原因は自分にある。シェイクスピアに学ぶ恋愛定理【げんじぶ考察】
こんにちは、タスカットルです。
今回は、原因は自分にある。(以下、げんじぶ)「シェイクスピアに学ぶ恋愛定理(以下、スピ恋)」を考察していきます。
ウィリアム・シェイクスピアの恋愛に関する名言や詩を引用し、「スピ恋」の歌詞や世界観と結び付けることで、楽曲理解に深みをもたらすことが今回のねらいです。
楽曲について
1.楽曲紹介
「スピ恋」の楽曲紹介です。
「幽かな夜の夢」の楽曲紹介(一部抜粋)です。
「スピ恋」と「幽かな夜の夢」は喜劇と悲劇の二部構成になっています。「幽かな夜の夢」もシェイクスピア『夏の夜の夢』がモチーフになったとされる楽曲です。これはまた別の機会に考察できればと思います。
「スピ恋」は夏の楽曲です。
この台詞はスターダストチャンネル「きまぐれ男子」でも見ることができます。
全体「みんなに、いい夏が来ますように。」
空人「見逃さないで、この夏の僕ら。」#1782
光咲「君の夏は僕のもの」#1783
雅哉「夕立、この恋の不思議を君と」#1785
凌大「君の手をとって、高く。」#1771
潤「この夏をこれからも、ずっと」#1752
和人「ほら、僕の名前を呼んで。」#1748
要人「夏空、君とぼくの色」#1770
シェイクスピアの『ソネット集』18番から126番まではFair Youthと呼ばれる貴公子への愛を表現した詩になっています。原文ではこの貴公子を'you'と"thou'で区別し使い分けられていることから翻訳でも'君'と'きみ'で使い分けされてる方もいらっしゃいます。
韻が踏まれていなかったり14行で構成されていなかったりとありますが、'僕'と'ぼく'で一人称が統一されていない所はどこか『ソネット集』を彷彿とさせます。
M-ON! MUSICのインタビュー記事(一部抜粋)です。
「スピ恋」の季節は夏、小説の中のふたりがモチーフで恋の始まりをうたった駆け引きがテーマのラブストーリーです。
振り付けのテーマは抜け駆けでメンバーは花屋に置かれた花であり、ひとり(僕)を選んでほしいとアピールします。
2.振り付け
7人から1人を選んでほしいという意味が込められた7分の1の振り付けは間奏部分に3度登場します。
女性にアピールしているメンバーを別角度から他メンバーが見ているという抜け駆けの振り付けは2Aに登場します。
凌大が踊ってアピールする姿を空人と和人が見ています。抜け駆けする凌大に続いて空人もアピールします。またその様子も和人が見ている、といった構図になっています。
しかし、ライブで空人や和人は観測者やカメラを見るためこの構図は使われていません。(a-nation online 2020は見切りではありますがこの構図を確認することができました。)
「どうなの?」という歌詞では他メンバーが下を向いている中、空人のみが顔を上げ雅哉と目を合わせます。この構図は現在のライブパフォーマンスでも確認することができます。
振付師のminmi先生がInstagramにて 「今回最後に抜け駆けしたのは誰なのか。。そんな仕掛けも見て楽しんでいただけると嬉しいです♥」と投稿されていたように最後の手招きも抜け駆けを意味した振り付けです。
MVでは要人、フォンテーヌ版では凌大が単独で抜け駆けしています。また「ONE N' ONLY VS 原因は自分にある。激アツ3時間スペシャル!」では要人、「ARENA LIVE 2023 因果律の逆転」では凌大の手がカメラに抜かれる演出で抜け駆けしています。
落ちサビ「無条件に好きと嫌いが混じり合う どんなfなんだって」では手を伸ばして歩み寄ったり口を塞いで一歩引いたりと恋の駆け引きが表現されています。最後は手を取ってくれないならもういいよ、というように両手をあげるストーリー性のある振り付けになっています。(minmi先生インスタライブ参照)
歌詞考察
「スピ恋」にはシェイクスピアの戯曲が多用されています。今回筆者が見つけたのは以下、6作品です。
【喜劇】
から騒ぎ
お気に召すまま
十二夜
【悲劇】
ロミオとジュリエット
ハムレット(四大悲劇)
リア王(四大悲劇)
これらの戯曲がどのように楽曲で表現されているのか、1.戯曲名が使用されている歌詞、2.台詞が使用されている歌詞、3.世界観が使用されている歌詞、4.ギミック、5.空と定理について、からひとつずつ解説していきます。
1.戯曲名が使用されている歌詞
どちらもBメロで登場します。
