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代表取締役 丸子博司

昭和37年5月11日 広島県東広島市に生れる
大分市に住み一男一女の四人家族

とある対談から
丸子さんは約30年前に大きな事故にあってしまい、現在は車いす生活をする一方で、自立支援センターの代表をされて、今は株式会社ライフサポートべっぷの代表取締役もされています。
今回の対談では、丸子さんに2つの側面からお話を聞きました。
1つは当事者としての側面、もう1つは経営者としての側面についてです。

事故で障害者になるということ。最悪のクリスマス

聞き手:おはようございます!
本日はよろしくお願いします!
いきなりなんですけど、まずは丸子さんのプロフィールを教えてもらっていいですか?

丸子:昭和37年生まれの53です、もう事故をして33年経ってるんよね。20の時に若気の至りでクリスマスの日に飲酒運転と居眠りで街灯に突っ込んじゃって。

聞き手:クリスマスの日に!?街灯にですか!?

丸子:結構なスピードで突っ込んだらしいんだけど覚えてなくて、、

聞き手:気づいたら病院っみたいな?

丸子:うん、気づいたら1月3日だったね。

聞き手:クリスマスに事故って、三が日に目覚めたのですね?

丸子:僕の記憶が戻ったのが3日。それまでも唸ったりしていたらしいのだけど、記憶がなくて。親はもうこいつはダメだと思ったらしい。

聞き手:そんなにひどかったんですね。

丸子:僕が目覚めると、テレビで「あけましておめでとうございます」とか言ってて、『え!?昨日がクリスマスだったのにどうして??』と思ったよね。思うよね。
慌てて周りを確認しようとしたけど、身体は動かないし、頭も固定されてて動かせなくて、目だけしか動かなくて、そこで必死に見たテレビが印象に残ってて。

聞き手:事故をした記憶はありましたか?

丸子:ないない。友達の家から帰るために車に乗った記憶しかない。

聞き手:そうなんですね。事故現場は大分じゃないですよね?

丸子:僕は広島出身だからね、広島城の近くの大きな道路でやってしまったのよ。

聞き手:じゃあ結構なニュースになったのでは?

丸子:なったみたいね、記憶にないけど、ニュースを見て友達がきてくれたわ。病院に。
でも危篤で友達とはしばらく会えなかったけど。意識が戻ってからが地獄だったね。

聞き手:どんな状態だったのですか?まさか手も足も動かない?

丸子:意識が戻った夜に父親に「もう帰るわ、その椅子に座らせてくれたら俺はもう帰るわ。」って言ったんよ、そしたら父親が「バカいうな!」言われてね。
そこで親から頭を打ってて、身体も動かないって聞かされてね。
人口呼吸器もついてたしね、シューシューいっててね。

聞き手:そんな状態で帰ろうとしてたんすか笑

丸子:自発呼吸してなくて喉に穴をあけられてね。人工呼吸器しててね、穴が3ヶ月くらいあいてたんかな。。
呼吸は意識が戻ってから自発呼吸ができるようになったんだけどね。まず3週間くらい呼吸器がついてて、痰がだせるように喉の穴にゴム管がついててね、それを1週間に1回変えるのが痛くて痛くて。。

聞き手:そんなに?

丸子:うん、ゴム管に皮膚がくっつこうとして治ろうとするから、それを医者が麻酔もなしにスポッと抜くのよ。
引きちぎられるような痛みが走って、医者を恨んだよ。すぐ済むからってスポッと抜いてから、痛かったなぁ。

聞き手:その地獄はどれくらい続いたんですか?

丸子:穴があいてる間は続いたね。よくよく聞くと、自分が事故をした時に夜間で個人病院に運ばれてそこで研修医が診たらしいのよね、そこで僕が呼吸困難になってから大きな病院に運ばれて、そこまで10数時間かかってて、医者が言うにはその10数時間がなければもっと違ったかもって言ってたね。

聞き手:その時の対応が早ければ、もう少し変化があったかもしれない?

