宮城県東松島市のJR「野蒜駅」(のびる)を歩いて知ったこと。そして、「KIBOTCHA」(きぼっちゃ)へ。
はじめに
こちらに書いたように東松島は野蒜駅の近くに来ました。
現地を歩いて知ったこと
周辺を歩いて知ったことですが、旧JR野蒜駅(赤丸のあたり)は東日本大震災で津波の被害に遭い、使用不能に。その後、仙石線の内陸移設に合わせて海抜22mの新駅舎(矢印先)に移転したそうです。
古い駅舎は、2016年に震災復興伝承館としてオープン。(私が通った時は閉店時間でした)
被災した当時の線路や駅のホームは遺構として残しているようです。
以下の画像の赤い線の左側は、右側よりも約22メートル高くなっている丘のような場所になっています。そこに住宅街があり、2016年に新設された東松島宮野森小学校があります。
震災の被害にあった野蒜小学校は東松島市役所鳴瀬総合支所内での授業再開を行った後、2012年に下の画像にある仮設校舎(右上の赤丸)に移転されました。その後、2016年に宮野森小学校として統合されたそうです。
資料館の中では、震災前・震災直後・最近の航空写真が展示されていました。変化が分かりやすいと思うので載せます。
震災前
震災翌日
震災後
↓ 画像上部の森だった場所が切り拓かれ、住宅街になっています。そのほか、東名運河から海沿いのあいだの平地にあった住宅はほぼありません。
今回の目的地「KIBOTCHA」
今回の私の目的地である防災体験型宿泊施設「KIBOTCHA」は、この野蒜小学校をリノベーションしてできた場所なのです。
外観はこちら。
どんな施設なのかはこちらのwebサイトを見ていただきたいのですが、おそらく一番の目玉は、自衛隊OBが監修している防災を遊びながら本格的に学ぶことができる防災教育プログラムを提供していることではないでしょうか。
館内には、防災に関する資料なども展示しており、東日本大震災、それ以前の阪神・淡路大震災、関東大震災といった過去の大震災の記録が紹介されており、身が引き締まる想いがしました。
私設避難所「おさとうやま」とは
恥ずかしながら初めて知ったのですが、津波襲来時に70余人もの命を救った私設避難所「おさとうやま」という場所があります。こちらは私設とついているように個人が自費で購入し、整備された里山です。
下の画像の赤丸で囲まれている場所が、その里山です。
この里山を避難所として整備された方の名前は、佐藤善文さんです。2000年前後に重なる大きな揺れを経験したことで、「将来、津波がくるかもしれない」と65歳から整備を始められたそうです。
当時は「ここにはいらない」と反対の声を受けたそうですが、相手は自然だから備えが必要とし作業を続けられ、山頂に小屋をつくったり、四方向に山道をつくり、どこからでも避難できるようにしてきました。
そして、着手から約12年後、東日本大震災による大津波が野蒜地域を襲いましたが、冒頭に紹介したように70余人の方の命が救われました。
この内容はこちらの記事を参照したので、ぜひ元の記事もご覧ください。
こちらの記事では写真で山の様子を知ることができます。
1つ目に紹介した記事の中にこんなことが書かれていました。
佐藤さんの取り組みからは、勝手に「個人でもできることがある。諦めるな!」というメッセージを受け取った気がしています。
歩いていける距離だったので、周囲を散策してみました。
佐藤さんがこの階段を手作りでつくってこられたのです。
4方から登れるように整備されたそうです。今回2箇所見ることができました。
どこまで伝わるかわかりませんが、そんなに高さはありません。それでも、この高さの差が人命を救う差になったという事実。微差が大差。自力を尽くすことの大切さ。この山から伝わってくるものがあり、深く感じ入りました。実際に現場にいくことができてよかったです。
さいごに
長野県は白馬村の近く、鹿島槍スキー場で開催された「いのちの祭り2024」から帰ってすぐにこの地に足を運びました。参加する講演会と「KIBOTCHA」への興味以外、正直、深く考えないままこの地に来たのですが、NONUKES(ノー・原子力)を掲げた1988年に初めて開催された「いのちの祭り」の流れと、実際に原子力発電所の被害が起きてしまった東日本大震災の被災地の1つである、ここ東松島エリア。そして、「希望」「防災」「未来」を組み合わせた造語であるここ「KIBOTCHA」。
無理矢理結びつける気はありませんが、何か感じるものがあります。
講演会は本日の17時半から。一体何を感じるのか、楽しみです。
なないろの芸術祭は本日から7日(土)いっぱいまで。お近くの方はぜひ足を運んでみてくださいね。
続きの記事
※9月6日に追記
今回の記事で紹介した野蒜駅周辺で、街と呼べる単位が丸ごと海抜22メートルの高さに移ったように見える様子を見て、その以前に体験した「いのちの祭り2024」で感じた、街自体も固体的・固定的なものではなく、流動的・動的なものだと捉える視点を実際的に体感した気がしました。
この記事に詳しくは書きましたが、「村・街があるから人がいるのではなく、人がいる場所を村・街と呼ぶ」ということも。