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漫画「望郷太郎」4巻で気づかされた「贈り物ができるという強さの自覚」について

「望郷太郎」という漫画があります。

『へうげもの』で、第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞と第14回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞された作家 山田 芳裕(やまだ よしひろ)さんが描いています。

漫画『望郷太郎』の紹介文

大寒波襲来、壊滅的打撃、世界初期化。人工冬眠から五百年ぶりに目覚めた舞鶴太郎は、愛する家族も財産も全て失った。絶望の淵から這い上がり、理想の暮らしと生きがいを求めて、遠い異国の地から祖国「日本」を目指す。

主人公は終わりの見えない旅を始め、現代から500年後でありながら、大昔を彷彿とさせるような人間に出会っていきます。

その中で、主人公が一番最初に出会った人里離れた場所で原始的な暮らしをしていたある人物が900人近くが生活する村に行きました。そこにあった市場の中にあるお店に置かれている商品をお金という概念が分からないため、そのまま持っていき捕まるのですが、そのことについて言ったセリフがあります。

それはこんな内容でした。

やっぱり ここの者達・・・・・
「人」じゃなかった・・・・
「人」なら 俺にあの薬を贈っただけで満足するはずなのに
贈る方が強くて貰う方が弱い
誰かに物を贈ったら強さを感じて満足する
「人」なら その関わり方で充分なはずなのに・・・・

4巻より

この贈る方が強く、だからこそ、贈るだけで見返りを必要とせず満足する、という部分に普段、自分が意識できていないことが隠れているように思ったのです。

言い換えれば、交換が目的ではなく、「贈る」という行為を行なった時に、自身に相応の強さがあるがゆえにそれが成せている、と感じられていたか?いや、感じられていなかった、ということです。

これが感じられるようになることで、誰かに何かをプレゼントする際に、その人を喜ばせることができて嬉しいという気持ちのギフトだけではなく、強さの自覚という感覚を積み上げていくことができるというギフトも受け取ることができる、そんな感覚を感じました。

これは、私にとって大きいことになりそうです。

「お金とは?」といった問いを持っていたり、私たちを取り巻く生活の当たり前を前提から疑ってみたい、といった好奇心を持つ方に特にオススメの漫画です。気になった方はぜひ読んでみてくださいね。

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