丸子:そうだね、医者が言うにはね。でも事故をしたのは自分だからね、自分が悪いからね。
助かっただけでも良かったと思えって言われたけどね。
思えんわな。

聞き手:思えないんだ。

丸子:こんなになるなら殺してくれって思うわ。

聞き手:それはまさしく当事者の声ですよね。周りは命があるだけ良かったと思えっていうけど。

丸子:そうで、こっちは「こんな体になってまで生きたいと思わんわ」ていうのが本音やな。
すんなり死なしてくれって思ったわ。

聞き手:まさしく絶望ですね。

丸子:絶望って思ったけど、どうしようもできんしね。
6ヶ月たっても寝たきりで、そこから病院が変わるんよ。個人病院から大きな病院に移って頚椎を手術したよ。救急車で運ばれてね、頭を吊ったまま。
ハローベストとかいう肩から頭にかけて金具が出てて、頭蓋骨に穴を開けて肩から伸びた金具と固定するんよ。

聞き手:頭に穴を開けて固定!?痛そう

丸子:まだ跡があるよ(おでこを指差しながら)

聞き手:あ!ある!

丸子:これが感覚がある肩が痛くて痛くて、、肩に褥瘡ができたりしてね。
看護婦さんとかに夜通しさすってもらったりしたけど痛くて、眠れないのなんのって。一晩中唸る日々よ。

聞き手:それがどれくらい?

丸子:新しい病院で手術するまで半年くらい毎日。眠れなくて。。
そのおかげで肩の可動域が狭くなって肩が上がらなくなってね。

聞き手:30年たった今は肩上がるようになりました?

丸子:今も、先生が無理やりやれば上がるけど痛くて痛くて。。
だけども手術で喉の痛みや肩の痛みが無くなっていくと、今度は現実的な苦しみが待ってて『この先どうしよう』とか今後の不安が急に押し寄せてきて。
身体の感覚もこれっぽっちもなくて、ただ熱い感覚やジンジンする感覚があるけど、それが本当に熱いものがあるのかっていうのもわからない身体だし。
こんな身体で生きていけるのだろうか?と。

 

現実と向き合う

聞き手:苦しみを乗り越えて現実という苦しみに向き合うわけですね。

丸子:そんな中で医者に宣告されたんよね。「あなたの身体はもう元には戻らないよ、一生涯車椅子生活だろう」って。

聞き手:うわー、厳しい現実ですね。

丸子:お袋は泣いてたね。僕はぼーっと聞きながら「そうやろうなぁ」とは思ったけどショックだったよね。
どこかで今の医学ならなんとかなるかもしれないって思ってたからね。

聞き手:首の骨を折って生きてるだけでもものすごい奇跡ですよ!!

丸子:今でも覚えてるな、医者から「気分転換に病院の庭を散歩しよう」って言われて、宣告されてね。

聞き手:気分転換にならんでしょ笑

丸子:なるどころか落ち込んだわ。でもその病院で2年くらい入院したんかな。
ずっと個室に入れさせてもらってね。しかもそこが看護学校があったから救われたのよ。毎年同年代の若い子が入ってきてね、何人かとお付き合いもしたよ笑

聞き手:笑。そこがおばちゃんばかりだともっと地獄だったでしょうね。

丸子:そうなんよ。笑

聞き手:良かったですねー!

丸子:でも、そういうのがありながらも自分は「最低最悪の人間だ」と思ったり、こうなってしまったのを悔やんでた時期でもあって。何回か死のうとしたんだけどね。

聞き手:病院の中で?

丸子:うん、何をするにも全て人に頼まないといけないんよ、それが本当に屈辱で。
言ってもすぐに動かないし、思い通りにならないし、とにかく頼まないといけないのが情けなくて。

聞き手:またもや辛い現実ですね。

丸子:他人に頼むのは情けないでー。今では慣れてなんともなくなったけどね。自分じゃ何もできないからね。
自分でスプーンを口に運ぶことすらできないんだから。ご飯一つも食べれないから。「おかずを取ってください」「ごはんを取ってください」全てお願いしないといけないからね。

聞き手:それはイライラしますね。

丸子:というか、屈辱。
つらすぎてナイフを引き出しからだして手首に当てたこともあるんよ。
でも手首に当てたはいいけど、握力がないからそのままストーンとナイフを落としてしまってね、死ぬこともできないのかと。

