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【後編】自己分析は「言い訳づくり」のために行うべきではない?:ACTにおける「体験の回避」と「変容のアジェンダ」「創造的絶望」の考え方について

 こんにちは、すぱ郎です。
今回の記事は前回の記事の続きになりますので、前回の記事をまだ読まれていない場合はそちらから読んで頂ければと思います。

 前回は心理療法の1種であるACTにおける「体験の回避」に関する自身の経験を交えた紹介をさせて頂きました。今回はその「体験の回避」を助長するような影響を及ぼすと言われる「変容のアジェンダ」という言葉を紹介します。

※注 休職直後で何よりも休養が必要な時期の方などは、前回や今回の記事はあまり参考にされない方が良いと考えます。あくまである程度動く気力や体力がある方向けの内容です。

「変容のアジェンダ」は、一言で言うと体験の回避を導く内的なルールのようなものです。

そのルールとはどういうものかというと、「自分の思考や感情または性格がコントロールできれば、問題は解決しより良い人生が送れる」というものです。

「それはそうなんじゃないの?」と思う方も中にはいるかもしれません。

 ですが、ACTの大前提の考え方として、「自分の思考や感情はコントロールしきれるものではない」「コントロールしきれない思考や感情に振り回されずに、自身の価値に基づいた行動を起こす方が重要である」という考え方があります(私見というか意訳も混じった表現ですが)。行動療法の側面も強い療法なので。
 
 変容のアジェンダの何が問題かと言うと、その誤ったルールにこだわるあまり、「私は今自分の思考や感情をコントロールしきれないのだから、再び同じ環境や状況に戻っても同じ失敗を繰り返してしまう。だから完全にコントロールできるその日まで、それに対しては逃げるまたは今は向き合わないように別の事(体験の回避)をするしかないんだ」といった思考の帰結と行動の停滞の習慣化を招いてしまう事にあります。

 前回の記事で、リワークのグループワーク中に不安をぶちまけていた私は、まさにこの変容のアジェンダに囚われ、体験の回避を引き起こしていたと言えます。

 自分の価値に基づいたより望ましい行動を日々実践していく上で、この変容のアジェンダを弱めることが、体験の回避を軽減するために非常に重要な要素になります。

 少し話が逸れますが、いわゆるマインドフルネスやコーピングなどで瞬間的に湧き起こった不安やストレスから意識を逸らす方略が紹介されていますが、ACTの立場ではこれら体験の回避につながる行動は短期的には効果があっても、長期的にはその回避した事物に対する囚われがより強化されてしまうと言われています。やらない方が良い、という訳ではなくあくまで短期的な対処だという理解が重要だと考えます。

 では、この変容のアジェンダをどのようにして弱めるかが重要ですが…これに関しては私も、色んな試行錯誤の結果で少し良くなったかなと思っている程度なので中々簡単には説明する事が難しいです。

しかし、その中で多分これは有効だと感じた考え方の1つが「創造的絶望(creative hopelessness)」と呼ばれるものになります。
 
 創造的絶望とはどういうものかというと、ざっくりと説明すると、特定の体験の回避に固執した状態の人が、「この回避行動に固執しても、多分状況は良くならないな」という事に気付き・あるいは受け入れ、別の方法を模索する事に目を向ける事が出来るようになることを指します。これに関してはACT関連の書籍で様々なワークが紹介されているので、興味のある方は一読して試して頂いても良いかと思います。

 ただ、言葉のニュアンスでなんとなく伝わるかもしれませんし過去のACT関連の記事でも触れましたが、ACTは「現状を受け入れる」というある種の「諦め」に似た境地に至る療法だと私は認識していますので、「自分の心の問題を解決して、治したい!」という希望が強い人にとっては、中々受け入れ難い表現が多いかもしれません。その辺りの合う合わないはあると思いますので、各自でご判断いただければと思います。

 1つだけ、「腹ペコの小さなトラ」というワーク(寓話?)が創造的絶望の考え方を理解しやすい例として紹介させて頂きます。

【腹ペコの小さいトラ】のメタファー
・小さいトラがいます。小さいトラは、おなかが空いて泣いています。
・泣いているトラに対して、その時エサを親のトラが与えると、その時は泣
 き止みます。
・しかしそれを繰り返しているうちに、トラは大きくなり、必要なエサは大
 きくなり、泣き止ませるためにどんどん多大な労力が必要になります。
・本当は小さいトラは「自分でエサを取りに行く」事を覚えないといけない
 のですが、親からエサを与えられる経験を繰り返すことで、おなかが空い
 たときに泣く事しかできません。
・このように、自分の価値を充たす(この場合自分の空腹を満たす)為にと
 るべき自分の行動は「自分でエサを探して手に入れる」のはずですが、体
 験の回避(泣いたらエサを貰える)を繰り返す事で結果として袋小路に陥
 ってしまう、というたとえ話です。これは体験の回避が非機能的であるこ
 とを示唆し、当事者に考えるきっかけとして取り入れられるメタファーの
 一例です。

参考

 このようなワークを通じて、「体験の回避に陥らずに、自分の価値に基づいた機能的な行動はどんなものかを考えよう」という視点を当事者に持たせることを、ACTでは目指していきます。

 最後に。タイトルに戻りますが、「自己分析」は自分自身が何故このような状況になったのか、整理して、理解を深め、納得する事を進めていく上では非常に重要なプロセスだと思います。

 しかし一方で、自己分析の結果「だからこれをしてはいけないんだ」「今はこれをすべきではないんだ」という結論を導き出した時に、それが「体験の回避」に陥っていないかは注意して見極める必要があると思っています。第3者の視点無しに自己分析を進めた場合は、なおのこと注意が必要だと思っています。

「自分が本当に価値を感じているものからは結局逃げられないし、それが自分なんだと受け入れるしかないし、無理にそこから目を逸らそうとしても袋小路に陥って、長続きしない可能性がある」

 これが休職中にACTを学んで自分がぼんやり納得しながら感じた事です。この考えが無ければ、恐らく私は元の職場に戻らずに全く別の仕事に転職活動をしていたかもしれません。それが正解か不正解かはこれから分かる事ですが、少なくとも今の自分にとっては元の職場に戻る事が「自分の価値に基づいた選択」だったと思っています。

 今回ACT関連の自分が学んだことを整理して紹介しましたが、改めて、合う合わないはあるものだなと感じました。

 時期によっては取り組むべきではないものでもあると思いますし、なんでもかんでも「逃げるな」という極論に追い込むためのものでもありませんので、その点は誤解しないで欲しいと思います。
 結局、自分にとって「何が価値があると感じているか」をしっかり見極める最初のプロセスが極めて重要なんだと思います。その辺りの見極めの手順についても、これから自分の経験をまとめて記事に出来ればと思います。
以上です。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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