喜劇『から騒ぎ』
喜劇『お気に召すまま』
2.台詞が使用されている歌詞
『ハムレット』第3幕第1場の有名な台詞がそのまま使われています。この場面は、父を暗殺された主人公ハムレットが復讐をするか否か、二択を自問する独白で、有名な和訳は「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」です。
またこの台詞の翻訳は難しく、意訳であったり直訳に近かったりと翻訳家によってさまざまです。
特に選択を意味するTo be or not to beは歌詞に7回と最多で登場します。
『十二夜』にて、伯爵令嬢オリヴィアが自身の恋心を打ち明ける場面で登場する台詞です。
この場面は英雄詩体(soonとnoonが押韻(ライム))が使われています。物語の内容をさらに分かりやすく噛み砕いた翻訳が以下です。
隠そうとしても隠しきれない恋心を例えた告白です。つまり恋は盲目ということです。
これはベンヴォーリオの台詞です。『ヴェニスの商人』でも恋は盲目という台詞がありました。
恋する者は盲目ですから自身の愚かさも見えなければ、夜の闇も昼間の明るさも関係ありません。つまり恋の夜は真昼ということです。
この歌詞は喜劇『お気に召すまま』に登場する台詞です。
これはシェイクスピア作品で最も有名な台詞のひとつに挙げられるジェイクイズの台詞です。
「この世は舞台、人はみな役者」という表現は『ヴェニスの商人』第1幕第1場、『マクベス』第5幕第5場でも似た台詞が登場するようにほとんどの作品で使われています。
原文を久下先生の言葉で翻訳したものが歌詞になっているようです。「誂えた」という言葉も受け身の表現で感服しました。
歌詞ではこの台詞に「不憫」という言葉が加えられています。
これは前公爵の台詞で、言葉通り広大な世界という劇場で演じる表現者(自身含め人々)は不幸だ、気の毒だ、と語っている場面です。この台詞の直後に「この世界は~」とジェイクイズの台詞が続きます。
この表現者の立場を久下先生は「不憫」という言葉で表現し、「この世は誂えたステージで 僕らは不憫な表現者だ」という歌詞が完成したのではないでしょうか。
このnothingからは2つの異なる考察をすることができました。ひとつは『リア王』の台詞、もうひとつは『から騒ぎ』のタイトルです。どちらの作品もnothingという単語が重要な役割として登場します。
1.世界観からの考察『リア王』
簡単なあらすじを交えて解説していきます。
主人公のリア王は3人の娘に対し、自分に深い愛情を表現した者に土地や権力を全てやろう、とテストをします。2人の姉はご機嫌取りな愛の言葉を伝え権利を得ますが、リア王が最も期待していた末娘は、
と答えます。末娘は父を愛していたからこそ、姉らの言葉を聞いてnothingと言いましたが、既に娘2人からの言葉で気分の良いリア王は期待外れの回答に激怒し末娘を勘当します。(中略)
結果、リア王は全てを与えた娘2人には裏切られ権力も理性も家族も全てを失い荒野で発狂、物語の関係者3名以外全員が死亡する悲劇の物語です。
かなり省略しましたが、重要なのは末娘のnothingという発言がこの物語においてひつとの分岐点であり、末娘の真実の愛に気付けなかったリア王を表す場面であるということです。
楽曲はあくまでラブストーリーですからリア王や末娘の感情が内包しているとは考えにくいです。恐らく、nothingなんて言わないで駆け引きをしよう、恋をしよう、といった解釈が適していると思います。
シェイクスピアの戯曲から作り上げたげんじぶ流のラブストーリーを再認識できる歌詞だと思いました。
また『リア王』の「愛」は、恋愛ではなく家族愛や師弟愛ですが、この物語然り駆け引きの恋然り、愛に障害はつきものです。そういった意味では「トラップに厳重注意で二重跳び」という歌詞に繋がるのではないかと思いました。
※以下の考察は少々強引に類似点を繋ぎ合わせた深読みであり、論理的根拠がほとんどありません。興味のある方のみご覧ください。
2.同音異形異義語からの考察『から騒ぎ』
『から騒ぎ』のあらすじとnothingとnotingについて言及するブログを一部抜粋して掲載させていただきます。
『から騒ぎ』は男女の勘違いや駆け引きの恋愛が舞台のドタバタロマンスコメディです。この陽気な作品内に同音異形異義語が深い意味で内包されていることが『から騒ぎ』の面白さのひとつです。
