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第44話 望月の夜

(写真は、明治神宮の菊花展にて等々力不動菊花会さま)
三条天皇がありとあらゆる手段を講じて譲位を逃れてきたけど、
敦明親王を東宮にすることで、譲位を承諾しました

そのころ、まひろの家ではまひろと賢子と為時の団らんの中で、
出家宣言をする
そこで、わたくしも初めて知ったのですが、遠くのお寺に入ることだけが、
出家ではないのですね
考えてみたら、自分の死期を悟ったときにも家で出家するのだから、
元気なうちに出家しても家にいてもおかしくないですよね
気がつかなかった・・・

今回、私が心に残ったところは、藤原 公任と道長のやりとり

道長は、孫である敦成親王|《あつひらしんのう》が後一条天皇となり
左大臣と摂政の二役をやることで政は上手くいくと考えていた
しかし、公家の達には
「いつまで陣の定めにお出になるおつもりなのかの?」と言われていた

そこで、道長と同い年で長年一緒にいた藤原 公任が苦言に来た場面になる
藤原 公任「陣の定めで皆の意見を聞きたい。それがなければ、政は出来ない
     道長の中では筋の通った考え方なのであろう。
     だが、傍から見れば欲張りすぎだ。
     内裏の平安を思うなら左大臣を辞めろ」
道 長 「摂政と左大臣。二つの権を併せ持ち、
     帝をお支えするのが皆のためでもあると思うたが、
     それは、違うのか?」
藤原 公任「違う。道長のためを思うて言うておる。考えてみてくれ」

藤原 公任は、道長の考えを理解して言葉にして道長に敵意がないことを示し
道長を信じているからこそ「傍から見れば」と周囲が言いづらいことを、
直に話をしたのかと思います
これは、道長と公任がお互いを信じあい、お互いが力を合わせて手を組んでいたからこそ言えた苦言だったと思います
そこに、道長は「自分の考えは違うのか?」と意見を求めています
ここに、道長は公任の意見を聞かせて欲しい。
公任だからこそ、意見を聞きたいと言葉の裏に言葉があったのでは
ないでしょうか?
だからこそ、公任は「違う」とハッキリと意見を言うことが出来た上に、
「道長のためを思うて言うておる。考えてみてくれ」と声を荒げることなく
穏やかに返すことが出来たのではないかと感じました
純真な友情を感じました

公任が退室したあと、悶々と
「先の帝の譲位を何度も促したが、今度はオレが言われる番なのか」
考えていた道長ですが
道長は40話で「不実の罪は必ず己に帰ってまいります故」と
因果応報に似たセリフを言っていました
まぁ~そうゆうことなのでしょうね

因果応報と言えば、道長もまひろに
「一緒に京を出よう。海の見える遠くの国へ行こう」
なんて言っていたこともありましたが、今回は息子の頼通も
同じことを言いだしました
また、彰子の初産が無事終わり、まひろが詠んだ歌に「望月」があり、
「よい歌だ。覚えておこう」と道長は言いました。
そして10年後の夜に披露されたのが「望月の歌」
なんだか、ものすごくなが~い伏線回収のような気持ちにもなりました

20日で〆切ですが、ご興味のある方はお申し込みをお待ちしております



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ライフリメイクタナカ
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