見出し画像

運命共同体としてのコミュニティの最大規模は20万人か!?自分の体験を照らし合わせてみた。


はじめに

「天外伺朗 最新刊『シン・コミュニティ論』発売記念 コミュニティ・サミット in 八ヶ岳」に参加しました。

2日目に清泉女子大学学長補佐/文学部教授など様々な活動をされている山本達也さんのプレゼンテーションがありました。

プロフィール

清泉女子大学学長補佐/文学部教授。ALPSCITY Lab代表。一般社団法人Edition4 Studies代表理事。NPO法人鎌倉ユネスコ協会理事。NPO法人パルシック(PARCIC)監事。一般財団法人楠田育英会評議員。

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了。博士(政策・メディア)。「情報通信技術を中心としたテクノロジーと社会変容」をテーマとして、グローバルなレベルからローカルなレベルまで幅広く研究および実践活動を行う。専門は、公共政策論、民主主義論、情報社会論。

自律・分散・協調型の社会システムにおける中小都市の役割に注目し、自然(ALPS)と都市文化(CITY)とが融合したALPSCITY的都市への変革に向けた推進力を獲得するためのデジタルツールとして、信州まつもとエリアにてデジタル地域通貨「ALPSCITY pay(アルプスシティ・ペイ:AC pay)」を創設。AC payのコミュニティマネージャーを務める。近年では、AC payを活用した地方都市における民主主義のアップデート、贈与経済的仕組みや共感資本をベースとした親密で持続可能な地域経済システムの実装、21世紀的なコモンズ(共的領域)の創出に関するプロジェクトを手がける。

松本市基本構想2030市民会議座長、松本市松本シンカ推進会議座長、松本市中心市街地再設計検討会議座長代理、松本市観光ビジョン策定会議有識者委員、品川区しながわSDGs共創推進プラットフォーム座長、品川区環境活動推進会議座長、品川区環境計画等改訂協議会副会長、日本工学アカデミー人類未来戦略フォーラム委員など。

著書に、『暮らしと世界のリデザイン:成長の限界とその先の未来』、『革命と騒乱のエジプト:ピーク・オイルとソーシャルメディアの政治学』、『多様化する社会と多元化する知:「当たり前」を疑うことで見える世界』(共編著)、『地域間共生と技術:技術は対立を宥和するか』(共著)、『ポスト・グローバル化と政治のゆくえ』(共著)など多数。

こちらから引用

今回は、そこでの発表内容と照らし合わせることができる事例について書いていきます。

運命共同体としてのコミュニティの最大規模は20万人か!?

プレゼン内容と同様の箇所があったインタビュー記事を見つけたので引用します。いずれもこちらの記事から引用しました。

メソポタミア文明に始まるシリアの歴史をみると、エネルギーの配分に失敗すると文明が滅びることが分かるんです。そこからエネルギーと情報通信の技術が交錯する地点で世界がこれから変動していくだろうと思うようになりました。

その視点で日本を見ると、20世紀の東京は面白かったけど…みたいな感じになってきて、これからは自然との距離感がテーマになってくるだろうと思いました。その中で、社会科学学者として自然との関係がつくれる中で一番大きい社会に注目して、その限界が20万人だという仮説を立て、20万人規模の松本に移住しました。

(「20万人というのはなぜですか?」という質問に対して)ひとつのエリアが運命共同体だとして、リアルにイメージができるコミュニティの大きさの最大規模が20万人程度ではないかと考えています。

ここには匿名性が関わってきて、20万人までは「誰かの誰かは誰かだよね」みたいなことがリアルに共有できる。

社会学者の宮台真司さんとお話ししている時に過去の研究について教えてもらったのですが、人口が20万人を下回ると援助交際という現象が消えるのだそうです。20万人を下回ると、知り合いの知り合いが知り合いになっちゃう可能性がすごく出てきて、匿名性が機能しなくなるかららしいんです。援助交際は匿名性が担保されないと出てこない。だから20万人を下回ると援助交際は成立しないのではないかと言います。

大きな都市には地方のしがらみがないから、個人主義的で、自分のルーツと切り離されて能力を発揮できる良さがあると思うんです。でも個人主義が行き過ぎると歪みも出てくる。20万人だと確かにしがらみはあるんだけれど、そのしがらみの中の最大サイズってことは、その中では匿名性が一番担保された場所なんじゃないかと。

