utabou

建築・まちづくりを専攻した後、一般企業で営業と総務を経験。北海道で馬の仕事に就くも、実家の都合で帰省し親の会社を継ぐ覚悟を。計装制御エンジニア見習いとして修業中。一児の父。30代。

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建築・まちづくりを専攻した後、一般企業で営業と総務を経験。北海道で馬の仕事に就くも、実家の都合で帰省し親の会社を継ぐ覚悟を。計装制御エンジニア見習いとして修業中。一児の父。30代。

最近の記事

生きていくことが楽しみな社会の実現/生きる場所をともにつくる

自分は何をしたいのか?ということをずっと考えていて、最近ようやっと言語化出来てきたので、一旦整理してみました。 Vision 「生きていくことが楽しみな社会の実現」 環境破壊、人口減少、少子高齢化、子どもの貧困・・・なんだか嫌になるニュースばかりで、これから自分はどう生きていったらよいのか迷っている人も多いのではないでしょうか。社会全体が行き詰まり感を出しているなかで、今の生活を続けていいのか、と。だからといって、何をすればよいのかわからない。もしかしたら何もしなくてもいい

    • 高すぎる理想は自分を苦しめる

      今までの人生のなかで、自分をあきらめたことはなかった。適当なところで折り合いをつけ、騙し騙し生きるということをしなかった。それが自分の良さであるとも思っていた。 けどふと、自分を苦しめていることに気づいた。「本当の自分はこんなんじゃない」そう無意識に言い聞かせていた。 いつまでたっても満たされない。現状に満足できない。足りないもの、できないことばかりに目が向いて、すでにある本当に大切なものを大切だと感じ取れなくなっていく。 こうやってこれから先もずっと生きていくのだろう

      • 二律背反を乗り越える

        思えばもうずーっと何年も、自分の中で矛盾を感じながら生きてきたと思う。 それは、何でもかんでもお金に換算される世界から逃れたいという気持ちと、一方でお金によって自分の生活が成り立っているという厳然たる事実に、板挟みになっているからだと思う。 そして違和感を感じながらも、結局根本的な解決に至るアクションをとれていないことにも嫌気がさしている。 私は跡継ぎとして父が経営する会社で働いている。正直、自分の実力以上にお給料をもらっていると思う。それで妻子を養い、日々不自由なく生

        • 子どもと向き合うこと

          私には今、10ヶ月になる息子がいます。 最近少しずつ、一歩、二歩、歩けるようなってきて、成長の早さを感じている日々です。 さて、いろいろと悩みや迷いにこころが惑わされる日々を送っているわけですが、子どもといるときはそういったことから解放されているな、と思います。 危ないことをしないように注意を向けることだったり、いっしょに遊ぶことだったり、上の空ではできないことがたくさんあるからでしょうか。 逆にいえば、上の空では子どもと向き合えないですね。 子どもと真正面から向き合

          暮らしがセラピー

          今の世界のシステムとか、自分の非力さとか、モヤモヤすることはたくさんあるけど、まずはできることから、なんでもない日常を、しっかりと暮らすことから始めようと思った。 坂口恭平さんの「自分の薬をつくる」にも、日課が大事だとかかれていた。日課がその人にとっての薬になる、と。 漠然としたやりたいことのイメージはある。けど何から手をつけたらいいかわからない。だからといって、今を生きないのは違う。 ひとつひとつ日常を積み重ねていく過程で、自分のことを知り、バラバラになったこころとか

          暮らしがセラピー

          宝くじに当たったら

          もし、宝くじに当たって5億円手に入れたとして。 もし、何の制約もなく好きなことができるとして。 そしたら、自分は何をしようと思うのか? 今ぱっと思い浮かぶのは、 北海道の広大な土地を買って、最先端テクノロジーを穏やかに取り入れながらも自給自足をベースとした自然と共生する暮らし がしたいということ。 映画「The Biggest Little Farm」の世界に、テクノロジーを導入したようなイメージ。 で、ちょっとずつ暮らしが安定してきたら ゲストハウスやらコワーキン

          宝くじに当たったら

          人生に対する独り言

          私の父は経営者だ。 私は数年以内に跡を継ぐ。 そんな私は今、自分がどう生きるか非常に悩んでいる。 跡を継ぐと決めたものの、どこか身が入らない。 理由は、貨幣経済に嫌気が差しているからだ。 お金を稼ぐことに、興味を持てない。 だけど、株式会社はお金を稼がねばならない。 よく、稼ぐことと社会貢献は表裏一体と言うけれど、ここで言う社会って、結局は人の創った枠組みのなかでの話だと思う。 富の分配が行われるという意味で、あるいは誰かのニーズを満たすという意味では社会貢献に

          人生に対する独り言

          強い技術と弱い技術

          今の世の中、強い技術で溢れている。 生産技術も、制御技術も、通信技術も、なにもかも。共通しているのは、”人間の思い通りにする”ということではないか。技術の進化は、基本的にいかに人間がこの世の支配権を握るか、ということの歴史だったように思う。 けどそのせいで、いろいろな弊害が出てきた。 自然破壊、地球温暖化、スマホ中毒・・・ 技術という武器を持ったことで、さも人間が地球上で最も力のある存在だと勘違いしてしまった。本当は、技術も人間の一部で、それはつまり自然の一部であるは

          強い技術と弱い技術

          人間性を回復するための三要素

          現代社会の抱える生きづらさや虚しさは、人間性の喪失に起因しているのではないかと思う。いのちの全体性といってもいい。 バックミンスターフラーは「専門分化とは事実上、奴隷状態の少々おしゃれな変形にすぎない」と表現したが、あらゆるものが個別に細分化した姿が今の社会であり、部分と部分、部分と全体との関係が分断された社会であるといえる。 身近な例をあげれば、私たちの生活を成り立たせているスマホはどのようにつくられ、どのように破棄されるのか、私たちは知らない。私たちが知るのは、スマホ

          人間性を回復するための三要素

          経営理念は絶対に必要か?

