幼いころ夢中になったもの
こんにちは。物語のアトリエの安藤です。
ライターは基本的に【他者の話を聞いて書く】お仕事だと思っていたので、気がついたらこの20年間、自分のことについて書く…ということをほとんどしてきませんでした。
でも、起業して、いよいよそんなことも言っていられなくなってきたので、今日からコツコツnoteを書いていきたいと思っています。
さて、私が2年前からオンラインの教育コミュニティ【まる学園】でファシリテーターをさせて頂いている物語ワークショップでは、自分を人生の物語の<主人公>に見立て、これまでの人生経験を語り合う対話の活動をしています。
その少し前に一般社団法人コーチング心理学協会の講座で学んだ「ナラティヴ・コーチング」をベースに、大学で学んできた小説創作の基礎もふまえつつ、色々な文学作品をケーススタディしながらアウトプットを進めていくのですが、いつも初回のテーマにしているのが「幼いころ夢中になったもの」です。
これまで、たくさんの人物インタビューをする中で、取材相手を理解したいという思いから自然に聞きたくなるのが、その人の幼少期だからです。
村上春樹さんの著書『職業としての小説家』に、こんな一節があります。
トルストイの『幼年時代』(1852)の一節とも響き合う気がします。
物語ワークショップではファシリテーターをつとめているので、自分自身のアウトプットをする機会はないのですが、noteでは気ままに長い文章を書けそうなので、ゆるりとした自己紹介も兼ねて、私が幼いころに夢中になったことについて書いてみたいと思います。
エレクトーンで映画音楽を弾くのに夢中だった
実家には、母が趣味で弾いていたYAMAHAのエレクトーンがありました。
エレクトーンというのは、両手両足を使って演奏する電子の鍵盤楽器です。
実家にあったのはレバーで音色を調節するものだったので、YAMAHAの公式サイトを見る限り、おそらく1970年代のbB-6DかB-10A だったと思われます(マニアックな話でごめんなさい)。
物心ついたころから、母がエレクトーンで弾く映画音楽(いそしぎ、枯葉、シェルブールの雨傘、道、ひまわり、ミスティ etc…)のメロディが大好きで、5歳から教室に通わせてもらいました。以来、高1の夏に音楽での進学を諦めるまでは、毎日2,3時間、長いときは4,5時間くらい、夢中で弾いていた記憶があります。
いまの子どもたちに、どうしたらあんなにも没頭できる時間を贅沢に与えてあげられるのだろうかと、時折ふと考えてしまうほどです。
ちょうど今の娘と同じくらいの年頃だったので、当時はもちろん映画のストーリーは知る由もなかったのですが、音楽が心の中に直接映し出してくれる切なくて美しい風景に、私は確実に心を奪われていました。何度も何度も、繰り返し聴いて、他には何も入る隙間がないほど音楽で心をいっぱいにすることに夢中だったのです。ふり返ってみると、夢中というより必死だったのかも知れませんが…(その話は、またいつか稿を改めて)
論理的な説明はできないのですが、今も私の中で音楽と文学(物語)の境界線はほとんどなく、音楽を文学のように、文学を音楽のようにとらえている感覚さえあります。インタンビューや執筆も、二度とは再現できない即興性(インプロヴィゼーション)や非言語コミュニケーションに支えられている面が大きく、何年経っても毎回緊張・毎回が初心です。
ともあれ、私の人生の物語は、音楽という大地に根ざしていることは間違いありません。これまでも、そして、これからも。音楽の記憶を手繰り寄せるだけで、こんなにも幸せな気持ちになれるのですから。