人口約11万人の掛川市へ

コミュニティサミットが終わった後に、静岡県掛川市のイベントに参加することは決まっていました。

共同主催者の長濱さんは掛川市でまちづくりを進めておられ、イベントの参加者の中には、理想の拠点を求めて、結果として生まれ育った掛川にUターンされた方もいました。

懇親会でその方と話している中で、掛川の魅力・良さってどんなところにありますか?と自然と聴く流れになったところ、「サイズがちょうどいいんですよね」と言われていました。

その後、まちづくりを進めておられる長濱さんにこの話や、先に紹介した20万人の話をさせてもらったところ、なんとなく肌感覚と合うと言われていました。

午前中に聴いた話の具体例を午後に知ることができた気がして、1日の流れが面白かったですね。

山本さんの話は最大20万人では?ということでしたので、11万人の場合は仮説が当てはまっているといえるかもしれません!?(ヒヤリング対象が少ないので結論は到底だせないのですが 汗)

自身の経験と照らし合わせてみる

居住者としての私の感覚は、小中高を過ごしたある約110万人の都市に住んでいた時に個人的には「ちょうどいい規模」「私の町」と感じていました。

それ以上の人口の街にも住んだことはありますが、同じように思ったことはなかった一方で、とある都市に短期間ですが滞在した際にも同じ感覚を抱き、気になって調べてみたらほぼ同じくらいの人口だったことが分かり、興味深かったです。

ただ、この記事を書く上でより丁寧に考えてみると生活圏は市全体ではないので、110万人に対して「ちょうどいい規模」「私の町」と感じていたわけではないなと思い返しました。そこで、居住エリアの区単位で人口を捉え直してみると、私がこどもの頃を過ごしたエリアは約30万人でした。

そして、同じ感覚を感じた市についても、行動範囲に基づき区単位での人口にとらえ直したところ、約31万人でした。

つまり、私の感じた感覚は30万人くらいの規模感の都市に対してのものでした。

ただ、いずれの街でも何かしらの活動を行なった機会はありませんので、プレイヤーとしてどう感じるのかは分かりません。

「プレイヤーとして活動したことがある街は?」で振り返ってみると、大学時代に学生団体を立ち上げて活動していた時のことを思い出しました。そこで大学があった市の人口をみてみると、なんと約30万人でした。(そこから現在にかけて3万人くらい減少していました・・・)

この学生団体では市内の法人などと共同で行うことはほとんどありませんでしたが、商工会の人や活動と関連がある会社の方と旗を立ててからすぐに繋がることができたり、応援してもらえたりと、出会いやすさや人と人としての関われる距離感の良さを感じていましたね。匿名性については、私がその街に居住していたのは3年ですが、よく分からないですね〜〜。

一方で、ショッピングや観光など消費する側としては物足りなかったことを覚えています。(これは裏返せば、生産する側・仕掛ける側としては余白がたくさんあると言えるのでしょう。そして、街中育ちというのがこの判断軸を持っているところに出ている気がします)

これは100万都市ではなかった感覚ですね。消費する側としてあって欲しい施設・お店のブランドやバリエーション的なものは100万人くらいのマーケットがあるエリアがちょうどいいと感じたのでしょうか。

ちなみに種類だけではなく、ある程度場所が集中しているため、行きやすいということも大きなメリットとして感じていました。一方で、その後長く過ごした東京では同じような場所が複数あるため、選択肢が一気に増え、かえって迷ってしまっていましたね。(これは私がショッピングでいろんな選択肢から選びたいという欲求が低いというのが多分に影響しているとは思いますが)

さいごに

匿名性ということで、私が直接感じたことではありませんがトータル9ヶ月滞在したフィリピンの離島のことを思い出しました。そこでは人口が約9万人だったのですが、重犯罪の発生率がほとんどないとのことでした。その理由は、島全体が顔見知りだからすぐにバレることが抑止力になっているとのこと。山本さんが言われていた匿名性はまさにこの抑止力のことを指しているなと思いました。

また、今回のテーマはいろんな人に体感を聴いてみたいと思いましたね。(だからといって山本さんの仮説が合っているかどうかを批評したいわけでは一切なく、大切なことは実践してみることだと思います)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?