nothingは無、notingは注目する、(観察し情報を)記録する、(傾向に)気づくという異なるスペル、意味をもつ単語ですが当時の発音は同じでした。
これを利用して台詞にnothingともnotingともとれる駄洒落が使われています。台詞を裏表のように解釈できる箇所から「そのタイトルにnothing/notingとは何かという謎かけめいた問いを内包している。」(福士,2022)とあるように『Much Ado about Nothing(から騒ぎ)』というタイトルへの疑問を提示しています。
この複数の解釈という考え方が、げんじぶの原点でありアルバムタイトルでもある「多世界解釈」がもつ意味とどこか共通すると思いました。
またObservationは観察、観測の意味があり'ゲンジブ観測所 Presents げんじぶ空間-first observation- 'で聞き馴染みもあるかと思います。(あくまで執筆者の言葉であり=Observationの文献は無し)
筋が通っている箇所もありますが、不明な点があることや歌詞の意味になっていないことから今回の考察には繋がりませんでした。
参考文献
福士航(2022) 「Noting Nothing - Much Ado About Nothing の言語」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/elsjp/99/0/99_1/_pdf
3.世界観が使用されている歌詞
ここまで作品や台詞と照らし合わせて楽曲理解を深めていきました。
さらに理解を深めるべくシェイクスピア戯曲の世界観と楽曲の歌詞を紐付けて考察していきます。
冒頭の楽曲説明を覚えていますでしょうか。
この楽曲はある小説(未公開)がモチーフになっているそうです。
恋の駆け引きがテーマの戯曲は『じゃじゃ馬ならし』『から騒ぎ』『恋の骨切り損』などが挙げられますが、この楽曲の世界観で多用された戯曲は『ロミオとジュリエット』です。駆け引きとは程遠い直接的な愛を伝えあったふたりを引用することで新たなげんじぶ流ラブストーリーが完成したのでしょう。
ここからは『ロミオとジュリエット』を中心に楽曲の世界観がどのように楽曲を彩っているのか考察していきます。
この歌詞は婚礼前のジュリエットの言動と一致します。以下は、婚礼の直前ジュリエットが足早に登場しロミオに抱きつく様子を説明する修道士ロレンスの台詞の一部抜粋です。
「石畳に踊るブーツのつま先から」はこの場面のジュリエットの様子と似ています。
物語の婚礼は昼過ぎに執り行われましたが、「朝日は~燃える」という歌詞は、結婚への期待感やロミオに対するジュリエットの心情を引用した歌詞ではないかと推測しました。
婚礼の日の早朝、9時に待ち合わせをしていることから朝日が登り時計台の鐘の音を聞いてロミオへの恋の衝動に燃えるジュリエットの様子とも想像できそうですね。
「どうしてあなたはロミオなの?」という有名な台詞が登場する少し前の場面です。
ジュリエットに再開する直前、庭でひとり情熱的になるロミオが愛しのジュリエットを「太陽」と呼ぶ台詞があります。(別場面ではジュリエットが「夜を照らす太陽」とロミオを呼ぶ台詞もあります。)
このようにロミオがジュリエットの愛おしさについて語る場面ではその瞳の美しさを挙げて語る台詞がいくつかあります。
この歌詞も戯曲から影響を受けた可能性は高いと思います。
この歌詞は清少納言『枕草子』に由来することわざ'遠くて近きは男女の仲'(男女の仲は、遠く隔たっていて何のつながりもないと思われても、ふとしたきっかけで知り合ったり、親しくなることがあり、意外に結ばれやすい。)から取ったものだと思います。
『ロミオとジュリエット』もことわざ通り接点のないふたりが仮面舞踏会で運命的に出会い翌日結婚します。
婚礼場面を引用したAメロ(仮定)にこのことわざが掛かっていることから、婚礼直前にこのことわざを思い出した、という裏ストーリーがあるように思いました。
そう考えると1Aはふたつの意味で距離に関する歌詞になっています。
ひとつは空と海の距離という意味で「消えそうで~距離感」、もうひとつはことわざ通り男女の仲の距離という意味で「石畳に踊る~恋の夜は真昼」です。物理的距離と心的距離、二重の意味でこの歌詞が1Aに掛かっているようです。
ここでは『ハムレット』の台詞と『ロミオとジュリエット』の世界観が使われていると思います。
「To be or not to be」は先でも述べた『ハムレット』に登場する台詞です。
