【プチ日記】参加者が内省に向かう場づくりのことで思ったこと
以前、とある場でファシリ的に動いてみて感じたこと。
コーチ的な、内省に向かうような場づくりにおいて、場をホールドする人の声自体が、呼吸量が多い、深い、ゆったりとしたものになりやすい。
一方で、そういうジェスチャーというか、行動を取ってさえいればいいというのは、あり方の伴わないやり方になってしまいかねないのだなと思う。
大切なことは、観察意識を持ち続けられるかということであり、声のスピードなどはその次でいいのかなと。
これは感覚としては、マインドフルネス=立ち止まって瞑想のようなポーズ
といった静的なものと捉えるのではなく、自分が静的・動的であるかどうかに関わらず観察意識を保ち続けられているかがマインドフルネスである、と捉えられているかと同じような気がするなぁ。