは一体何でしょうか。
そのためには、
私たちが無意識に持っている前提を覆すことが必要なのです。
そして、それは
「何が自然な状態なのか」を人間目線から
自然目線へ再定義することだと思っています。
私は最近、マルチピースという造語を思いつきました。
これは和訳すれば複数の平和であり、1つの秩序ではなく
複数の秩序が同時に存在していることが自然であるということ
を意味しています。
また、その秩序の主体は人間だけではありません。
この観点で捉えると、何が変わるかというと
物事をグラデーションとして捉えるようになるということです。
そして、
究極的には合うか合わないかという判断基準になっていきます。
この世界にあるのは、
違いが分断を生むという時間軸でもなければ
部分を足していくと全体になるという空間軸でもありません。
あるのは、違いの総体 = 秩序であるという認識です。
マルチピースとは、についてはまだ探求中なので
言い回しが変わる可能性がありますが、
この観点を獲得することによって人間は分離を前提とした何かを統合していこうという意識、行動とは異なる質の活動を行うようになると思っています。
これは言い換えると
あらゆることが自己表現だと思える感覚かもしれません。
自己表現だと感じて取り組むことで
その活動は正しさではなく楽しさを帯びると思っています。
私は正しさを否定したい訳ではないのですが
正しさを中心に置き続けることによって
内部崩壊する、あるいは崩壊を無理に隠そうとすることで
関わる人が疲弊してしまい、その歪みが伝播すると思っているため
正しさで推進していくことは、持続可能ではないと捉えています。
一方で、楽しさは自分にとっても関わる人にとっても
持続可能性を高める効果があると思っています。
また、楽しみ続けるためには自分に関係があると思える対象を増やすこと、
言い換えれば、自己の意識の拡張が必要だと分析しています。
私は人間がこの感覚、意識で活動していくことが動植物、地球との調和の取れた持続可能な人間社会を実現するために重要な要素だと考えています。
さいごに
最後まで書いた上で気づいたことがあります。
それは、私が争うことが嫌いであり、できる限り避けたいと思っているという前提を持っているということです。
争いをできる限り避けながら上記の社会を実現するためには今回紹介した価値観、捉え方ができるようになることが必要だと思うのですが、
争いが必要なのはどういうケースなのか?
についてを踏まえたものではありません。
分かり合えない、かつ相手が強大なパワーを持っている場合、
どのように交渉していくべきなのか?
このあたりも重要なことだと思うので
こちらについては引き続き取り組んでいこうと思いました。
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