メディアリテラシーにめざめた25年前の今日
こんにちは。物語のアトリエの安藤陽子です。
コロナワクチンの副作用でアップロードが一日遅れてしまったため、正確なタイトルは「25年前の昨日」となりますが、私がライターという道に向かう大きな転機となった出来事について書きたいと思います。
25年前の昨日(1997年4月22日)、4ヶ月以上の長きに及んだMRTA(トゥパク・アマル)による「ペルー日本大使公邸占拠事件」が、ペルー軍の特殊部隊による武力突入によって「終結」しました。
当時15歳だった私にとってあまりにも衝撃だったのは、MRTAの14人全員が射殺される銃声が鳴り響く映像が流れた後、キャスターが「日本人は、全員無事のようです!」「良かった!」と報じたことでした。
その日以来、私の胸の中は「これだけ多くの人が撃たれて死んでしまったのに、どうして『良かった』と言えるんだろう?」というモヤモヤでいっぱいになりました。前回の記事で触れた社会の先生とも、この事件について手紙で意見を交わし合ったのを覚えています。
その後、過去の記事にも書いたように地下鉄サリン事件(1995)や神戸連続児童殺傷事件(1997)など衝撃的な事件が相次ぐ中、不安を煽るセンセーショナルな報道を見るたびに、メディアに対する私の気持ちは冷えていったのでした。
何歳のころ、社会でどのような出来事があったのか。それは大なり小なり、物事の捉えかたや感じかた、人生の様々な選択に影響を及ぼしていると思います。
私は25年前の4月22日、メディアに対して人生で初めて「それってちょっと違うのでは?」と感じ、一定の距離を置いて「そうではない光の当て方」を模索するようになりました。敵であろうと味方であろうと「人が人に殺されるのは悲しい」というメッセージを発信している人はいないだろうか、と。
実際、地域情報紙記者として働いてきた10年間には、まったく無名の一人が多くの人の生活を支えている現実を見てきました。戦争や経済苦など、筆舌に尽くし難い苦難を乗り越えてなお、ほがらかに生きている人にもたくさん出会ってきました。希望の持てる話題は、身近な地域でいくらでも見つかるはずだと思っています。
マスメディアでは今日も変わらず、耳を塞ぎたくなるようなニュースが飛び交っていますが、子どもたちが世界に絶望してしまわないように、私はこれからも「人が人に生かされる物語」に光を当てて、伝えていきたいです。