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早稲田 水稲荷神社

大きな提灯が目に入る水稲荷神社
入るとすぐ左手に堀部安兵衛助太刀の碑があります

江戸時代の剣豪、堀部安兵衛は、叔父・菅野六郎左衛門の果たし合いを
助太刀するため、高田馬場へ駆けつけました。この果たし合いの現場は、
現在の西北診療所付近とされています。安兵衛は、元禄十五年の
吉良邸討ち入りで功績を称えられ、明治四十三年(1910年)に石碑が
建立されました。この石碑は、現在の茶屋町通りの一角に移されています

大国社

神社の鳥居をくぐると右手に位置する大国社は、大国主命を祀っています。本来は産業の神様ですが、身体健全や金銀融通の神様としても
信仰されています

太田道灌駒繋松

神社内には「太田道灌駒繋松」に関連する掲示板が設置されています
「山吹の里は此辺一帯を云う名です」と記されてます
山吹の里っていろいろな所にあると思ったのですが、
それだけ、当時の太田道灌がすごかったのですよね
と、思う

水稲荷神社

水稲荷神社の創建年代は不明ながら、天慶四年(941年)に
俵藤太秀郷朝臣が、旧社地(現境内地南方約300メートル)の
富塚に稲荷大神を勧請したと伝えられています。また、
文亀元年(1501年)に上杉治部少輔朝良が勧請したという説もあります
天文19年(1550年)には牛込主繕正時国が社殿を造営し、
江戸中期には神社の霊水が眼病治癒や火難除けに効果があるとして
信仰を集め、「水稲荷」と称されるようになりました

耳欠け神狐


授与所の奥に位置する耳欠け神狐は、身体の悪い部分を撫でることで痛みが和らぐと信じられています。参拝者たちは、それぞれの願いを込めて
神狐像を撫でるそうなので、肩こりが辛い右肩を撫でまくって参りましたw

冨塚古墳

社殿の裏手には小高い丘があり、「冨塚古墳」と呼ばれていますこの古墳は、早稲田大学9号館裏にあったものが現在の地に移されています。また、古墳周辺には多くの小さな神狐像が並び、独特な雰囲気を醸し出しています

現在の地に移されています
とはいえ・・・どうやって移した?ととても疑問だけど、
すごい話ですよね

お狐様がたくさんいらっしゃる不思議な空間です

高田冨士
江戸最古といわれる「高田冨士」は、通常立ち入り禁止となっていますが、7月の海の日とその前日に開催される「高田富士まつり」の際に登ることが可能です。入口は石段の右手側に位置し、二宮金次郎像の向かい、
甘泉園の近くにあります
わかっていたけど、今回も登れなかったことは残念でした

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ライフリメイクタナカ
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