
第33話 修善寺
本当に中身を見てなかったんだぁ~!
梶原景時から善児に渡して欲しいと託された巾着の中を
偶然にも善児の家で見つけた義時の「そうだったのか・・・」に
義時の真面目さと言いますか、誠実さが垣間見れた瞬間でした
今回は、「源頼家、偉大なる父、源頼朝の子、享年23」
長澤まさみのナレーションで締めくくられた善児の最後の
頼家謀殺回でした
その善児もトウに敵討ちされされて最後を迎えました
考えてみたら、善児は、
千鶴丸・一幡・頼家の3人を手にかけたことになり、
頼朝の血を受け継ぐ子どもを3人も謀殺していることになります
さて、今回、注目をしたいのが義時の内省です
泰時もそれなりに頼りがいのある息子に育ってきて、
たまに「なんとかせよ!」なんて頼朝と同じようなことを言って、
良い意味で仕事を押し付けたりしてきました
なんとなく、義時の若い頃に思考や行動、感情が似ているなと
思っていたのですが、義時も感じていたようで
自分の若い頃と似ていることに対してもどかしさや因果応報を感じていたのではないでしょうか?
例えば、頼家のことで泰時が義時に対して逆らった時のやりとりで
義時「それは、わからぬ。しかし、上皇様は北条をお認めにはならない。」
泰時「なにゆえ・・・」
義時「あのお方からしてみれば、我らは一介の御家人。
源氏を差し置いて全国の武士に指図をする。
お許しになるはずがない。」
泰時「上皇様に文を出ししましょう。言葉を尽くせばきっと・・・」
義時「あまい!」
泰時「頼家さまに死んでほしくないのです」
義時「私も同じ思いだ!(沈黙)
しかし、こうなってしまった以上、他に道はない。」
泰時「父上は間違っている。私は承服できません。」(部屋から出ていく)
追いかけようとする時房に
義時「ほっておけ」
時房「修善寺に向かいますよ。頼家さまに逃げるようにと・・・
逃げて欲しかったのですか?」
義時「そうではない(何かを思い出しながら言葉を選ぶように)
太郎はかつての私なんだ(うなずきながら沈黙)
あれは(沈黙)私なんだ」
そして、善児の家に行き兄宗時の遺品を見つけた時に
時房から「善児は私が切ります」と申し出た時に間髪入れずに
「ならぬ。あれは必要な男だ。私に善児を責められようか?」と
時房の行動を制止しています
過去の自分の姿を泰時の中で見出して行動まで予測出来てしまうのは、
ある意味、嬉しいはずなのに、その思考・行動・感情が足を引っ張り
辛くなってしまうことも知っているから「あれは、私なんだ」の一言に
集約されているのではないのか?私はそのように感じました
八重と義時の子である泰時は、優しさに満ちた他者を優先した価値観を
持っていたものと捉えることが出来ます
しかし、この時代にはその優しさが重荷になってしまうことを
体験していた、義時はあらゆる方法で泰時に世の中の厳しさも教えています
そして、対照的に出てきたのがトウの敵討ちです
父母を善児に殺されたトウは、
育ての親である善児を謀殺することが出来ました
良いか悪いかではなく、優しさの心の機能を使うところが違っていたのです
どちらの生き方が良いのかわかりません
きっと、最後に「母の仇」と言って善児を刺すトウの顔が少し歪んだことを
見ると、後悔や罪悪感にとらわれていたでしょう
そして、頼家の亡骸を見て泣いた泰時も後悔や罪悪感を持ったと思います
後悔や罪悪感を持ち続けて、問題が解決できるのか?
そこが重要なポイントとなります
後悔や罪悪感の向こうに持っている、本物の感情はなんでしょうか?
そこを見極める必要があります
交流分析では、問題を解決することができる本物の感情は、
喜び・悲しみ・怒り・怯えとあります
二人は、どこに本物の感情があったのでしょうね
ちょっと、難しい話は置いておいて個人感想
泰時・・・ちょっと弱すぎるように感じるのですが?
お側にいる鶴丸もよわ~い!
確かに武力を必要としない時代の方がいいのですが・・・(笑)
いいなと思ったら応援しよう!
