第43話 関ヶ原の戦い
天下分け目の大戦!
有名すぎる、家康曰く「無益な戦」の関ヶ原の戦いでしたが、
個人的に昔からこの手の戦の話は、苦手でして・・・
なぜなら、地図がよくわからないので地名だけを言われても話が自分の中で
整理できないのですよ。
今回の大河ドラマは、今まで以上にわかりやすくてよかったです・・・感謝
さて、九月二十二日近江大津城で三成と対面した家康。
自分の持っていた三成への理想と現実の乖離を埋めるための
やりとりがありました。
家康「戦なき世で出会いたかった。さすれば、無二の友となれたはず。
このようなことになったのは、行き違いが生んだ不幸。
甚だ残念である。」
三成「さにあらず。これは豊臣の天下のためになしたること。
その志、今もって微塵も揺らいでおりません。」
家康「何がそなたを変えた。共に星を眺め、語り合ったそなたは確かに
儂と同じ夢をみていた。これから共に戦なき世を作っていくものと
思うておった。それがなぜ?なぜ、このような無益な戦を引き起こし
た。死人は8千人越え未曾有の悲惨な戦ぞっ!
何がそなたを変えてしまったのじゃ。儂は、その正体が知りたい。」
三成「(笑う)思い上がりも甚だしい。私は変わっておりません。
この私の内にも戦乱を求むる心が確かにあっただけのこと。
一度火が付けばもう止められん。恐ろしい火種が・・・
それは、誰の心にもある。ご自分にないと思いか?
うぬぼれるなっ!この悲惨な戦を引き起こしたのは、
私でありあなただっ。そして、その乱世を生き延びるあなたこそ、
戦乱を求むる者。戦なき世などなせぬ。まやかしの夢を語るな。」
家康「それでも、儂はやらねばならぬ。」
このやりとりを聞いた後の「次回予告」の家康の「関が原はまだ終わってない。時が満ちた。」のセリフと表情をみると、「あぁ~ねぇ~」って思ってしまうのですが、それは来週を楽しみにしておいておくとします。
さて、家康は過去の三成との思い出を語りながらも「なんでだよぉ」と、
言ってるのですが、この話しの持って生き方ってすごいと思ったのですよ。
もちろん、ここでは文字だけなので口調や態度が一致しているということが、前提となります。
最初のセリフは、微妙に「なんでだよ!」って言いたいところを抑えている感じがあり言葉と態度が一致していないようにもとらえることができますが、大人の対応の範囲かな?
それを受けた三成は、なんとなくわかっていたけど
「振り上げたこぶしの正当化したい」そんな気持ちがにじみ出ているように感じます。
そこで、家康は自分が予想していた答えと違うものが返ってきたことに気がつき、ストレートに「なんで?なんで!」と聞いています。
家康も案外速攻解決思考型かな?
この「なんで?」が自分では答えが出せないことに苦しんだと思うのですよ
家康は、考えてもしょうがないから聞いてみる。
やっぱり、問題を解決するには聞いてしまうことが1番早くて大事かもしれません。
家康がどのように三成の言葉を受け取ったのかわかりませんが、
「何がそなたを変えてしまったのじゃ。儂は、その正体が知りたい。」
この一言が言えると言えないでは、生き方が変わってくるのではないでしょうか?
自分では、モヤモヤしていることが他人だと「見える化」してくれるかもしれないですね。家康も、三成に言われて「そうゆうこと?」なんて、気がついたことがあったかもしれないですね。
行った時は秋散歩日記
めっきり寒くなってしまったので。。。
前回は、亀が坂をご紹介させていただきました。
岩船地蔵堂からどこに向かうのか考えてなかった・・・
そう!私は地図が読めない!
そもそも、亀が坂を抜けると岩船地蔵堂に出ることが、
わかってなかったw
そういえば、直近、こちら方面に来た時に海蔵寺や十六ノ井戸に行ったことを思い出し、横須賀線の高架をくぐり北鎌倉方面へ。
海蔵寺に行く途中には、猿田彦大明神を祀る石仏もあります。
ここ、結構好きなのですよ。
猿田彦様のおかげで迷子にならずに海蔵寺に到着。
普通の方なら難なく行けるお寺さんですのでご安心を・・・
お寺に向かって左側の細い道をゆくと十六ノ井戸があります。
民家が近いのでお静かにお願いします。
崖の高さに圧倒されながら、この上には葛原岡ハイキングコースがあるはず・・・と思いながら、何のためにここにこのような井戸があるのか
わからないけど、少なくとも人の何かの思いがあった場所と考えると、
自然にどのように抗ってもはかないのが人なんだなぁ~と実感。
十六ノ井戸のお水はとてもきれいでどのくらい深いのかもわかりません。
紅葉山やぐらにも同じものがあるらしく、お骨を収めていたのではないか?とも言われています。
不謹慎にも「カルシウムの豊富な水なのだろうか?」と思ってしまいました。