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恋愛における損得勘定について〜「タダの箱庭」本を読み、思ったこと〜
はじめに
「タダの箱庭」本をつかった読書会やっています。
今回は、第2章「損得勘定が損なうもの」の中で印象に残ったことについて書きます。
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今回印象に残ったことメモ
p36の恋人とのリレーションシップにおける損得勘定あたりが特に気になりました。
・これまで「時間を返せ、何か返せと感じたリレーションシップはあったかな?」 と問うてみると、 関わって損したと思ったことは思い出せなかったです。そして、恋人以外にも私の中に人間関係において「損した」とラベルづけすることはないのかも。
それよりも、もし似ている感覚があるとしたら、自分が勝手に力になりたくて、(相手のニーズを確認せずに)頑張って、自分の望む結果にならなかった時に感じる、ある種の身勝手な疲労感に似ているのかもな、その意味で「人間関係で疲れたこと」ならあるな、と思いましたね。
また、経験してみて、こういう感じだと自分は疲れてしまうんだなという気づきにつなげ、その後行動を変えることで同じことが起こらないようにしている気がする。
・また、上記のように思えているのは、人間関係に対して、私が選んだことだから、ということが腑に落ちるところまで自助努力してきたからのように思う。それができていない時は、未消化でモヤモヤすると思うのですよね。
・ギブ&テイクでいうと、「恋人としての私たちの関係に対する、あなたが持つ責任」という本当は肩代わりできないものを、引き受ける関わり(ある種のギブかなぁ、自己犠牲かなぁ)をしてしまったがゆえに、その後何年も自分を苦しめることに繋がった経験はあるなぁ。当時、何が私にそうさせたのかなぁ。勝手に使命感を感じていたような。使命に生きる!としつつ、自己犠牲的感覚と紐づいていた気がするなぁ。それでは、持続はむずかしいのですが(汗)
・今回をきっかけに過去のリレーションシップを少し振り返ってみたところ 、お付き合いまでに至る人はプロセスの中で一切、損得勘定で捉えていない一方で、損得勘定が作用して(思考が働いちゃって)、関係を先に進めない判断をしているケースがあったなぁ、それを先に進めていたらどうなっていたのだろう、と気づき&問いが生まれました。
さいごに
今回をきっかけに過去のパートナーシップなど、タダの箱庭的、交換(市場規範的、社会規範的)の観点でより詳しくみていくと、今の時点では断片にしか見つけられていないと損得勘定のもっと露骨な部分の発見があったり、未来への新たな行動のヒントが生まれそうで面白そうだなぁ〜。