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2022年を振り返る!

みんなおつ!オラしょーたか!
今回は2022年の振り返りをしてみるよ!

一言で言うと、

一言で言うと、、、

一言で言うと?

「言えねえ!」

という一言になりました。一言では言えねえよ!

となりました。
ただ、2022年が人生最高値更新なのは間違いなくてさ、
ライフスタイルもお金も人生の質も仲間も、あらゆる側面で最高値なんだけど、それはいつだって絶妙なバランスで成り立っていて、一歩違えれば、全て最低値更新にもなり得るわけだ。

これまでにない最高の人生を歩みたければ、これまでにない最低の人生を受け入れる覚悟を持つこと。

この振れ幅が、いつだって、最高なんだ。

そして、来年は更なる振れ幅にダイブしに行くわけだけど、それは、いつだって、おれが仮に何もかも失ってクソみたいになっても、暖かく受け止めて、笑ってくれる人たちがいるからなわけで、おれの帰る場所になってくれる人たちがいるから、その振れ幅をとりにいけるわけです。

仮にそうなっても、「しょーさんらしいよね」「しょーたか最高じゃん」って言ってくれるってわかってるからさ。そう言う意味で、失うものは何もない。のかもしれない。

あんまり声を大にして言えることではないけど、最近、見えないものが見えるようになりまして。
世界の見え方が変わってきて、人が人ではなく、「生命の現象」として、捉えられるようになりまして。
人は、ただ、それだけをする存在。と言うこと。

まあいいや、この話するとスピっぽくなるから、興味ある人とだけ。笑
ただ、一言言えるのは、おれの世界の捉え方が変わったことによって、セッションもだいぶ変わってきた。

あ、あと、「変容」「トランジション」と言うのは、その人(もしくは生物)が、本来もつ本質とその発露の可能性に向かうためにあるのだ、と言うことを理解した時に、いろいろ理解しました。

ポケモンで言うと、ヒトカゲは、ヒトカゲではなく本来リザードンであって。
なのに、リザードンがヒトカゲやってるから、何でやねん!
何なら、お前、ヒトカゲなのに、なんでゼニガメやってるの?

って言うのが見えるから、おいおい、ちょっと待ってくれよ、、、とおれは気になるわけです。
だから、おれのセッションは、偽ゼニガメに、

「君、ゼニガメやってるけど、ヒトカゲじゃない?て言うかリザードンだよね?何やってんの?」

っていうやつだし、そう言うスタンスでやってるわけです。
それをサイコセラピーやカウンセリング、コーチングなどの、さまざまな手法を使ってやってるわけです。

そして、おれからみると、社会にはそんな人たちがたくさん散見されるんだけど、偽ゼニガメがリザードンになるためには、そのための人生のトランジションが必須で、でもそれって一人ではだいぶ厳しい。
だから、その受け皿を社会に創る必要があるなって思うから、来年は「心の学校~トランジションの学校」をやるわけです。

最初は個人を対象にやるけど、パートナーシップのトランジションや組織のトランジションを専門に扱うやつもゆくゆくはやっていきたい。まあでも、それも含めて「個」からしか始まらないので、それを最初にやる。

まあそんな感じです。

1年のハイライトは

-プロセスワークのスクールにいく
-ゲシュタルトセラピーのスクールにいく
-トランスパーソナル心理学学会の会長のセミナーにたくさんいく
-佛心僧学院と言う仏教のオンラインスクールにいく
-ポテンシャルファインダーという「人の才能」を扱うオンラインセミナーにいく
-PPT(プロフェッショナルサイコセラピー研究所のセミナーにいく
-成人発達理論マスターコースを進行中
-たくさんの人との出会いによって世界の捉え方が激変する
-スピリチュアリティ領域が開花し始める(抽象的なものを抽象的なまま扱えるようになり始める)

-西新宿に自邸爆誕(テレビ取材うける)
-ミアさん1歳になる
-自分主体のコミュニティを4つくらい創る
-仲間とワイン会を主催し、みんなで毎月開催して100本くらい開ける
-コロナ明けたので海外旅行いく(バンコク、サムイ島)
-初自分の誕生日会を開催!(日本酒×タコスでバー貸切、参加者が40人超える)
-自我の境界線を超えた仲間たちができ始める(新境地!)

-STYLERS UNIONを創業する
-1ヶ月の平均クライアント総数が過去最高を更新(限界を知る)
-SIP(Stylers Integral Practice)を主催して、心の知識学習と実践をグループで体系的にやる会を主催
-大学で学生のキャリア向けの講義を行う
-自分が描くゴールに対しての主要事業が定まる
-その世界に共感した仲間が少しずつ手伝ってくれ始める

という感じでした。
何を書こうかと思ったあたりで、最初に一年の学びを書くあたりが、自分らしいなあって思いました。
もっともっとこの世界の探求を加速させたい。

ということで、最後に、今年おれが出会った二つの素敵な文章を掲載しておくね。
両方ともゲシュタルトセラピーの世界で出会ったよ。

1.ゲシュタルトの祈り
2.魂の歌

1.はゲシュタルトセラピーで使うもので、2はトランス誘導で使ったりしてる。
特に2は、おれが言うwant toとは何か?ということを書いてあるよ。
みんなに知って欲しいから、紹介するね。

【ゲシュタルトの祈り】
「私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。」

(フレデリック・パールズ)