聞き手:苦しんで死のうとして、また現実に苦しめられて。

丸子:そうそう、餓死してやろうと思って絶食したけど、絶食しても点滴されたら栄養が入ってくるし笑
ひもじいのは苦しいし。死ねない。
んで、病院に池があったから電動車椅子が来たら突っ込んで死んでやろうとか、道路に突っ込んでやろうとか考えたけどね。結局できなくてね。

聞き手:そんな精神状態なんて想像もできませんよ。

丸子:電動車椅子が1年後くらいにきて、結局突っ込みきれず。やっぱりその時思ったのが、死のうと思った時はノイローゼにならないと死ねないわ。
死んだらあの子はどう思うかな?とか考えてたら死ねない。
友達がお見舞いきてくれたり、親なんか毎日病院にきてくれたから、死ねなかったね。

聞き手:死ぬに死ねなかったわけですね。

丸子:そうなって思ったのが「死ねないなら生きれるまで生きよう」と思ったんよね。
そこで希望に変わったよね。開き直ったよね。
自分で死ねないから開き直るしかないよね。笑

 

入りたくても入れない・・・気付けば事故から6年

聞き手:死ぬに死ねないとわかった丸子さんはその後どうなったのですか?

丸子:そしたら外に出たいと思って、2年で退院して実家に帰って、父親の会社で事務して働いたんよ。そしたら頸損協会の方に声をかけてもらってその会に参加してたら、その中に車屋さんの人がいて、その人が車を運転してて、その人が別府の農協リハビリテーションセンターを教えてくれて、それで別府に行ってみたんよね。農協リハに行くと免許が取れるよって言われてね。

聞き手:へー、そこで大分に初上陸するわけですね。

丸子:頸損でも免許が取れるならと思ってすぐに行ったよ。
そしたら断られた。
身の回りのことが自分でできないとダメって、僕はまだできなくてね。
病院から紹介があれば良かったかもしれないんだけどね、もう退院してたからね。

聞き手:あらら、、

丸子:で、困ってたら「国立別府重度障害者センター(現:国立障害者リハビリテーションセンター自立支援局別府重度障害者センター)」を紹介されて、その日の午後そのまま行ったよ。笑
そしたらこの病院がね、、廊下が暗くて暗くて。
こんなところに押し込まれるのかって気持ちがずーんと重くなったよね。

聞き手:かわいそう、、笑
でも結局そこに入ることになったんですね?

丸子:うん
そこに入る前に広島に戻って指の腱や肩の腱を伸ばす手術をしてね。
それを1年かけてやって、別府に行くには2年近く経ってからいったね。
事故から6年経ってたね。

聞き手:そして別府デビューですね。

丸子:そうやね、看護婦や寮母さんと喧嘩したなぁ。

聞き手:寮生活なんですね。

丸子:今なら利用者主体だけど、その時は寮母さんたちにはそんな考え微塵もないからね。呼んでもこないときがあったなー。もう最悪。笑

聞き手:今では考えられないですね。笑

丸子:そーだね!でもね、周りに同じ障害の仲間がたくさんいたからお互いの思いも話し合えるし、共感できるから仲間がいるとやはりいいね。

聞き手:それはわかります!

丸子:広島じゃ、僕はひとりぼっちだったから、こういうところで愚痴を言えるのがよかったね。
そこで出会った仲間と今の母体になるグループができたよね。
最初は女の子と遊びにいく仲間だったけど。笑

聞き手:そんな昔からの付き合いだったとは。

丸子:そこの寮は期限があってね、2年たったら出ないといけなかったんだよね、んで期限が迫ってきてて、そこでみんなで「ここを出たらどうする?」って話し合ってね
みんな地元帰るしかないってなってね。

聞き手:みんな地元を離れてきてるわけですね。

丸子:そう、だったらみんなで一緒に住もうってなってね、僕も家には帰りたくないから賛成してね。

聞き手:自立に向けて進みだしたんですね。

丸子:僕が事故でもらった保険金でアパートを建ててね、そこに3人で住み始めたんよ

聞き手:今流行りのシェアハウスですね!

