幼いころ夢中になったもの 2.
こんにちは。物語のアトリエの安藤です。
前回は、私自身の「人生の物語」を振り返る第一歩として、「幼いころ夢中になったもの」をテーマに書きました。今回は、その続きです。
文章を推敲する持久力の源は、幼少期の〇〇経験
文章を書く行為は、デスクワークでありながら、ものすごく疲れます。
リード文は読者にとってフレンドリーか、各段落で伝えたいことは明確か、中心軸(テーマ)から分離していないか。無駄なく、密度の濃い一文一文になっているかどうか、組版したときに読みやすい文字面か、などなど……。
数千字の文章を、俯瞰してみたり、細部に注目してみたりする作業を脳内で繰り返しながら全体の流れを作るのですが、その作業中は他の音がほとんど聞こえなくなるくらい集中するので、書き終えると、何キロも遠泳した後のようにぐったりしてしまうこともあります(実際はカナヅチで25メートルも泳げないのですが 笑)。
しかし、それほどハードワークでも苦にならず続けてこられたのは、小さいころから音読が大好きだったからではないかと思います。
文章を推敲するとき、私は何度も何度も音読をします。文章のリズム感や、流れ、メリハリをつけていく作業が、まるで曲の練習をしているみたいで、とにかく楽しいのです。
思い起こすと、音読が大好きになったきっかけは、小さいころ実家にあった
「キンダーランド ポンキー むかし話と世界の名作」という幼児教材です。
市原悦子さん、岸田今日子さん、日下武史さんら、錚々たる俳優さんによる昔話の朗読が聴ける教材で、その朗読が、子どもながらに圧倒されるほどの表現力だったのです。声だけなのに、まるでその物語の中に入り込んだかのようなリアリティがありました。「文字」ではなく「音声」としての物語に触れてきたので、文章を読んだり書いたりするときは、今も無意識に脳内で音声化している気がします。
その流れなのか、小学校に上がってからは、宿題でもないのに国語の教科書を何度も夢中で音読していました。「くじらぐも」「つり橋わたれ」「ちいちゃんのかげおくり」「朝のリレー」「智恵子抄」「山月記」……。なんと高校生になっても、音読しては「あぁ、この日本語のリズム、素敵だなぁ」「この文章は、迫力あるなぁ」なんて、一人で感動していました。中学生のときには、百人一首や古今和歌集、万葉集の響きにうっとりして、図書館で教科書に載っていない和歌や短歌も読んでみたり、イメージした絵を描いてみたりする子でした(ちょっと変わってますかね…)。
ライターとして人物インタビューを書くときも、いつも脳内では取材相手の語り声や息づかい、テンポや声質などを思い出しながら文章を書きます。
記事を読んで下さる読者の脳内に、生き生きした語り声が聞こえてくるような文章を書くのが、私のめざす理想の文章なのです。