自分を変えたいという君へ
まずは、ありたっけの賞賛をあなたへ。
きっと何かが君に起こったんだろう。
ネガティブな出来事かもしれないし、
新しい夢ができた等のポジティブな出来事かもしれない。
どちらにしたって、何かが君に起こって、
その何かから変化を要請されている、ということなのだと思う。
環境が、世界が、人生が、
君に変わることを求めているということだ。
そして、今日は特にネガティブな出来事についてとりあげたいと思うんだ。
その「変わらなきゃ」という気持ちは最近生まれた気持ちかもしれないし、これまで中長期で持ってきた慢性的な気持ちかもしれない。
まず最初に言っておくんだけど、
今の君は、責められるべき状態ではないんだ。
今の君は、これまでの生存戦略において最適化された自分だからだ。
全ての人が「自分にとっての正解」を選択して、生きている。
全ての人が、その時の「自分にとっての正解」で生きてきた。
それ自体は素晴らしいことであり、
責めることでもディスることでもないんだよ。
敬意を払うべきことなんだ。素晴らしいことだ。
これまで自分はよく生き抜いてきた。
まずは自分を崇め、敬い、奉るといい。
必然で最適でベストな、今のあなた。
そして、「変化を要請されている」という状態は、
言うなれば、これまでの生存戦略を捨てて、
新しい生存戦略で生きろ、ということなんだ。
新しい環境に適応するとは、これまでの環境において使ってきた生存戦略ではワークしないから、新しい生存戦略を身につけろということなんだ。
何か変化の必要性がある時、僕らは自分を責めてしまいがちだ。
まるでこれまでの自分が、間違っていて、不完全で、悪くて、ダメな存在のように思いがちだ。
そして僕らはそれらを是正すべき問題、直すべき問題だと認識しがちだ。
はっきり言おう、それは間違っている。
これまでのことは悪くない。
今の自分は、これまでの環境の最適化の結果なんだ。
生存戦略の結果なんだよ。ベストな自分だったんだよ。
そして、これから変わる必要性に迫られる時に、
問うことがある。
人生から授かる「問い」
君は今、人生から何を問われてるのだろう?
この出来事を通して、人生が君になんて言ってきてるのだろう?
「何でこんなことが起こるんだろう?」って
君が人生に問いたくなるかもしれない。
でも逆なんだ。
人生が君に問うてきてるのだ。
この出来事は何を意味するんだろう?
変わる、ということはとても大きなことなんだ。
新築の家を想像してほしい。
これまでコツコツ建てて住んできた家が、いきなり、
このままでは嵐に耐えられないから、建て替えないとダメだって言われたとしよう。
既に建ってるものを一度壊して、
また建てるには大きなお金と手間がかかる。
人間でも同じなんだ。
自分を立て替えるには大きな精神エネルギーと身体エネルギーが必要なんだ。
それは簡単ではなく、とても大変なことなんだよ。
上手く変われないのが当たり前なんだ。
その問いが、次の可能性への招待状
それでも君は今、変化を要請されている。
君は今は、人生から何を問われているのだろうか?
ドングリを想像して見てほしい。
ドングリは、巨大な樫の木に成長する。
2〜3センチしかない全てのドングリの中に、20メートルを超える大きな樫の木に成長するポテンシャルが詰まってる。
20メートルといえば、7階建てのビルくらいだよ。
全ての小さなドングリが、7階建てのビルのサイズになる可能性を等しく秘めている。
そして、環境に恵まれ、成長のチャンスを掴んだドングリだけが、
大きな樫の木に成長していくんだ。
何が言いたいかもうわかるよね?
君がどんな人間であれ、君の中にも樫の木はあるんだよ。
そして、常に環境が、世界が、人生が、君に問うてきてる。
いつでも君の扉を開くべく、あちら側からノックしてきてるんだ。
ノックの音が聞こえてるはずだよ。
今、君は、人生から何を問われているんだろう?
君が、君だけの巨大な樫の木になるために、何を問われているんだろう?
そのノックに応え続けたドングリだけが、巨大な樫の木になるんだ。
そして、その樫の木になるドングリは、君のことだろう?
自己嫌悪になってる場合じゃあないんだよ。
目を見開き、耳をすませ、現実を明らかに観て。
人生からの挑戦を受けようじゃないか。