丸子:いろいろあったよね。みんなの個性が強すぎてアパート内別居があったりね。笑
そういうのもありながらも、環境さえ整えば身体が不自由でも生活できることが実証できたわけよ。

聞き手:身を以て実証したわけですね。

丸子:ただ、自分みたいな障害者は生活できても、もっと最重度の障害者は生活できないことに気がついてね。
もちろん、僕らが生活するのもやっとこさなんだけど。
自分たちでも冬場にトイレを失敗して後始末してシャワーを浴びてたら何時間も経って寒くて寒くて泣きたくなるよ。
そう思うと最重度の障害者は大変だなと思うよ。

聞き手:意思の疎通ができない人だとさらに大変ですよね。

丸子:そう、そう思ってたら『自立生活センター』が全国キャラバンをしてて、全国に自立生活センターを作ろうって。
そこからが始まりだよね。
それが15年前かな?
最初は自分も利用者として使っててね、週に1回2時間だけね!

聞き手:短い!!なにもできないですね。

丸子:うん、掃除しか頼めないよね笑
だから、ヘルパーがいないときは友達とか呼んで晩飯作ってもらったりしてね。
それから徐々に制度が整っていってヘルパーの時間も増えていくんだけど、大変だったね。

聞き手:今じゃ考えられない、もはやヘルパーなしでも自立できてるじゃないですか。

丸子:そうだね。
そこで自立生活センターの考えが気にいってね。

聞き手:どんな考えか聞いていいですか?

丸子:重度の障害者が20~30分かけて靴下を履くより、ヘルパーに1分で履かせてもらって、残りの29分をやりたいことに使う方が人生が有意義なものになるだろうという考えだね。

聞き手:素晴らしいですね、納得です。

丸子:この考えだとさっき話した環境が整っていれば誰でも生活できるって考えではなくて、利用者とヘルパーさえいれば、環境にバリアがあろうとも生活できるって考え方ができるんだよね。

聞き手:バリアがあってもヘルパーに取り除いてもらえばいいですもんね。
環境云々ではなく、家さえあればいいということですね。

丸子:住む場所とヘルパーさえあればいいよね。
僕は経営とか抜きにして『重度の障害者が地域で自由に生活できることが理想』と思ってやってるからね。
この考えを聞いたときにストンと自分の中で理解できたし、一番いいと思ったからね。

聞き手:この思いは大事ですね。

丸子:この取り組みが面白いのはいろんな人と関わることかな。
利用者の中でもこの考えを理解してくれない人もいるし、真反対のことをする人もいる。
ヘルパーもいろんな人がいるからね。

聞き手:人との対立さえもおもしろい、と?

丸子:おもしろさもあるし悔しさもある。
それはやっぱり自分が死んでも死にきれなかったし、だったら自分が生きれるうちは生きるし、長生きしたいと思うよ。
しかもその中で自分という人間に関わった人が幸せになってくれるのは嬉しいよね。
ここに意義を見出したよね。

聞き手:すごい!素晴らしいです!

 

理想の関係性

丸子:最後に利用者はヘルパーに力を貸してもらってるけど、逆にヘルパーも利用者と接することで力をもらってスキルを磨いてるわけ。
ヘルパーは利用者さんに楽しい人生を歩んでもらいたいと支援しているつもりだけど、それをしながらヘルパーはある意味で自分たちも力をもらっているからお互い様なんだよという考え方なんだよね。
お互いがあってこその社会なんだよね。

聞き手:ヘルパーが利用者を一方的に助けているわけではないってことですか?

丸子:利用者がいるからヘルパーは仕事があって生活できてるし、ヘルパーがいるから利用者は生活できるんだよね。
そこをどちららかがえらいとか、してあげてるなんていうのは違うと思う。

聞き手:ヘルパーになると自分がいないとこの人は生活できないとか思ってしまうけど、実際は違うと。

丸子:そういうこと。
人は一人では生きられないからね。
お互いがお互いの気持ちを高めあっていくエンパワーメントが大切だよね。
支援しているつもりが自分が成長してるんだよね。

聞き手:なるほど。今回は当事者目線でお話を聞くことができ大変貴重なインタビューとなりました。ありがとうございました!これからもよろしくお願い致します!

 

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