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フリーランスによる、ティール組織についての「学びと実践」の軌跡シリーズ〜その4〜興味を持ったきっかけ編
はじめに
Learnig Journey Share シリーズ〜ティール組織と私編〜今回はその4となります。(フェーズ0 2010年秋)
前回で現在までいっておいてここで過去に戻るのはスターウォーズみたいですが3部作にはならず今回のみなのでご安心ください!
今回は、フェーズ0ということで、私が今回まで記事を書いてきたように「ティール組織」について注目している理由について書きたいと思います。
「ティール組織」が気になることにつながる原体験とは?
去る2010年の秋頃、私はハワイのとあるオーガニックファームにいました。
そこで私は、自然農法・パーマカルチャー・ほぼ自給自足、ヨガ・瞑想などを行う生活をしていました。
少しそこでの生活を紹介します。
抜けるような青空と地平線に広がる海の間、緑に囲まれたファーム。
まだ薄暗いうちに目覚め、ヨガや瞑想をしている内に朝日が昇ります。
ファームでとれたケールとバナナで作ったドリンクと採れたてのマンゴーが朝ごはん。
その後、汗を流しながら、蚊にさされながら、土を耕したり、農作業をします。
いつも食事が楽しみでした。
自由時間には風に揺られながら本を読んだりもしていました。
書籍名を思い出せませんが、他にもマクロビオティック提唱者の桜沢如一氏の本や、女神に関する本も読んでいたことを覚えてます。
電灯がほとんどないので、夜20時には真っ暗な夜空に抱かれて眠りにつき、翌朝は5時には起きるという日々。
日本社会から離れた生活。
言ってみれば貨幣経済中心の社会からも離れた生活を過ごしていました。
そんなある日、スナックエンドーを収穫したり、雑草を抜いたりする中で"いのちの循環"を実感することがありました。
そして同時に、お金がなければ生きていけないこと、貨幣経済が生活に中心にあることは事実ではなく、思い込みだと気づいたのです。
そして、本当に中心にあるのは「生命の循環」であるということに気づいたのです。(私の感想です。)
その時に書いた日記があるので紹介します。
今の季節、ハワイ島は乾季で作物を育てるのに大変なのですが、ここ数日はなぜか雨がたくさん降っています。
日本だったら雨は嫌だなぁと思っていたのですが、ここでは降れば降るほど植物が喜ぶので嬉しく感じます。
都会にいたときは物事の快、不快という解釈が人間中心になってしまっていたなぁ、というのも大自然の中での気づきの一つです。
ハワイのこの場所で東京にいたときとの違いは何でしょう??
それはとてもたくさんあるのですが、今日お話したいのは「多くの生命の循環に出逢えること」です。
今こうしてパソコンで作業をしていると雨音以外に、小鳥のさえずりが聞こえてきます。
今日の午前には野菜の収穫をしました。
畑ではハチが飛んでいたり、蚊がプーンといっていたり、地面にはダンゴムシがいたり、アリさんがいたり、バッタがいたり、葉っぱの裏にはミドリムシがいたり、クモがいたり、いもむしがいたり。
とてもたくさんの生命に触れることができます。
以前、それぞれの生命が果たしてくれている役割について考えることがありました。
植物の果たしてくれている役割は二酸化炭素を吸収し、酸素を出してくれていること。そして食物として私たちを含めた動物の栄養、エネルギーとなってくれていること。そして、虫たちの家となっていること。
虫たちの果たすべき役割は、例えばハチでいえば植物を受粉させること、ダンゴムシでいえば土をフンで豊かにしてくれること、鳥などの動物たちの栄養やエネルギーとなること。
そんな風に目に映るもの、それぞれの果たしてくれている役割について考えていたら、必然私たち人間について考えることになりました。
最初に結論を言ってしまうと、正直まだ人間としてこの地球や他の生命に対して果たす役割というのは見えていません。
でも、人間と社会というところについては少し見えてきたことがあります。
まず、女性の果たしてくれている役割について。
もちろんその人個人の本質を実現するという役割もありながら、「生命を産み育む」という人間という種に対してとても大切な役割、目的を持って生きていると思います。
私は農作業を通じて、生命が産まれることに多く立ち会う中で私たち人間の中において女性という存在がいかにかけがえなの無いものなのか、という想いが強くなりました。
女性がいなければ私たちという種は生き残ることができません。
女性がいてくれているということはとてもありがたいことなんだなぁと強い実感を持ってその感覚を感じています。
一方で男性はどうでしょうか。
種の存続という観点からいうと、新たな生命が誕生するためには決して欠かせない存在であることは間違いないですよね。
男性がいなければ子どもはできないのですから。
それ以外の果たす役割はどういったものが考えられるでしょうか。
原始時代で言えば,男性は食料などの資源を調達してくるとても大切な役割を果たしてきました。
現代でも同様に男性がお金を稼ぎ、それをもとに日常生活に必要な資源を手に入れているそういう家庭は多いと思います。
でも、ただ労働とお金を交換するというのが果たす役割ではないと思います。
私が考える一つの役割は、創ることだと思います。