「時計台」や「この身を焦がして」という言葉は台詞に登場しませんが、時計台から響くとは鐘を意味し、この身を焦がすとは禁断の恋に身を焦がす主人公を意味している、と仮定すれば『ロミオとジュリエット』の世界観と歌詞が重なるように思えます。
また、バラはシェイクスピアの戯曲に最も多く登場する花で『ロミオとジュリエット』にも数多く登場します。中でも有名な場面が以下です。
名前や立場ではなく本質が大切であることをバラの花に例え、ロミオへの愛を訴えるジュリエットの台詞です。
余談ではありますが、杢代和人生誕コンセプトもこちらの台詞が引用されていました。
この歌詞3行は全て台詞としては登場しないものの、戯曲の世界観に共通する言葉で構成されています。恐らくこの歌詞も『ロミオとジュリエット』から影響を受けたものではないかと思いました。
このサビパートも先の掛け合いパートと同様に『ハムレット』の台詞と『ロミオとジュリエット』の世界観が使われていると思います。
悲劇の復讐劇『ハムレット』と悲劇のラブロマンス『ロミオとジュリエット』という異なる作品の掛け合いが複数箇所歌詞に登場する意味について『ロミオとジュリエット』最期のキス場面から考えていきます。
仮死状態のジュリエットを死んだと思い込み最期にキスをするロミオの場面です。
ロミオ最期の場面からは死に対する恐怖心は感じられません。むしろジュリエットの側で死ぬことが本望のようです。目、腕、抱擁、唇と順にジュリエットに最期の別れを告げ薬屋から買った毒薬を飲んだあとにキスをして終わります。
毒薬で死んだロミオにキスをするジュリエットの場面です。
ジュリエットの最期の場面もロミオ同様です。仮死状態になる薬を飲む直前の極限状態のような恐怖心はありません。毒薬が付着している可能性のあるロミオの唇に戸惑いなくキスをします。「意地悪」や「私を殺して」という台詞からは死へ一直線な様子がわかります。最期は術をなくしたところで見つけた短剣に喜びを示しジュリエットもまた自ら望んで死を選びます。
命の絶ち方は異なりますが、毒薬を飲んだあとのキスと毒薬を飲みたい戸惑いのないキスという死に際は共通しています。
ジュリエットのいない世界で追放の身として生きる未来も、愛していない男(パリス伯爵)と結婚する未来も選択することはできましたが、お互い自らの意思で死を選びました。(そうする選択しかなかったことは置いておきます。)
裏を返せば死なない(キスをしない)選択もできたというわけです。
『ハムレット』の「To be or not to be(生きるべきか、死ぬべきか)」の「Kiss」とは『ロミオとジュリエット』最期のキス場面を表現しているのではないでしょうか。
楽曲ではこの場面を引用し、駆け引き(選択)という意味で落とし込んでいるのではないかと思いました。
シェイクスピアの戯曲の喜劇と悲劇は紙一重と言われるように、登場人物、台詞、物語にも表裏一体をなす戯曲が数多く存在します。
有名な台詞は『マクベス』冒頭「きれいは汚い、汚いはきれい」(直訳:公平は不公平、不公平は公平)です。
戯曲でも多用されたこの表現が楽曲にも取り入れられたと思います。
4.ギミック
①歌詞
歌詞を縦読みすると「悲劇と喜劇」になるギミックは観測者の間で有名な話です。
この歌詞も 「この世は舞台、人はみな役者」という考え方が引用されていると思います。劇場を飛び出して隠れて花を咲かせるという表現は駆け落ちでしょうか。この場面に似た台詞や場面はシェイクスピアの戯曲で見つけることはできませんでしたが、駆け落ちという意味では『ロミオとジュリエット』と『夏の夜の夢』を彷彿とさせますね。
②Lyric Video
考察というより紹介になります。LVには左下にActとそれに付随して右上にSceneが表示されています。Sceneの横にある数字をポリュビオスの暗号表に当てはめると「いますぐあいたい」になります。このギミックも当時話題になりましたね。
5.空と定理について
①空に関する歌詞
サビ最後の歌詞のように楽曲には空と定理にまつわる歌詞があります。
距離の感覚が繋がるとはよくわかりませんでしたが、空と海の距離の近さや遠さを描いているように思えます。
「寄せては返す」とは駆け引きを意味していると思います。波と波の間に映し出される空模様を彷彿とさせる歌詞からは恋の始まりや恋に落ちた瞬間が感じられます。
