「あわや黒歴史?にギクッ」とするのは、リアル黒歴史がよぎるから 〜リケジョな子育てVol.23〜
noteマガジン『東工大飛び級ママの「リケジョな子育て」』/第23号です。
このnoteマガジンは、発行人・福所しのぶが日経xwoman Terraceブログに投稿したオピニオンのうち、「子育て・教育(STEAM教育含む)」テーマのものをピックアップし、一部再編集してお届けしています。
今回は2023年9月20日の投稿から。では、どうぞ!
前回のnoteでは「あわや黒歴史?にギクッ…」と題して、子育ての関わりについての気づきを書かせていただきました。
ただですね、「あわや」ではなくて実際あるんです。黒歴史。
しかも、仕事で人を育てる場面で(苦笑)。
だから、黒歴史ときいてギクッとするのは、同じ轍は踏まないぞというアラートなのかもしれません。
渦中にあるときは失敗や挫折はあまり表に出せないものです。ただ、時間とともに俯瞰できるようになった今、どなたかの気づきになればと書くことにしました。どんな黒歴史だったかというと…
私の場合は、子どもの頃から憧れの職業は微妙に変われど「教える・伝える」というテーマは共通しています。大学院では研究の傍ら、教員免許も取得したくらいでして。
それで、仕事で初めて後輩の育成担当になったときは「よっしゃ本領発揮」とばかりに意気込んでいたのを思い出します。
でも、当時は「育てる」と「教える」の違いに意識が向いていなかったのだと思います。そして、同じ部署の後輩は学歴や専門のバックグラウンドが近く、学習しスタイルも似ているだろうと決めつけていたところもあったのかもしれません。
ある人に対しては、とにかく「こういうときは、こう」「この場合なら、こう」と手取り足取りティーチングしたのです。そのうち伝えた知識を組み合わせて勝手に応用してくれるだろうと期待しながら。
ですが、ティーチングばかりで、もしかしたら「こういう場合はどうなんだろう?」と考える隙を与えていなかったのかもしれません。私のところに聞きにくればこちらで判断してしまうので、結局「これはどうすればいいですか?」と指示待ちが多くなる結果に。
またあるときは、私が苦労したところを回避してほしいという思いから、日頃心がけていることなども伝えたりしたのです。ですが、そういうことも、相手が知りたいと思うタイミングでなければ、かえってうっとうしくも感じられるもの。
指導を引き受けていた後輩が離れていったりもしました。まさに黒歴史です。そんな経緯で好きで得意だったはずの「教える」に対する自信もグラグラに。
問題は「育てる」=「教える」と捉えていたことでした。「育てる」の中の「教える」という要素はあくまで一部で、「考えさせる」「待つ・見守る」「相手のニーズを見極める」という要素も含まれることに気づいてからは、私の方も少しずつ角がとれたのか周囲との関係も良好になっていきました。
このあたりは子育てにも通ずるところがあって、仕事での学びがプライベートに、プライベートの学びが仕事に活きてくる局面の一つでもあるかな、と感じています。
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