見出し画像

都市伝説・オカルト界隈が再び?ブームになってきている!?人々の何がそうさせているのだろうか。

都市伝説やミステリーなどをテーマにしたYouTuberナオキマンの初開催リアルイベントは約3万人の人が集まったそうです。似たテーマを扱っているTolandVlogが主催した野外フェス的なイベントも3000人近くを動員。他にも私は動画は観ていませんが、似たテーマのYouTuberがリアルイベントを開催している様子がXをみていると界隈が一般層に対してとても盛り上がってきているように感じます。

個人的に興味があるのが、人々の何がこれらのテーマへの興味関心を強めているのか、ということ。

メディアで取り上げられる将来に対する希望の持てない情報に、人々は不安を感じ、その不安の解消先として、意識が占い・スピリチュアル・宗教・都市伝説といったテーマに向くのは想像ができます。(実際に過去にもあったことでしょう)

また、ケン・ウィルバーという思想家が「すべてのことは正しいが、部分的である」といったことを言っています。

その意味で、人によっては一笑にふされてしまう上記のテーマの中に、事実が含まれているのは、私も思っていることであります。

以前、書籍『万物の黎明』を読んだ気づきをnote記事にしたのですが、

そこに書いたのは以下のようなことです。引用していきます。

前の記事の引用箇所

その意見が正しいかどうか・事実に基づいているかどうか以上に、集団心理が求めている方向性(脚本)に即していれば、よく用いられ、結果として影響が及ぼされていく。

関連する書籍の内容を具体的に言いますと、

17世紀頃のフランスではまだまだ宗教(キリスト教)がとてつもなく大きな影響力を持ち、それこそアメリカ先住民がフランス人を奴隷だと揶揄したように、がんじがらめで生きていました。

この宗教というヒエラルキー制度に対する不満はどんどん溜まっており、どうにかひっくり返せないか、という機運があったのでしょう。

当時の主流に対して反逆者と言える人たちはキリスト教的な創造神話の代わりを求めており、後にダーウィンの進化論が曲解されて用いられ、その後に大きく影響したことと同じように、この集団心理・集団的無意識ともいえるダイナミズムに後押しされ、一部の啓蒙思想家がつくりだしたフィクションに基づく社会づくりが推進されていったように思えます。

書籍ではこのように書かれています。

実際、ヨーロッパの制度に対する先住民による批判をきわめて強力であるとみなしていたので、既存の知的・社会的組織に異議を唱えるヨーロッパ人は、それをお気に入りの武器として利用する傾向があった。

偉大な啓蒙哲学者のほとんどだれもが、このゲームに参加したのである。
その過程で、自由をめぐる議論もまた、しだいに平等をめぐる議論に転化していった。

地球上のだれよりも必然的にすぐれたものであるというような、中世の確信を揺さぶる方法だったのである。

p113より引用

この中世の確信を揺さぶり、宗教の代わりに覇権を握ることになったのが、科学と言えます。

人々に科学を求めさせた「何か」

これが、人に何を信じさせるのかに大きく影響している、そのように思えたのです。

このレンズで現代を捉えてみると、例えば宇宙人の話といった非科学的に思えること・陰謀論・都市伝説が一定の人によく語られている構図が紐解けるのではないでしょうか。

大切なことは宇宙人の話が事実かどうかではなく、そういった話を人々に信じさせたいと思わせているのは現状が◯◯だから。の○◯が何かを洞察しようとしてみることだと思いました。

中世におけるキリスト教中心社会の中での科学は、現代社会における宇宙人(宇宙船の原動力?)と多くの人にとって想像がつかない、という意味で相似形かもしれません。

結論

長々と引用しましたが、上記の内容を踏まえて、冒頭の問いに戻ります。

人々の何が都市伝説・オカルトと言われるテーマへの興味関心を強めているのか

それは、今の多くの方が感じている社会への閉塞感・課題感を根底から乗り越える「何か」への希求ではないでしょうか。

歴史はある意味で繰り返されるとすれば、「抜本的な変化につながる想像もできない何かがあるんじゃないか?」と信じる気持ちがそれらのテーマへの興味関心を呼び、そして、実際に選択に影響を及ぼしていく。現実の変化に影響を及ぼしていく。

結論になっていないようなざっくりとした話ですが、そんな風に思っています。

こういったテーマはたまーにマイブームがきて、ネットの記事などを漁るのが好きなのですが、最近またそういった機運が高まっているので、関連動画など観ていきたいなと思っています。


いいなと思ったら応援しよう!