          経営理念を作る目的は何か? 会社の目指す姿を明文化し、社員を一つに束ねるため? 使命を理解することで、モチベーションを高めるため? 社会に貢献することが企業の存在意義そのものだから? 会社によって、色々な理由があると思います。 ですが、作って終わりの会社もあると思います。 掲げるだけの経営理念であれば、作らない方がマシにも思えます。 絶対に経営理念は必要なのでしょうか? 私自身、そこがいつも腹落ちしなくて、「理念」という言葉にちょっとした拒絶反応が出てきます。 例え

          経営理念は絶対に必要か?

          未完成のテクノロジーを届ける

          今のテクノロジーは、完成されすぎている。完成した状態で、私たちの手元に届く。それは、定められた機能以外で使用されることの可能性を一切排除している。消費者は、永遠にテクノロジーの消費者から抜け出せない。 もっと、使用する人が、自らの創意工夫をもって、機能や用途の改変・改良を施すことのできるテクノロジーがあってしかるべきである。未完成のテクノロジーと呼んでもいいかもしれない。 例えば、ソーラーパワーで電力自給可能な、小型LEDデバイスがあるとする。基本性能は、日中に充電し、使

          未完成のテクノロジーを届ける

          ソーラーフードドライヤーをつくってみた。

          じゃん。 こちらの記事を参考にさせていただきました。部材の寸法入りで、とても細かく説明されています。 ソーラーフードドライヤーを作る 太陽の熱エネルギーを使って、食べ物を乾燥させる装置です。 単純明快。 けどいざ作ってみると、内部の温度が40~50℃くらいまでしか上がらない。全然乾かない。色んな記事を読んでいると、70℃くらいまでみなさん上がっているみたい。 やっぱり、内部を黒い鉄板で作るのが、一番熱効率がよさそう。黒も鉄も、熱吸収しますもんね。僕はケチって、ア

          ソーラーフードドライヤーをつくってみた。

          テクノロジーの専門性と大衆性の共存

          近代化は専門分化の過程とも言われるよう、高度で複雑な社会を維持するために、高度で複雑なテクノロジーが次々と生み出された時代である。 専門分化が進んだ世界では、商品の利用者と生産者の乖離が生まれる。利用者は、商品の仕組みを理解することなく、生産者が取り決めた仕様や機能の範囲でサービスを享受する存在となる。 自ら使い勝手よく改良したり、壊れた箇所を修理したり、といったことは基本的になされない。それらも全てお金を払って買い取るサービスとなる。 これはどんなことを意味するか。

          テクノロジーの専門性と大衆性の共存

          小さなインフラの共同管理

          地球温暖化が叫ばれるようになって久しい。最近ではESGとかSDGsとか、ビジネスの世界でも環境がkeywordになってきている。 これだけ環境への意識が社会全体で高まってきているにも関わらず、相変わらず石炭を燃やして電気をつくり、プラゴミは海に流れ、莫大なバーチャルウォーターを消費しているのはなぜだろう。 ひとつの原因として考えられるのは、「生活」が「自然」から分断されてしまったからではないか。 捨てたごみがどこへ行くのか知らない。 飲む水がどこから来るのか知らない。

          小さなインフラの共同管理

          自然と共生するスマートな暮らし

          自然と共生する暮らし。 何も、前時代的な自給自足の暮らしに戻りたいわけではない。 今の便利で選択可能性の高い社会にどっぷり浸かった後では、文明を全て否定して自然へ回帰するということは、現実的ではないしやりたいとも思わない。 現代社会を支えるテクノロジーを上手に取り入れながら、自然と共生するような暮らしがしたい。テクノロジーと自然。人工物と自然ととらえると相性悪そうだけど、そんなことないと思う。今後、テクノロジーのおかげで私たちは労働から解放される。解放された時間を使って

          自然と共生するスマートな暮らし

          暮らしとテクノロジーと自然と

          日々進化するテクノロジーを上手く利用し、自然と共生するライフスタイルを無理なく楽しく送るため、何ができるか、何をすべきか、色々考えてみたいと思っています。 ・自然と共生するってどういうことか ・そもそも”自然”の概念とは ・テクノロジーの定義 ・テクノロジーとの付き合い方 ・人間とは ・暮らしの価値再考 Keywords;(敢えてとっ散らかったままで...) AI/IoT/センシング/データサイエンス/エネルギー/IoE/VPP/ブロックチェーン/VR/AR/MR/デジタ

          暮らしとテクノロジーと自然と