ソースの承継について過去の経験を振り返ってみた〜読書記録6『A little red book about source: Liberating management and living life with source principles』を読む〜
はじめに
1週間に1回のペースでソースプリンシプルにまつわる世界で初めて書籍『A little red book about source: Liberating management and living life with source principles』をJUNKANだいこんのメンバーと読書会で読んでいます。
以前、このような記事を書きました。
この記事では私が大学時代に初めて「グローバルソースになった」時のことについて書いており、最後の方では「立ち上げたイニシアチブを引き継いだこと」について書いています。
今回は、その時のことをさらに深掘りし「ソースの引き継ぎ」というテーマに関連した記事を書いていきます。
そもそもソースの引き継ぎ(承継)とは何か?
ソースプリンシプル提唱者のピーターカーニック曰く、ソースの承継で大切な2つのこととは、
だそうです。
ソースの継承体験について〜補足編〜
先に紹介した記事の中では私が立ち上げた学生団体を、卒業する前に1学年後輩に代表を引き継いだが、ピーターのいうような「ソースの引き継ぎにまつわる以下の内容が思い出せない」と書いています。
これでいうと、大学の学食でその人に伝えたことは覚えていますが、「これがそうかな?」という疑念が多少なりとも湧きますので、行われなかった、とこの記事を書くに当たっても判断していました。
その後、より詳細が気になって、当時のことが書かれていないかmixiを遡って探してみました。そうしたら、私が卒業してからのmtgの議事録メモを発見することができました。
そこを見ていくと、私自身が引き継いだ後に早い段階で「このイニシアチブを立ち上げた理由」を具体的にチームのグループスレッドに投稿しているのを見つけました。
また、その後のメモを見ていっても、その理由について何人かの後輩から語られている内容や実施したイベントの参加者の感想を見つけることができ、「あれ?これはValues(価値観)は伝わっているっぽいぞ?」と思ったのです。
そういった面もありつつ、一方で「後輩たちがこの先どうしていこうか」という道に迷っている様子が書かれていました。(迷いがあること自体は、ソースプリンシプルにおいても健全な状態。)
私の次の代表のMさんとMくんはある種ダブル代表のように密に協力しあいながら進めているようでした。
この点についてあえてソースプリンシプルのレンズを用いると、もしその当時、そのイニシアチブの迷いの状態が続いたり、いまいち決めきらないなぁと思うシーンが続きみんなが疲弊感を感じる現象があったとしたら、それはステファンが書籍で書かれているソース「3つの病理」でいう「ソース否定派」が当てはまるかもしれません。
病理「ソース否定派」とは?
文中ではこのように書かれています。
そして、こうなった理由についてもいくつか書いています。この病理を乗り越えるには、「何がその人をブロックしているのか」根本的な作業をしなければならない、そうです。そして、その中では投影を取り戻す(リクレーミングワーク)必要があることもあります。
この病理に関する記述で「ソースとしての自分の役割を無視する。性質と程度を認識しない」というところがあります。
これは、ボトムアップや対話を重視する人に見られる傾向ですが、過去の何らかの経験によるバイアスにより、健全なトップダウン・ソースプリンシプルでいうオーサーシップ・クリエイティブヒエラルキーをないことにしてしまう(これを言い換えるとソース否定派となる)、というものがあります。
その結果、話し合いはよく行われるけど、決定がなされていかない・停滞してしまい、逆に対話疲れしてしまう、プロジェクトも進まず疲弊するといった現象が起こったりします。
後輩たちの場合に当てはめてみると、もし私が直接代表を任せたMさんが対話を重んじ、自分がやりたいことを前に出すよりもみんなを引き立てたいといったタイプだとしたら、このソース否定派の病理が起こっていたと言えるかもしれません。
実際、記録を見る限りではイニシアチブメンバーのみんなでディスカッションをしていたようなので、発言を平等にできるといった意味でのフラットさはあったかもしれませんが、創造していくために重視すべきクリエイティブヒエラルキーを機能させるという意味でのトップダウンは行使されない、という片手落ちの状態だったのかもしれません。
もちろん、当時の私にとってはそういったプリンシプルことが存在することや、大事だということが分からなかったので、Mさんが悪いといったことは一切ありません。あくまで思考実験です。
もし、私が当時、ソースプリンシプルを知っていたら、代表を任せる話をする際に「この学生団体の創造の源はあなたになる、ということです」といったいわば「グローバルソースという役割を引き継いでくれますか?」といった投げかけをしたことでしょう。
その上で、引き受けるのと、この役割の話をせずに引き受けるのでは大きな違いが出てきますね。とはいえ、イニシアチブのValues(価値観)を大事にしてくれる人へ渡すことができたので、Values(価値観)からズレるといったことは起こらなかったのではないでしょうか。
しかしながら、イニシアチブ自体の方向性を感じ取ることを司るグローバルソースというバトンが渡されていないままだったため、後継メンバーの彼らにとっては方向性自体で迷い続けることがあった、と言えるのかもしれません。
さいごに
今回書いた内容は、mixiに残っていた2007年頃の投稿を参照しつつも、ソースプリンシプルの叡智を紹介しやすい想像を一部行なったものになりますのであしからず。
日本語でソースプリンシプルについて学べる最初の本『すべては1人から始まる――ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力』著者のトムニクソンに「ソースプリンシプルを用いて会社組織を支援する際にまず何から始めるの?」と聴いた時に彼は「経営者にまず、自身がこのイニシアチブのグローバルソースであると自覚してもらうこと」といったことを言っていました。(といいつつ、その人が後継者だった場合は、ソースという観点での引き継ぎが行われていない可能性もあるので、ヒヤリングが必要だったりしますが)
私が人生で初めてグローバルソースとなった学生団体では、私自身がそのイニシアチブのソースであるという自覚はありませんでした。だから、引き継ぐこともできなかったのであり、原因は私にあったのだなぁと納得しています。
読むだけではなく、自身の経験に当てはめてみようとすることで理解がググッと深まりますね。別のことについても同様に当てはめて、深めていきたいと思います。