全て筆者の解釈にはなりますが、この2箇所は恋の駆け引きを空と海に例えた歌詞でしょう。
②定理に関する歌詞
この歌詞の書き文字ではfですが、歌われ方はfunction(関数)です。
これを踏まえて意訳するとこの歌詞はどんな名前だってとなります。
戯曲に当てはめると先ほども紹介した「バラという花にどんな名前をつけようともその香りに変わりはないはずよ」と同じ意味です。
数学(関数)と恋愛(シェイクスピア戯曲)を掛けたげんじぶらしいロマンチックな歌詞でですね。
掛け合いパートの「Longing」と「憧憬」はどちらも憧れという意味で同義語です。憧憬が学ぶに掛かっていることからシェイクスピア戯曲とも同義語であることがわかります。
また、定理は証明における真なる命題です。そしてここでの定理とはシェイクスピア戯曲を指しています。シェイクスピアの恋愛定理を使って楽曲に登場する恋愛を証明するという恋愛を数学に例えたげんじぶらしい世界観の歌詞です。
空や定理に関する歌詞は、恋の駆け引きを匂わせていることやシェイクスピア戯曲に直接関係がないことからこの楽曲のラブストーリーが大きく描かれている主要場面だと推測しました。
映像考察
次にMVとライブ演出に関する考察を行います。
1.Music Video考察
MVは高貴な雰囲気があり、特に額縁が多く登場します。
外にいるメンバーを室内から見る場面は石造りの窓と背景の絵画が相まって『ロミオとジュリエット』を彷彿とさせます。歌詞の世界観でも多く登場した戯曲のためMVもこの戯曲をイメージして作られた可能性は高いです。
またMVでは昼と夜を表現するよう頻繁に明暗を繰り返し、表情も笑顔に有無があります。
ここでは3箇所に設置された花瓶に注目していきます。
外が明るい場面では鮮やかな切り花が生けられていますが、外が暗い場面になると花瓶の水は全て抜かれ、花も全て枯れています。これも何か意味のある演出だと思います。
詳細はMVをご確認ください。
MVの生花が示す意味とは何でしょうか。
周囲の棚や本、雑貨に劣化やホコリ被りの演出がないことからそこまで日が経っていないと推測できます。
MVの季節も楽曲同様に夏と仮定すると、切り花の日持ちは3日から5日程度ということがわかります。
これもまた『ロミオとジュリエット』に共通します。この戯曲の季節は夏、2人が出会い死に至るまでのたった5日間を描いた物語です。
この戯曲において花は生と死の象徴的な意味があります。
死を匂わせる修道士ロレンスの言葉です。
このように生と死を花に例えた言葉は、映画ロミオとジュリエット(1968) 劇中歌「What Is A Youth?」にも登場します。
MVが戯曲の影響を受けているとすればこの花もまた似た意味があると思いました。
ジュリエットの台詞のように喜びを花に例える台詞もあります。
『ロミオとジュリエット』は笑劇とも言える喜劇が死によって不幸な悲劇となる戯曲です。
楽曲は喜劇ですから、戯曲のように生と死を表現しているというより、喜劇と悲劇を表現していると考えた方が適していそうです。
この喜劇と悲劇をMVでは花が咲く・枯れるで表現したのではないでしょうか。
夏の花が5日前後で枯れる共通点は意図したものか偶然かは分かりかねますが、どちらにしろ細部までこだわった演出ですね。
2.ライブ演出
「仮想げんじぶ空間:case.3-多世界解釈-」の「スピ恋」はフォンテーヌのようなワンカメの演出でした。これについて和人が以下のように言及しています。
「スピ恋」は喜劇のラブストーリーでありながら笑顔の楽曲ではないそうです。最低限の笑顔、微笑みはあるものの楽しい笑顔を見せる楽曲ではないという意味だと思います。
MVの笑顔に有無があったり意味深な花の演出があったりするのも納得です。世界観のモチーフとされた『ロミオとジュリエット』も悲劇の戯曲ですから、その世界観をリスペクトしたのではないでしょうか。
おわり
最後に歌詞を整理したいと思います。
色が多くなってしまい見えづらいのですが、それほど多くの歌詞に意味があったということが分かりますね。
ここまで戯曲を多用しながら恋の予感、駆け引きの恋を描いた『シェイクスピアに学ぶ恋愛定理』の文学的な歌詞と世界観について考察しました。
p.s. 拙筆ながら心を込めて1万2千を超える文を書かせていただきました。多世界解釈が基盤のグループですから、Qに対するAが明確に公表されないところも魅力のひとつだと思います。長々とお付き合いいただきありがとうございました♡