【魂の歌】
いま、天国にいて、これから世界に生まれる用意をしていると想像してください。
あなたは大きな白い部屋にいます。そこは黄金の光に満たされ、生命と音楽が振動しています。
これが「準備室」です。この部屋で生まれようとしている者に、特別な歌が授けられます。
歌の先生のからだは光と音楽でできています。

その先生はあなたをよく知っていて、深く愛しており、生まれてからあなたのアイデンティティとなる特別な歌を教えてくれます。この世界でただ一人、あなただけがこの特別な歌を唄うことができるのです。

その歌は特別な目的と意味をもっています。その歌は世界が必要とする何かを作り出し、維持するのです。それはほかのどの歌にも作り出すことができないものです。あなたの人生の目的はこの歌を唄うことです。そしてこの歌は世界に対するあなたの贈り物でもあります。

さあ準備ができました。自分の歌を学び、完全に理解しました。新しい生命として生まれようとするとき、先生が優しく注意します。

「この歌を注意ぶかく守りなさい。魂に刻んで決して忘れないように」

突然、赤ん坊として生まれ、新しい環境にショックを受けますが、魂に刻みつけたこの歌で慰められます。
いつもその歌を唄い、唄うことが楽しくてなりません。歌は成長を助け、自分らしく生きることを助けてくれます。しかし間もなく両親がこういいます。

「お前の歌は好きじゃない。そんな歌を唄ってはいけない。わたしの歌を唄いなさい、さもなければ愛してやらない」
(もちろん本当にその人を愛していれば、その歌を取り上げようなどとは夢にも思いません。人は時にほんとうに酷いことをして、それを愛と呼ぶのです)

両親が自分たちの歌を大声で唄うので、あなたは自分の魂の歌を聞き取ることができません。
そのために少しずつ魂の歌の一部を忘れてゆきます。

そして学校に行くようになります。学校ではたった一つの歌があるだけです。それは長くて退屈な歌で、全員がその歌をまったく同じように毎日一日中唄わなくてはなりません。時には叫びたくなるほどです。森に逃げ込んで、一人になり、自分の歌を木々や優しい動物たちに唄えたらいいのにと思います。

でも逃げ出しはしません。初めは長い学校の後で、両親の音楽の待つ家に帰るまえに、自分の歌を唄います。しかし時がたつにつれて、退屈な学校の歌がいつも頭に流れ、ほかにも両親の歌や友だちの歌(友達に好かれたいので覚えます)も唄わなくてはならず、自分の歌を唄う時間がほとんどなくなります。

そのうえ、国の歌、地方の歌、町の歌、近所の歌、祖先の歌を練習しなくてはなりません。
今や自分以外の歌は全て唄えるのに、自分自身の歌はほとんど忘れてしまいました。

学校を卒業しました。今度こそ自分の歌を思い出してそれを唄うことができるだろうと、はりきります。自分の人生を生きることができるのです。ところが会社での第一日目に、会社の歌があり、それを毎日唄わなくてはならないことがわかります。会社の歌は学校の歌に似ていますが、もっと長くて複雑です。

会社は、会社の歌があなたの歌であると信じ込ませようとします。あなたは自分の歌を思い出せないので、疲れ果てて弱っています。自分の歌がエネルギーと希望を与えてくれていたのに、いまではそれがないのです。「たぶん会社の歌が自分の歌なんだ」とあなたは思います。「そうだ。何かを唄わなくちゃいけない。唄うために生まれてきたんだってことは覚えてる。それは覚えているんだけど、何を唄ったらいいのか忘れてしまった」

毎日会社へ行き、会社の歌を唄い、それが自分の歌だと信じようとします。愛や人生に興味を失い、目には光がなくなります。でもだれもそれに気づかず、また誰もそんなことにかまいません。

上手に会社の歌を唄うと、みんながほめてくれます。そのほめ言葉、何も唄わないことの恐怖、会社の歌の単調な音が、その生活を続けさせます。自分の歌と目的を失って、いわばあなたは少しづつ死につつあるのですが、それさえ気にとめません。

ある晩夢をみます。子どもの自分が森の中で、すばらしく美しい歌を木や動物たちに唄っています。光と音楽でできた、愛にあふれる存在がそれを聞いています。あなたは泣きながら目を覚まします。

仕事場では1日中緊張しています。会社の歌に息苦しい思いをしていることに気づきます。ものをはっきりと見ることができます。胃が変です。その夢によって会社の歌のほかにも唄う歌があったことを思い出しました。しかしそのことを考えるのが怖い。会社の歌に熟達しているので、その歌を止めるのが怖いのです。

そこで考えます、ひょっとすると自分の歌と調和する会社の歌があるのではないか、と。

その晩寝るときに、自分が決断をしなくてはならないことに気づきます。一つは会社の歌を唄い続け、毎日少しずつ自分を失っていくこと。でも結局何の違いがあるんだろう。何百万人もの人が同じ会社の歌を唄い、自分は何百ものメロディを知っている。それはとても安全で快適だ。

もう一つは危険を冒して生きるという決断。夢のなかの道をたどり、森の子どもが唄っていたあの美しい歌にいきつくことができる。その子どもは実はあなた自身で、その子どもから自分の本当の歌を学びなおすことができます。もし自分の歌を唄うことができれば、特別な貢献ができるでしょう。他のどんな人の歌も作り出せない何かを作り出せるかもしれません。

さあ、どうしますか。しばらく眠りにおち、また夢をみます・・・。

(「聖なる愚か者」より / 著リッキーリビングストン)

以上で!

じゃあみんな2023年もよろしゅう〜!

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