それは、具体的なものだったり、社会のシステムという目に見えないものだったり。
今までにも男性はいろんなものを創ってきました。
今日の豊かさという流れを牽引したのは男性の持つチカラだったと思います。(これは、欲望や能力も含めてのことです)
おかげで日本に産まれた私は、他の国では今でも高い価値を持つステータスとなる大学の卒業ができたり、食べることに困ることなくこうしてブログで
情報を発信したりすることができています。
でも、改めて言うまでもないですが物質的には満たされていても感情が満たされておらず、私たちにとってとっても大切な心のつながりが欠乏しています。
これらの詳しい状況についてはいろんなニュースにお任せしますが、そうなった原因に私たちにとってとても大切な観点が欠けたまま社会ができてきて仕組みも整ったからなのかなぁと思います。
それが、今私がこの場所で感じている、他の生命とのつながりだったり、
生かし生かされていることだったり、自然あっての人間だったり、 色々な生命が調和し合うことの大切さ、ということだと思うんです。
「循環・調和・持続可能な」といった表現は数年前からも注目されていますよね。
きっとこれからはどんなスピードかは分かりませんがどんどんそちらの方へ変化が起こっていくと思います。
そこで大切なことは、先ほどお伝えした観点を踏まえてすべてを発想し、思考していくこと、実行していくこと、だと思うんです。
でも、私たちは忘れる生き物。
だからこそ、自然に触れる機会を持つというのはとても大切なことだとこの場所にいて強く感じました。
私たちは環境に大きく影響を受けます。
大自然の営みに触れているとそのつながりを忘れることはありません。
でもひとたび「部分」だけで判断されているような環境に身をおくと大切なことも見えなくなってしまったりしますよね。
色々な方や色々な本ですでに言われていることばかりだと思いますが、実感が伴ってこの理解に至ることができたというのがとてもいい経験だと思っています。
このようなメガネで以て、日本を観てみると色々なことに違和感を感じるようになりました。
そのとき以来、経済至上主義中心のための経済ではなく、生命の循環を中心においた経済はどのようであるか?という問いについて考え続けることになりました。
なぜ、ティール組織に強く関心を持っているのか。
それから約7年の月日が流れた、2018年の春。
たまたま必要性があり、書籍「ティール組織」を読むことになったのですが、その中で特に印象の残った一文がありました。
それは、
「本書では、機械のテンプレートに基づくのではなく生命と自然の観点からのインスピレーションを求めて組織をつくったらどのような可能性が開けるか。に焦点を当てた。」
という一文です。(確かあとがきあたりだったと思います)
私はこれを読んだときに、ビジネスフィールドにも「生命感」が求められてきていると感じました。
また、ビジネスフィールドだけではなく、色々な分野において「多様性」が出てきており、自然の様相そのものに近づいている印象を感じています。(特にここ数年で加速しているように思います。)
ということは必然、会社・組織もいかに「生命体」「自然」「循環」「多様性」といったキーワードを体現できるかということが重要な要素になってきます。
そう考えたときに「ティール組織」というのはシンボリックなロールモデルであり、このテーマを追求、実践していくことは私が2010年にイメージした、「生命の循環中心社会」を生きていくことに繋がっていると感じたのです。
自身の原体験とそこで芽生えた価値観。
そこに強くリンクしていると感じることが、私をティール組織のLearnig Journeyに駆り立てている動機ではないかなと思っています。
さいごに
実は、今回の記事は上記にある以下の箇所を除いて、もともと書いていたものを編集したものになっています。
自身の原体験とそこで芽生えた価値観。
そこに強くリンクしていると感じることが、
私をティール組織のLearnig Journeyに
駆り立てている動機ではないかなと思っています。
今からちょうど2年前に感じていた感覚。あれから世の中はどのように変化したのか。
私が書いたように「生命体」「自然」「循環」「多様性」に向かっているのでしょうか。
うーん、まだ分からないですね。。なんとなくコロナの影響で、人間中心ではないという視点を獲得した人が増えたような。。。
(実はこのあたりはある個人的な調査をした考察があるのでまとまったら公開したいと思っています。)
そしてそして、これからはどうなっていくのか。
どこかのタイミングでwithコロナ・afterコロナについて識者の皆様が語っているものをインプットしたいと思いつつ、追いついていません 汗
とはいえ、個人的にはまずは識者が何を語っているか以上に「自分の幸せ観は何なのか?」「自分の軸となるものはあるか?」といった土台づくりが優先事項だと思っています。
これらがないと余計に情報や人に振り回されやすい状況だと思いますので。
なので、コツコツ学び、アウトプットしている日々でございます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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ティク・ナット・ハンの般若心経は当時のものと同じものはすでに絶版になっていました。